どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

大英博物館展

2015年05月24日 | 日記
昨日 東京都美術館で開催されている「大英博物館展」に行ってきた

コンセプトは「100のモノが語る 世界の歴史」

200万年におよぶ人類のモノ作りを時空を超えて見るというものだ

凝縮された世界史の勉強にもなりそうな展覧会だった


さまざまな理由 それは冒険心や探究心であることも 果てしなき欲望や権力の拡大ということもあるが それによって人や文化の流れがあり融合が生まれ 必要とされるものが生まれた

そこには人類が人類として共通に感動し 享受できるものが確かにあり それだけで良い

発祥がどこであるかはまだしも そのことで優位性を論じるのは全く意味が無いことだ

実際のところ「泥棒博物館」とも言われ 植民地や対戦国からの略奪・戦利品もあるのは確かであるが そのことはとりあえず忘れて見れば ヒトが見えてくる


非常に精巧・緻密なものから プリミティブなものまで どれも素晴らしい一品

作品に動物がモチーフになっているものも多い

私が気に入ったものの一つはシワテオトルと呼ばれる「アステカ文明の悪霊の像」

出産時に死亡した産婦の邪悪な霊ということだが おそらくは忌穢れるものと同時に産婦に対する憐み そして子孫繁栄を強く願う気持ちが 乳もあらわに両手を出すというどことなく可愛らしくも見える像となったのだろう

「ホクスンの銀製胡椒入れ」などもこっそりと持っていたくなる一品


今なら説明つきでこの展覧会の一部が見ることができるようなので 興味のある方は是非ここでご覧あれ

   
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順番よね

2015年05月17日 | 日記
私の土曜日は 起きたらまず洗濯から始まる

朝食をすませ お風呂に入ってから買い出しに出かける

昨日もそうして家から出た時だった

道を歩いている女性が立ち止まり 私に声をかけてきた

「○○さん・・・?」と

私は私で「はい・・・・」と答えつつ 頭の中ではえ~と この人は誰なんだろうと必死に考える

年齢からして私より少なくとも10歳は上だろうと思われるが 母の知り合いだとしたらもっと年上であるはずだし・・

「え~と どちら様でしたか・・・」と思い切って尋ねると 「○○屋の・・」と

それではっきりと思い出した


私が小学生の頃 うちのすぐそばにスーパーマーケットができた

すでに向かいには 八百屋 乾物屋 お菓子屋 肉屋 雑貨屋などが入ったマーケットがあり こういったスタイルが多かった中で 色々な品物を一つの店で扱うスーパーは 更に大規模な店舗展開をするスーパーが生まれるまでは非常に便利な店として繁盛することになる

そこの奥さんが彼女だった

今日はあれが安い これが美味しいよ と店の中で声が飛び交い 地方出身で中卒のまだ子供のような男性 女性が店員として入ってきては 結婚後も長く働いていた

母も日常的に買い物に行き もちろん私も姉もだった

やがて本格的スーパーが進出し始め 我が家も買い物をする店の選択肢が増え始めた 

それが原因かどうかはわからないが 10数年前になるだろうか 店を閉めた


「お母様はお元気?」と訊かれた

「10年前に亡くなりました」と答えると 「あら・・・そう・・懐かしいわ 会いたかった・・・」と

坐骨神経痛だかにかかり だから今はこうして・・・と ショッピングカートのようなものに視線を向けた

姉がピアノを弾いていたことも覚えていてくれた

あの頃の店員だった人は 今もあちこちで仕事をしているそうだ

とても忙しかったでしょ だからもうそれが癖のようになってしまって忙しくないと物足りないらしいの うちがそうしてしまったのかどうか と笑って話す彼女に あの頃の商売人の顔はもう無く こんなに穏やかな話し方をする人だったのかと少し驚いた  

「順番よね・・・」と 彼女は言った


お元気で 気をつけて と挨拶を交わして道の左右に分かれた

歩いていても なにかぼーっとした気持ちからなかなか抜け出せずにいた

再開発があったせいで 駅までの道もその付近の様子も一変してしまった

書店の趨勢など最たるもので 私が若い頃に通った店はすでになく 生まれた順に新しいものにとって代わられ消えて行った

私は時々 当時の姿を頭の中で思い浮かべることがあるが それも次第にあいまいになっている

日常的に変化や時間の流れを感じているわけではないが ふとした瞬間に歴史が流れ込んでくることがある

つい最近のことのようでもあり 遠い昔のことのようでもある

そして 私もまもなく還暦を迎える

順番よね 

どうやら私も この言葉の意味を感じ始める年代になったということらしい
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正しい連休の過ごし方

