まっしゅ★たわごと

街歩き、建築、音楽、フランス、それに写真の話題を少々

ガラスのグラスにハジケテ 2重丸

2010年07月27日 23時23分08秒 | 写真



きゃんどる~♪

らいとが~♪





ガラスのグラスに





は じ け て ~





にぢゅうまる~♪



なんで、こんなんなったんか

ぜんぜんわからんのだけど

オモシロい写真になったので

ちこっとだけ、ごしょうかい



ちなみに英語では 

ガラスもglass

グラスもglass

ご存知のように



1Q84を読んだ!

2010年07月23日 23時49分40秒 | おすすめ
村上春樹の作品を読むのは今回が初めてである。だから、彼の作風も文体も思想も傾向も何も知らない。ただ、知らないながらにずっと興味があった。カフカ、ドストエフスキー好きの私にとって、遠からず興味のある作家の一人で、いつかは氏の作品を読んでみたいと思っていたのであった。それは、ちょうど今を遡ること一年ほど前、1Q84の発刊の日に私は何も知らないまま、この本を手に取り、半ば衝動買いの勢いでこの書籍を手に入れた。・・・それから、一年後の今になって、この前の週末からやっとこの本を読み始めたのである。多義的で美しく、物憂げな深い世界観に圧倒される。特にBOOK2の中盤辺りで私は感じた。『長大な表題付きの抒情交響曲の様だ』と。まるで、リムスキー=コルサコフやリヒャルト・シュトラウスの紡ぎ出す多義的なメロディの如く、様々な事象が折り重なって延々と吹き鳴らされる世界。そして、この感想をまだ書き綴っている途中のまさに今、遠くで激しく重苦しい雷が鳴った。私は背筋が寒くなった。この雷好きの私がである。そう脳裏に未だ見ぬリトル・ピープルの姿が浮かんできたのである。きっとやがて窓を叩き付けるような強烈な雨が降り出すのではないか?と私は密かに慄いていた。(2010.7.14記)


今日の午後、勤め先の窓の外は激しい豪雨と雷鳴の渦中にいた。時折わずかに唸る地響きとそれに呼応するかの様に明滅する蛍光灯たち。私はリトルピープルたちの怒りの章を思い出さずにはおられなかった。「小説が現実にリンクした」そう、小説が現実にリンクしたのだ。いつもは、どことなく心地良い響きに聞こえるそれらの自然音響たちは、昨日今日に限って言えば、不穏な怒りでしかなく私をひどく不安にさせるのであった。今日からBOOK3を読み始める。今日の昼休みに書店で買ってきたのだ。それまでの天吾の章と青豆の章の心地良いマーチのようなバランスは崩され、のっけからアノ不快な牛河の章で立ちあがっている。それからは、バランスを欠いたワルツが始まる。ワルツの法則でいえば、1拍目(牛河)が強で、続く2拍目と3拍目が弱になるが果たしてどうなるのだろうか?牛河の不快さは、喩えるならばドストエフスキーの小説に描かれている饒舌で薄汚れた野心家の姿に似ていると思った。(2010.7.15記)


ここから先、多少ネタバレありかも・・・



昨日、BOOK3を読み終えた。BOOK3はそれまでの物語の進行とは様相が異なり、多少なりとも緩慢であり、まるでBOOK1・BOOK2がコインのオモテ面であるとすればBOOK3はコインのウラ面であるようにも思えた。いや、カセットテープのA面とB面みたいなものであろうか?私にはそんな風に感じられた。それら表と裏はまるで別の物語のようにも思えたが、「1・2」と「3」の前後2部作として捉えるなら十分あり得る話であると思う。また、BOOK3から各章が牛河を含んで3拍になるのも、BOOK『1』とBOOK『2』における「青豆」と「天吾」に対し、BOOK『3』の「牛河」と「青豆」と「天吾」という構成をとっているのかも知れないとも感じるようになった。

今日、書店で手に取った福田和也氏の「現代人は救われ得るか?」という書籍には「動いているのは牛河だけ。動いた者が死ぬ。それは『BOOK3』から得られる教訓」と書かれている。たしかにその通りである。この「1Q84」という作品は実に多義的だなあと思う。物語中において結局語られぬまま終わっている物事がいくつもある。坊主頭が東京に向かうべく車に乗ったままになっていること。牛河の毛を使ってリトル・ピープルが空気さなぎを作っていること。「空気さなぎ」と「リトル・ピープル」の正体、青豆のお腹の中の子の正体、青豆と天吾のたどり着いた世界の正体、そして、「さきがけ」の動向、老婦人の動向、いろいろなものがいろいろな形でほったらかしになっているが、それらの事象はまた謎を抱えたまま完了しているという態勢を維持したまま作品自体が完結してしまっても、それはそれであり得る気がする。

