どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

めっけもん

2011年06月26日 | 日記
夏休みの日程はまだ決まっていないのだが(なんという会社!) とりあえず旅の下調べを始めている

幾つかの候補地から今年は愛知県を徘徊の地と決めた

土地勘の無い私がまずやることは 路線のわかる地図とのにらめっこだ

初めに見たいものありき のことのほうが断然多いのだが

ここには何があるのだろうかと 見知らぬ駅に降り立った自分を想像してみることもある

何も無いなんていうことは無いのだし 仮に興味を持てるものが何も無かったとしても

無かったということがかえって記憶に残ったりするから面白いものだ

駅舎の風景 降り立った時の軽いショック

日常で見慣れている駅前のイメージを 勿論都会とは違うと相当差し引いて計算してはいるのだが

それを完全に覆されるのも これが旅というものだとにんまりできる喜び

そんな時ほど風景と風や太陽といった自然とが一体となって記憶になるもので

人っ子一人歩かぬ道をただただ歩くだけの時間の あの空間の全てを 私は私だけのものとして手に入れる

言葉も写真も 記憶にはかなわないのだ


なかなか実現できずにいる夕日を眺めながら温泉に浸かるという計画も 今回も計画している

夏休みの日程さえ決まっていないというのに どうなることか

ま 先のことなんて誰もわからない

今は計画するのみ

それだけでも 毎日の仕事が楽しく思えてくるのだから めっけもんってもんだ

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深夜特急・臨時列車―来週は「父の日」

2011年06月12日 | 日記
父が寒いので何か羽織る物が欲しいという

私は 私の服の中から父が着られるようなサイズのものがあるだろうかと探す

そんな夢を見た


家は 両親が亡くなってからも 庭を除けばほとんどそのままだ

いつあの世から戻ってきても その瞬間から以前と変わらぬ生活が出来るようになっている

なっている のか そうしてしまってきているのかは定かでは無いけれど

眼鏡も 読みかけの本も 病院から出された薬も(いくつかは捨てたけれど) あるべき場所にそのままに

だから目が覚めて なんだ 父の服ならまだまだ残ってるじゃないの と苦笑した

あっ もう一つ変わったもの

位牌が二つ増えたんだった


ノンフィクション・ライターの沢木耕太郎に「無名」という作品がある

有名人である彼の「無名」で終わった父親について書かれたものである

父親の趣味でもあった俳句を随所にちりばめ それは私立探偵がかすかな証拠を求めて犯人を捕まえるがごとく

また 息子である自分と父との思い出を振り返り 決して完全にはわかるはずもないが

それでも 父を深く知りたいという思いは 決して甘ったるい感情ではなく

つまるところ 尊敬と畏怖の念を抱く父親との関係を通して 彼の人物像を描くだけではなく

自分を振り返る旅「深夜特急・臨時列車」でもあったのだろうと私には思える

そして その列車は 父を失った時が発車時刻となるものなのだろう


来週の日曜日は「父の日」である

「母の日」は先にやってくるし 誕生日も一日だけ母のほうが早かったから 当然先にプレゼントをもらうことになる

そんな時 半分冗談で お前ばっかりいいなぁ~ などと言ったりしていた

母は 何言ってるの あなただってちゃんともらってるじゃないの と返していたものだ

それで大人になってからは こちらが忙しくなったこともあり 全てまとめて同じ日にすませることにした


幼少期に きょうだいの中で何故か自分だけが母方の祖父母の家で育った父は 僻みっぽいところがあった

(その何故かに深い意味があったと最期に父が言ったことは 真相は定かではないが忘れられない)

どんなに祖父母に可愛がられようとも 一番必要とした時に親の愛情を受けられなかったことが

そして その生活の中で彼の性格も人生の処し方も決まってしまったことが 彼の核には確かにあった

だが その全てが悪かったわけでもないと 私は感じている


あの世に行くのも母に先手を取られた父は 俺を見送る家族は二人になってしまったじゃないかと僻んだはずだ 

だから 霊柩車は母の時と同じリンカーンを選び 結果 葬儀の費用もほとんど同じになって私は妙な安心をした

今 父が僻むとしたら なんだろう

思い出すなら母と同じ回数だけを なんて言うのかもしれない

大丈夫だよ それは

だって思い出のほとんどは 二人でワンセットなんだから   
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もうちょい先の話

2011年06月05日 | 日記
今日 髪を切ってきた

先日書いた肩こりのせいでいつもよりも間隔があいてしまったので 半ば言い訳のようにマスターにその話をした

山歩きを趣味とする彼にも肩こりがあると知り 確かに日本人には多いと耳にしてはいたが・・・

そして足跡を見るにつけても肩こりに悩む人は多いのだと 新参者はあらためて知ることになった

そのマスターからきいた話では なんと 独り者でも上手に湿布薬を貼れる器具?があるそうだ

何でも 母親の為に考案したものだとか

必要は発明の母

いや この場合は 母が発明の母になったのだけれど

ひと儲けと思った人 残念でした~


たかが肩こりだが 知る とか わかる ってことが どういうことか 

少しだけ近づいた気がした

何もかも 簡単になんかわからない

わからないことが 当たり前なんだと

以前からそう感じていたけれど 益々そう思うようになった

だから あなたに私の気持ちがわかるわけがない なんてのは当然のことで

そういう気持ちを切り札のように使うことだけは 絶対に避けようと一層強く決めた

それを前提として それでも人の営みに優しく寄り添えることができたなら良いんだけどなぁ

まぁ それはもうちょい先の話
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事の顛末―介の字貼りの意味がわかった!