2015年05月05日 | 日記
昨日は天気が心配だったのでゆるゆると過ごすつもりでいた

のではあったが 早起きをしたらさほど悪そうでもなく やっぱり庭掃除をしておこうと計画を変更した

5月は 晩秋と同じくらい庭掃除に最適の季節である

ことに今は 新緑が青い空に映えて美しい


前回も2時間 今回もおそらく2時間ほどやれば なんとかマシな庭になるはずだ

お墓掃除ではまったく日陰が無く またとても暑い日だったのでTシャツ一枚になってしまい 日焼けで腕が赤くなってしまったが 今日は長袖のシャツを着る

爽やかな日ではあるのに やはり汗が流れる

お墓掃除の時もだが こうして庭掃除をしていると 姉にはこういう仕事は絶対にできなかっただろうなと昔を思い出しながら想像する

私と父が庭仕事をしている間 姉はいつも母と昼食の支度などをしていたものだった

そういえば 私が子供の頃 学校から帰ると母が草取りをしていたり 今日は草取りしたのよ なんていう話をきいたりもしていたのに 私はふ~ん という程度にしか返事をしてなかった

休日や長い休みの時はそれなりに手伝いもしたほうだし 上履きを洗ったり革靴を磨くのは自分の仕事ではあったが それでも今振り返ると 日常的な草取りも含めて家事は母の仕事で当たり前のことという態度だった

私は 母にどれだけ感謝の言葉を述べただろうか


あれこれ思い出したり 愚かなことを考えながら草を刈っていると 何かがはねた

我が家の主 ガマちゃん!

そう小さくも無いが ベージュ色の彼(もしくは彼女)はまだ若そうだった

どこで相手を見つけるのか 代を重ねつつ この小さな自然の中で生き続けている

もうしばらくはお前の世界を守ってあげるからね 


今回は3袋

70点の庭を見回し いつかは100点を取りたいと思いながら2時間の仕事を終えた

連休のノルマは果たした

誰からも感謝されることは無いし これが楽しい連休の過ごし方かと自問すれば なんだかなぁ という気持ちがしないでもない

けれども 今の私の正しい連休の過ごし方であることは間違いない

正しいことをするのは 時に疲れ 空しくもなるものかもしれないが それでも気持ちはそう悪くはないものらしい

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連休はのんびりする時間だって作らなくちゃ

2015年05月04日 | 日記
連休初日はお墓掃除に出かけた

そして昨日は いつもの家事に加えて網戸の張り替えをした

買い出しに行くと 駅に向かう人の波はいつもとそう変わらないのだが さすがにスーパーは空いていた

やはりみなさん それなりにお出かけしているのだろう


昼下がりからは 小松菜と油揚げの煮びたしを作り ヒラメと本マグロのお刺身 椎茸の網焼きで一杯

ギャオでリュック・ベッソン監督の『アンジェラ』を見ながらのこと

もう長く映画館に足を運ぶこともなく かといってレンタルDVDを見ることもない私は ラジオで新作映画が紹介されるたびに 面白そうだとは思ってもそこまで

TVも無いので 映画といえばギャオでほんの時々見るだけである

ベッソンの名は有名で『レオン』も何度か見ているし 『ニキータ』も面白かったが 彼が作品に登場させる女性はみなユニークで私は案外好きかもしれない

映画の批評をここで書くなんていう大それたことはしないし できるわけもない

彼の監督作品の中でも これは「すべった」と言われるものだったらしいし 私はこの題名すら知らなかった

ただ ビールのつまみに選んだだけ


でも案外と面白かった

ANGEL-A アンジェラ 登場する180センチの女性はエンジェル

理想の自分と現実の自分 欠けているものを知っている小悪党 そしてそんな自分を愛せない これが主人公の小男

人生を直球で生きてきた人やマッチョな人 映画通にはおそらく駄作と思えるだろう

天使に助けられる駄目男の話で ご都合主義のファンタジーじゃないかと

私が面白いと感じたのは自信満々の人間では無いことを 自分がよく知っているからだと思う


先日は『シャイン』も見た

題名はよく知っていたし 何よりあのポスターが印象的で記憶に強く残っていたが 実在の人物の話とは知らなかった

成功と挫折 それは誰にでもあり 成功が大きければ大きいほど 挫折も大きくなるのだろう

だがそもそも成功だとか挫折だとかは 誰がどんな基準で決めるのか

「まずまずの人生だった」という 父の最期の言葉を思い出す


今日は天気が悪いようだ

曇りだったら庭仕事はしない

家の中でできる家事をしながら 今日は少しのんびり過ごそう
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お墓参りとマロニエの木

