どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

心の隅っこがムクムクするような徘徊

2008年03月03日 | 日記
昨日 久々に軽い徘徊をしてきた

それでも歩いた距離は 7,8キロになるだろうか(まあ徘徊としては平均的)

少し前からリストに上がっていた学習院旧正門を見るのが一番の目的

おそらく何十年も前に 何度も目にしているはずだ

明治通り沿いにあって 私はそこを幾度か歩きもし また何度となくバスにも乗ったから

だがその昔 建物なんかにさしたる興味も無かった

これが重要文化財と知ったのは 数年前のことである


池袋からテクテクと歩いた

鬼子母神が近く 唯一残った都電も走っている

この荒川線にも思い出が沢山ある


近くに珈路ハウスという喫茶店があって それは姉の青春の場所だったが 私も何度か一緒に行った記憶がある

柳家小さんさんの関係者がよく来ていらして 小三治さんともお話する機会に恵まれたこともあった

それらしきビルはあったが 店はもう無かった


戸塚警察には 電話ボックスで拾った財布を届けた思い出が

学生らしき若者の免許書が入っていた

お礼をと言われたが遠慮したことも思い出した


アルバイトをした店もある

その時社員だった人は 今は60近いだろうか 

団塊の世代 ベビーブームの子供たち 学生運動

話も面白かった


学習院といっても いわゆる目白の学習院ではない

女子部のほうだ

昔 学短と言われていたが 今は4年制の大学になったことは知らなかった

残念なことに門は開いていた(閉門のほうが絵になるのだ^^)

川口の鋳物工場で作られたことは判っているのだが…

キューポラのあった町だ

今は 工場の跡地がマンションに適した絶好の立地となっている


写真で見た時は ただの門にしか見えなかった

だが 唐草文様の透けて見える門は なかなかだった


この近くは 此処まで書いてきたように私の若い頃の記憶が詰まった町でもある

戻って早稲田通りを歩く

すっかり変わった場所もあり 何十年も前に入った店が少しも変わることなく在ったり 早稲田松竹も健在

父親に 此処に家があるのに何故出て行くのだと言われてもしてみたかった遅い青春の日々

日曜で閉店していたが古書店も健在

一緒に飲んだ主たちも健在だろうか

足繁く通った飲み屋や お見合いまで勧められた馴染みの店もちゃんとあった


ほぼ10年この町に親しみながら 長いこと来なかった

特に避けていたわけではない^^

格別の用事が無かっただけ


今度は夜に出かけてみたい

代がわりはしているかもしれないが 私の好きなメニューがあった

今も残っていて欲しいと思う


しかし 人の記憶なんて いや私の記憶と言い換えるべきか あてにはならないものだと心底思った

それに 昔は無かった道が出来ちゃったりしてさ

馬場(高田馬場)に戻る途中でビール

急に友達と会うことになって今度は神楽坂へ

再びビールと中華料理とコーヒーで 帰宅は9時を過ぎてしまった  

ちょっぴり浦島太郎になった日でもあったが…

なかなか素敵でもあり甘くもあり ジンワリと暖かく 心の隅っこがムクムクするような そんな徘徊だった
コメント
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