どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

庭掃除と蚕豆―私だけの春

2013年03月24日 | 日記
年度末とあって忙しい日々が続く中 先日の週の真ん中の祝日は実にありがたいものだった

いつもの週末の家事を先に済ませたおかげで 天気の良い昨日 庭の草取りをすることができた

思えば この時期に草取りをすることなど無かった

見るのを避け あるいは こわごわと逃げ腰へっぴり腰で庭を覗いては ゴールデン・ウィークまで待ってくれと慌てて目をそらしてきたのだったが 風も無く 気温もそこそこで 家事も少なく 疲労感も無い昨日はまさに草取り日和だったのだ


始めた時は玄関辺りを小一時間ほどのつもりだったのだが 気が付けば庭のほとんどに手をつけていた

色々な理由が考えられるのだが今年は腰を抜かすほどの量も無く 2時間ほどでかなりこざっぱりとした

草取りをしている間 無心かというとそんなことはなく とりとめの無いことをあれこれと考え 言葉は脳の中をたえず駆け巡っている

昨日は この時間がどんなに幸せな時間か なんてことをふと感じた


今までは 庭との戦いであり 義務と責任でもあり やるかぁ やるっきゃないなぁ という気持ちだった

勿論 生まれて1年半よりこちらずっと親しんできた庭ではあるから 多くの記憶がよみがえりそれはそれで素敵な時間になったのは確かなこと

ただ今年は まずこれが出来るだけの健康や体力があることがありがたいな~なんて思った

それから 仮に自然災害かなんかでこの庭を失ったとしたら たとえ殺人的な庭であろうとも あぁ あの庭の草取りをまたしたいな あの時間を取り戻せたらどんなに嬉しいことか なんてきっと思うだろうと想像もした


草取りは決してそう嫌いな労働ではないし 成果が目に見えてすぐにわかるという正当な評価も気に入っている

土や草木の匂いを味わい 虫に驚き 時折そよぐ風や木蔭の涼しさを感じるのも日常には滅多に無い心身へのご馳走でもある

それでも今までは やるっきゃないか だったのだ

それが今年は 少し違った感情が加わった

たまたま時間にゆとりがあり 体力も気力もあったからだろうか

腰を抜かすほどの雑草では無かったせいかもしれない

私が年をとった証拠でもあろうか

ただ 穏やかな幸せを感じた


そして草取りが進むにつれて 少し前に想像した仮にこの庭を失ったら・・・も撤回しようという気持ちにさえなった

いつかは 何かを失う

自分の意思や行為の結果によって失うのはまだしも もぎ取られるのは理不尽で不条理である

あるけれども それが人生というものだ

そこには 草取りという労働への正当な評価のようなものはない

であるならば あぁ あの時のあの庭の草取りは楽しかったなぁ という気持ちを大事にしながらも その時 目の前にある幸せを考えてそれからも生きていくほうがもっと大事じゃないか

きわめて当たり前のことで 今までもそうしてきたはずのことを じわじわと感じながら労働を終えた


お風呂に入ってから買い出しに行くと スーパーにソラマメが並んでいた

筍と並んで春を感じる食材のひとつ

空豆 天豆 蚕豆 とも表記されるけれど 私は さやの中であの真っ白な真綿にくるまれて眠っている豆がとても可愛らしく思え 蚕豆 と書くのが一番しっくりくる

さやにしても あの豆の一つ一つにしても実に絵になるカタチであり もちろん 豆そのものの味も大好き

三つ子の中で成長できなかった豆を見ると悲しくなったり 四つ子だったりすると大騒ぎをしながら母の手伝いでさやをむいた日は 遠くて近い 


先週の金曜日 朝から買い出しに出かけ 挙句は席取りをしなくちゃと 午後も早々に退社したどこぞの社長はその夜の花見の宴会で仕事もそっちのけ

私は すっかり大きく育った人々に阻まれて わんわんと咲く桜の花見を車窓からでさえ拝むことなく今年も過ぎ去るようだ

ビールのつまみの一品に 茹でた蚕豆が並ぶ

私の春だ

私だけの春が来た
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