2015年05月03日 | 日記
待ち望んでいた連休がついにやってきた

やってきたというのは正しくは無い

時というものはそうして流れていくものなのだから

だが 今年のGWはただの連休とは違う

労働者としての最後の連休であり これが過ぎればあと3か月ほどという道標の一つ 


私の連休の過ごし方は毎年そう大きく変わることは無い

庭掃除 お墓参り 衣替えなど夏に向けての準備などでほとんど終わる

天気に左右されることばかりなので 計画はそれを見てのこととなる

昨日の連休初日はピーカンの日になるということだったので まずはお墓参り(掃除)に行くと決めていた


予報通り 朝から暑い

いつもの姿で出かけ 何も変わらない多磨墓地の中を日陰を探しながら歩き 帰省した人のように「今年も来たよ~」と

毎回 毎回 無残やな という姿にがっかりするやら闘志を燃やすやらだったのに 今年はあっけないほど 誰かが来て掃除をしたのかと思うほどにすっきりしていた

我が家の庭と同じで 4月の花冷えのせいかもしれない

いつもなら根本近くから伐られた百日紅が それでも懸命に 好き放題に枝を伸ばしているというのに 今年は根元に青々とした新芽をつけているだけのあまり目にしたことの無い姿であったことにも 少し拍子抜けだった

前回枝を伐った時に これでもかとばかりに幹という幹に十字の切り込みを入れたことが良かったのかとも思ったが 今はこの小さな小さな枝とも言えないものがやがてはぐんぐんと成長するのかもしれない

可愛いという気持ちを捨てて この小さな若葉たちもすべて取り除いた

秋にどうなっているかが楽しみと同時に恐怖でもある


荷物を広げ 一人墓参なので貴重品は置いていけないため(霊園からも貴重品に注意というアナウンスが何度も流れているし) ザックを背負ったままバケツ二つを持って水を汲みに行く

帰り道 ふと だれも居ない霊園の広い道をカメラに収めたくなって道路の真ん中に立っていたら 自転車に乗った女性が私のそばを通り過ぎてすぐに 声をかけてきた

ねぇ だったか と思う

道路の真ん中に立っていては危ないじゃないの と言われるのかと思い一瞬身構えたのだが すぐそこを行ったところに○○通りってあるでしょ? と

墓参で何度も来ているし 道に名前があることは知っているのだが その名前も場所も知らないことを伝えると 彼女は自転車の前につけているカバーのついたかごから花を取り出した

これ マロニエの花なのよ

とても大きな木があって そこに綺麗に咲いていたの

マロニエって なにかロマンティックな感じがしててどんな木だろうって思っていたら すぐそこにあったの

調べてみたら これ「トチノキ」のことなんですって

これから家に帰って写真を撮ったら デイサービスの人たちにも見せようと思って・・・


自転車を止めてまで私に報告したのは もしかしたら私がこの霊園の自然を撮影している人間に見えたのかもしれない

私よりも年上で まだ老人とまでは行かない年齢の女性は嬉しそうにそれだけ話すと 自転車に乗って走り去っていった

私は彼女が言ったデイサービスという言葉にひっかかり 果たして彼女の家族がお世話になっているのか それとも彼女自身が働いているのかと どうでもよいことを想像しながら バケツ二つを持って戻った


湿度を除けば夏かと思うような太陽の下 Tシャツ一枚になった私の腕は次第に赤くなり 気づかずして汗がぽたぽたと落ちる

そうひどい状態でも無かったのに 道草をしたせいかいつもとさほど変わらない時間に終わった

縁石に腰をかけ 半分凍らせてきたビールで乾杯し 親との会話

休日に来るのも もうこれが最後だからね と報告する


あの世の存在も 霊などというものも怪奇現象も一切信じてはいない

それなのに こうしてお墓を綺麗にして眠っている人に報告をする

虫が飛んで来れば親の化身が来たのかと思ったり 一瞬ぎらぎらとした太陽の光が雲にさえぎられたりすると 天から親が覗いたのだろうかと思ったりするのは 実に不思議なことと苦笑する

片付けをして また来るからと告げて家に帰る


帰ってから荷物を片付け お風呂につかった後で ゆっくりと飲みつつマロニエを調べてみた

セイヨウトチノキ マロンというのはこのマロニエを語源とし 昔はマロングラッセにこの実を使ったという

これが日本でいうトチノキとまるで同じというわけでは無いようで 近縁種といったところらしい

彼女が持っていたのが 果たしてマロニエの花だったのか トチノキの花だったのかは私にはわからない

それでもあの女性がロマンティックと思っていた木を生まれて初めて目にし 幸せそうにその花を持って帰ったことを思い出すと 本当は何であったかなんて些細なことだと思えてくる

勘違いであろうとも 信じてもいないくせに空想してしまうのも だれも傷つけることが無ければそれでいいじゃん って思いつつ 気持ちよく酔ってそのまま眠ってしまった



連休の多磨霊園の朝

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