どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

腹を括る

2013年04月28日 | 日記
年が明けてまず初めに待ち望むのは 夜明けが早くなること

次は 暖かくなること

そして その次がこのゴールデン・ウィークだ


初日の昨日 天気は上々 

といったら もうこれしかない

腰が引けることには 覚悟を決めてえいっと考えるより早くやってしまわないと億劫になるものだ

会社のそばの落葉樹が もう春だというのに少しも葉をつけない

それでもよくよく見れば ぽつぽつと芽吹いているのにある日気が付く

それがいつどうしたのか ほんの短い間に爽やかな緑の枝となり 木蔭を作るまでになる

この日のためにあの幹の中でしっかりと成長の力を蓄えていたのだろう

感動するよりも前に庭の草を想像してしまうとは


洗濯を済ませて 9時に庭に出る

3月に一度やったおかげで だからこんなか でもこの程度にはなるのか といった微妙な様子

根絶やしにしてしまいたいと思ったこともある

だが なぜか出来ない

最近では これはこれで良い時間だと思えるまでになった

腹を括れば 見方も変わる


草取りをしていて かつて ある民族を根絶やしにしようと考えたちょび髭の小男がいたことを思い出す

そのあとに考えたのは 最近のニュース

核兵器の非人道性に関する共同声明に 日本政府が賛同を拒否したというものである

いかなる場合であっても未来永劫 核兵器を使うことなどあってはならない

子供でもわかる話だ

やられたらやり返すこともある とでも言いたいのだろうか

こっちにはつよ~い武器(もしくは当てにならない味方)があるんだからな 何かしたらお見舞いしてやるぜ と威嚇でもしたいのだろうか

それとも それを持っている友達に遠慮してのことなのか


使用を決断した施政者だけがお見舞いを被るというのであれば 一向構わない

だがそれは 静かに暮らす普通の人々の希望や喜びを奪い 長きにわたる深い苦しみと悲しみを与えることになるだけだ

それどころか 憎悪が新たな悲しみを生み出すことにもなりかねない


安保政策と相いれないと言うならば それが間違っているのだ

そんなもので守られている一国の平和とは何なのか

たとえ核兵器を使われることがあっても こちらからは決して使うことは無い

それで仮に根絶やしにされることがあったとしても(そんなことは無いだろうが) 人間としての尊厳を守った国として存続できる


世界でたった一つの核兵器による被爆国日本が世界に向けた発信がこれかと・・・・

過去に亡くなられた方々に申し訳ないばかりか 現在と未来の日本の普通の人々の平和を奪いかねない決断

どっちつかずの お茶を濁した生ぬるい言葉だけの平和なんて要らない

正しく腹を括れば 見え方も違ってくるものだ


草取りは昼過ぎに終了

シャワーを浴びて買い出しに行く

スーパーが普段の土曜よりも空いているところをみると 皆さん お出かけなのだろう

連休の仕事はまだまだ続く



滅多に無い後書き:

私は、政治と経済には疎いノンポリだ。それでも昨今の日本のあり方には失望が増すばかりだ。

かつて私や母が朝食の支度をしている時に、父が朝刊を読みながら、おいおい、誰々がこんなことを言ってるぞ、まったく何考えているんだかと、こちらは話半分でいい加減な相槌をうっていたものだが、このニュースを知ったら父はなんと言うだろうかと思わずにはいられなかった。

戦地に行き、捕虜にもなり、やっと復員船に乗って東京に戻る最中に見た日本の焼野原。東京もしかりだった。戦地では、仲が良く、頼りにもなる自分の兄の戦死を知らされた。戦友や立派な上官の死も、他国の人の死も経験した。

とりわけ怒ったニュースが平和に関するものだったのは、戦争というつまらぬものの代償があまりに、あまりに大きかったからだと、戦争体験の無い戦後生まれの私でも十分に理解できる。

  
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別嬪さんの言葉

2013年04月07日 | 日記
親が生きていたころ 新聞をとっていた

朝刊を読む時間はほとんど無かったし 政治や経済に疎い私にとってはそう必要なものでも無かったが 夕刊と日曜版は楽しみだった

芸術や展覧会 映画に関する記事や とりわけ書評や本の広告がお気に入りで 興味を抱いた記事はメモをしたり切り抜きをしたり 購入本のリストに加えたりしていた


やがて生活も変わり 大型本屋を二時間かけて本を選ぶということも無くなり 本に関する情報も次第に乏しくなっていった

今では時々覗くわが町の 町にしては比較的大きいものの品揃えには不満の残る書店で それでも出会いに期待して行き当たりばったりで本を買っている

読書の時間はもっぱら 運よく比較的空いた通勤電車の中か休日のお風呂の時間ということもあって 多くが文庫本か新書に限られる


先日は 昨年亡くなった丸谷才一さんの「人間的なアルファベット」の文庫版が新刊で並んでいたので これは中を確かめるまでもなく迷わずに買うことにした

他には何か無いかと可愛い子ちゃんの品定め 昔の女郎屋通いのような目で(想像するにこんなかと)眺めていたら 別嬪さんが私を手招きしている

商品に手を触れちゃぁいけないよ と言われないのがそれとは違う良いところ

手に取ってパラパラと繰っただけで手ごたえを感じる


本を開くのが楽しみで そのくせ残りが少なくなってくるのが残念に思うような一冊

内田洋子著「ジーノの家」

日本の有力なエッセイ賞をダブルで受賞というものだから 私なんぞの認めなど必要の無いまさにお墨付きの本

それでいて庶民には手の届かない高嶺の花の花魁とは違って こちらは手の届く別嬪さんだ

世界三大発明の一つである活版印刷に感謝


新年度が始まって ジュニアが戻ってきた

社内でも相変わらず 社長の嫌味な言葉を耳にすることがある

言われる側にも非があり 彼の真意がわからないわけでもない

しかし 言葉というものは選ぶものだ

思ったことを脳で咀嚼することなくそのまま口から発するのは 時として野蛮な暴力行為となる

「北風と太陽」の話ではないが 耳に流れ 頭に届き 心を開かせるような言葉でなければ意味が無い

上に立つものはすべて 親であれ ものを教える立場のものであれ 上司であれ 得に注意すべきであろう

同じ空気の中にいるこちらでさえ テンションが下がり 日光の三猿どころか 脳も心も閉じたくなってくる


身も心も閉ざしたくなるような言葉

抱きたくなるような別嬪さんの言葉(って 女の私が言うのもおかしいが)

言の葉や 伸ばす太陽 散らす風(粗忽)

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