想念は動力であり、善き事を想えば善ことが現れて来、悪しき事を想えば悪しきことがあらわれてくるというのは一応、心の法則として真理である。しかし悪しきことがあらわれるのは幻の現れる法則に過ぎないのであって、悪しき事を想えばとて、悪しきことが「真実の存在」として、あらわれてくるのではないのである。悪しき事物は本来存在しないのであるから、どこどこまでも、それは非存在であって、あるかの如く見えているのに過ぎないのである。
あなたが如何に不健康に見えようとも、この世界が如何に不完全に見えようとも、その不健康も、その不完全も、実には存在しないのであって、元気溌剌たる人間が、完全円満な世界に生活しているのである。悪しき想念は悪しきことを造る力があるなどと考えてはならないのである。悪しき想念は、ただ悪しきものを「幻」にしてみせるだけの事である。
善き想念は、実在の世界に根を張っているから積極的な力であるが、悪しき想念は悪しき事物をつくるような積極的にな力はないのである。悪しき想念そのものが「無」であり、実在ではないのである。実在でないところの悪しき想念が、実在する悪をつくることができないのは当然のことである。
心、平和であり、調和であり、大安心のもとに生活するのである。