どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

これだけは正解

2011年05月07日 | 日記
サンデル教授のハーバード白熱授業

NHKで放映し 著作も売れたようだ

何によらず意見が違うのは当たり前のことであるが

ディベートとは「違う」ということで相手との間に線を引いてしまうことではなく

また言い負かすことでも その結果相手の人格までも否定する といったことでもない

テレビなのど政治家の討論で 面白可笑しくするつもりなのかどうか しばしば見苦しい言い合いをするのも

その根底には 良くも悪くも日本人の資質や文化があると思われるが 私の言いたいことはそんなことではなく

ビン・ラディン殺害について 彼やアメリカの学生がどんな「正義」を語るかを 私は今一番見てみたいということ


それよりも 正義というものはそもそもたったひとつだけなのだろうか

これは政治的駆け引きの一つなのか それとも アメリカ国民の総意なのか

電光石火 一般市民を巻き込むことも無い見事な作戦ではあったが これが問題解決に結びつくのか

それとも問題解決などを望んでいるわけではない(それほど物事は単純ではない)

決して屈することはしないという姿勢を見せつけることが目的だったのか

簡単に答えを見つけられないことばかりが蓄積されていく


連休は明日で終わる

東京は 風薫るという言葉がしっくりこないような連休の日々だった

結局のんびりと家のことをして過ごし 毎日おいしいビールにもありついた

意識的にか無意識にか階下の部屋にはほとんど入らないのだが 今回は長い休暇ということもあって

風を入れ 親の痕跡の中からほんのちょっぴりだけ 不要のものを選択した

いずれ 必要な物だけを選択する時がくるまで 

夏の旅の候補地にも心を馳せた

明日は暑くなるという

庭掃除か徘徊 どちらにしても美味しいイッパイが待っているはず 

これだけは正解
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6連休が始まりました

2011年05月03日 | 日記
連休くらいは毎日日記を書こうなんて思っていたのだが まぁこんなものだ

昨日は出勤

夜は友達の希望の中華料理でイッパイやった

その友達に借りた本をなかなか読めず というのも私の読書タイムはほとんどが浴室か電車の中というわけで

他人の書物となると扱いも丁寧にしなければならず それでついついというわけ

で 日曜日に数時間かけて読んだ


ボストン・テランの「音もなく少女は」(邦題)

原題は「WOMAN」であるが こちらもほうがドンピシャ

ミステリの分野になってはいるが 最近ではもうそんな括りは意味を失ってきている

フィクションに感動するだけの余裕が無いのか 私の現実があまりにある種感動的なせいか

批評家や作家が絶賛するほどには深くは入り込めなかった

半世紀前のサウス・ブロンクスという場所をリアルに知っていたならば おそらくもっと迫るものを感じただろうか


これは女性たちが男の暴力に対して毅然とした態度で 勇気を持って立ち向かう話である

けだし 男の暴力とは人生の困難を象徴的にあらわしただけのことだと私は思っている

その暴力という困難を乗り越えるための手段が殺人という結末であったことに不条理を感じるが それが(も?)人生

―人生とは悲しみに耐えること 勇気とはその悲しみを克服すること

人生は不毛だが 明日を生きるために生きるのだ―

3人のヒロインのうちの一人 フランの言葉

全ての人間が このような彩の中で人生の全てを送るわけではないが

ある一時期においてならば 誰にとっても充分説得力を持つ言葉ではないだろうか


あっ 別に感想を書こうなどという気などなかったのだが 流れでこうなってしまった

私としては そうお好みの小説でもなかったが読み応えはあった


今日は曇りのようなので 家に篭って書類などの整理

そろそろ何がどこにあるのか きちんと整理をし 私に何かあった場合の申し伝えも姉に残しておかねばならない

自分のケツは自分で拭く(おっと 汚い言葉で失礼)

そのための紙だけは用意しておかなければならないが 出したものは始末してくれ

ということだ
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