2011年06月04日 | 日記
震災後 まだまだ電車のダイヤが乱れ 計画停電真っ盛りで 毎日のように余震があった4月の初めのことだ

肩こりを感じた

私は半世紀を生きてきたが それまでの人生で肩こりを感じたことはほとんどなかった

だから 当初 すぐに治るものと思っていた

ところがいっこうに良くならない

それどころか 通勤途中も仕事中でもいつの間にか始終 肩に手を置くようになっていた

日によって あるいは一日のうちでも痛さの強弱はあるものの それは日常的になっていった

当初 痛いのは左肩だけだったが やがて首の左側から肩甲骨にかけてと広範囲になっていく

腕は上がるし五十肩ではないようだが 鬱陶しい日々が5月になっても続き そんな頃だった


姉が 電話をしてきて後縦靭帯骨化症(難病指定)だと言ってきた

実は この病気は父が持っていたものだった

老年期になった頃 父は発症した

二度 三度 通院したものの 症状はいたって軽く また良くもならないしと 結局そのままになった

私生活には何の支障もなく それでも俺は難病を持っているんだぞなんて 変な自慢をしていたものだ

この病気は人によって症状や病状の進行はさまざまで 最悪は歩行困難にもなるという

その事などすっかり忘れていたのだが 姉からの電話で思い出したのだ

姉も姉で 私もやっぱり父の子だったわと 奇妙な自慢をして電話を切った


初めは姉のことが心配で病気の事を調べていたら なんと遺伝性が高いと書いてあるではないか

きょうだい間では30%

まさか 私も?と心配になってきた

姉を支えるつもりの私までもが同じ病になったらどうするのだ

更には姉も左側だというし これでは二人三脚が出来ないじゃないか なんて馬鹿な事まで考えたりして・・・


会社を休んで病院に行くことにした

レントゲンと人生で初めてのMRIを受けたのが先週のこと

意気消沈とまではいかないものの そのまま帰宅して食事をする気分でもなかった私は お鮨を食べて帰った

そう多くはないが 私が一人でお鮨を食べるとしたら ほとんどがこの店である

馴染み客というわけではないが 通っている年数は長い

たまたまそこで出くわした男性の客と会話が始まったら 同じ幼稚園の出身ということがわかった

彼は早生まれなので 私よりも学年がひとつ上になる

そんな話をしていたら その店で働く女性も同じ幼稚園でしかも同学年だった

男性客は こんなことってあるのかなあ と

彼は その店で私を見かけたことがあると言い 店の女性は私が昔めがねをかけていたことも知っていた

驚いた

どこで誰が見ているか わからないものだ

他人の目にどう映ろうと構わないが 自分で自分の行為を恥ずかしいと思うような事だけは避けようと密かに思った

夕方帰宅した私は そのまま翌朝まで眠り込んだ


今週の水曜日が判決日だった

その日は ちょうどクライアントの創業記念日ということで 会社は休みになった

どんな結果であろうともせっかくの休みを愉しもうと 私はカメラを持って出かけることにした

結果はシロだった

先生が神様に見えた^^

多少の老化はあるものの 少なくとも 今の段階で骨に関する異常は見られないとのことだった

運動をしなさい

更年期とは関係ないし グルコサミンも必要ないと言われた


常に最悪を考える楽観主義者ではあるが 無罪放免となり 

釈放された娑婆の空気は 大袈裟に言えば生まれ変わった気分だった

今回は何とかクリアした

だが いつかは 間違いなくキャッチされるだろう

人生の鬼ごっこに参加したものは 誰でもいつかは鬼につかまるのだ

それでも生きていることに素直に喜びを感じた

そして この命がいつ消えることになろうとも 私はこの喜びを失うことはないだろうという予感も確かにした 


その日の午後 私は少し徘徊をした

昼下がり 一人で乾杯もした

そして プリンターを買った

今日 午前中に庭の草取りをし 木も少し剪定してあげた

相変わらずニャンコの落し物があり 3時間も頑張ったのに50点の出来栄えだったが それでも満足だった

午後は 飲みたい気持ちを抑えて買い物に行き 届いたプリンターのセッティングと試し印刷 


日記が途絶えたのには こういう理由があった

事の顛末がどうであれ はっきりしてから書きたかった

足跡に返事をしようとも思ったが まずは日記を書いてからというのが私のやり方なので失礼したかと思う

では 心置きなく足跡訪問と参ろうか

それにしても肩こりというものは こんなに辛いものなのか 

「介の字貼り」の意味が 今回よくわかった!

そしてもう一つ ひとり者が背中に膏薬を貼るのは至難の業だということも
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