かつてニュースで村上春樹氏が記者の「1Q84の続編は書くのか?」という主旨の質問に対し「BOOK0を書くかBOOK4を書くか、何も書かないか何も決めてない」といった内容の受け答えをされていたような気がするが果たしてどうなるのだろうか?BOOK3は1984年のパラレルワールドとされる1Q84年の10月から12月を描いている。BOOK2は7月から9月でBOOK1は4月から6月となっている。この時系列で考えるならば、時間が一本の直線状として表現されるのならば次の1月から3月は1985年か若しくは1Q85年となってしまう。しかし、青豆と天吾が舞い戻り年が明けて生活を始めた時が1Q84年の1月から3月であったなら、それはどうなるのだろう。それはそれで、何か面白いことが起こるかもしれない。起こるかもしれないけれど、私としては、このまま続編がなく青豆と天吾は一つ屋根の下で新しく宿る生命と仲睦まじく歩んで行って欲しいと思う。そう思うほどに(不本意ながら)感情移入してしまっている。

取りとめのないことを取りとめのないままにツラツラと書き連ねてしまったが、これからいろいろな識者の批評やら村上春樹氏のインタビュー記事やらを読むことにしよう。そして、また新たな世界観なり感想なりを持ちえた際には、再度この作品についての考察を語ってみたいなと思う。(2010.7.23記)

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2

1Q84 BOOK 3

フランス紀行2010【4】~エッフェル塔 おみやげ パスタ~

2010年07月17日 22時36分50秒 | フランス



ガイドブックに載ってたけど、どこで売られているのかわからなくて『結局買えなかったなあ』と思いながらシャルル・ド・ゴール空港の免税コーナーを物色しているときに見つけた逸品がコレ。思わず「万歳!」と心の中で叫んだ。味の程度がわからなかったし、他の方々のお土産は既に選定済みだったので自宅用の土産として購入してみた。





青い食材がなくトリコロールカラーとはいかず(青いパスタが交じっていても非常に困るのだが)色彩的にはイタリアンな印象を受けるも、カタチがエッフェルだから、まあこれも御愛嬌と言うことで取りあえず茹でてみた。茹でた感じは何というか、日本で売られているあたりまえのパスタが何と上質に練り上げられたパスタなんだろうと感心させられるほど、荒々しくボロボロといとも簡単に崩れてしまう残念な質感の製品であった。

さて、お味の程は・・・日本には無い独特のスパイスが利いていて、中には受けつけない人もいるのではないかという味覚が中にはある。普通、日本で市販されているマ・マーの三色マカロニの内訳は、にんじん・トマト・ほうれん草 となっているはずだけど、これはちぃと・・・いや、かなり違うのだ。赤色と緑色はbeetとspilulinaとなっている。意味がわからないのでネット辞書で検索してみるとこうなる。

beet(びーと)
アカザ科の一、二年草。地中海沿岸地方原産。根は円錐形に肥大して径10〜20センチメートルとなり、輪切りにすると同心円状の赤紋がある。根に糖分が多く、一般には砂糖原料用に育種されたサトウダイコンをさすことが多い。ほかに野菜とするカエンサイ・フダンソウなどや、飼料用の品種がある。

spilulina(すぴるりな)
スピルリナ, ラセンモ:青緑色の食用藍藻(らんそう)類

そして、極めつけは黄色・・・この色は、なななんとカレー味!!ななななんでやねん!!

curry(かれー)
カレー(料理) curry with rice [=curry and rice]カレーライス (a) shrimp curry小エビのカレー料理

で、実際に食してみると・・・か、カレーの味しかせんぞ、このパスタ!!!ってことで、カレー味の加工食品が苦手な人には決してお勧めできない代物である。まあ、でも、これを製品化する過程の中で少なくともフランス人の味覚感覚としてはOKだったから、こうやって市場に出回っているわけだし、わざわざ一アジア人でしかない日本人の味覚に合わそうなんて感性は絶対にないはずだから、そういう諸々の事象を差し引いて考えればこういう味覚もまあなんとなく許せてしまうわけで、何日かにわけてマヨネーズで和えたりして食べていると何だか美味しく感じてくるのであった。。。


NHKドラマ「鉄の骨」を見た!

2010年07月03日 22時17分16秒 | おすすめ
以前、書店でその書籍の題名を見たとき、かなり気になって何度か手にとってはいるのだが、購入には至ってない。いいタイトルだと思う。「鉄の骨」と書かれれば、建築関係者でなくたって「鉄骨」を想像し、「鉄骨」から容易に「建築」が連想される。だからこそ、私は書店でこの書籍を見かけるたびに手に取り、パラパラとめくってはまた書棚に戻すという同じ行為を行っているのである。

そうこうしているうちにNHKドラマになってしまった。購入に至ってない主な理由は、我が家にたくさんの「つん読(どく)」されている本がたくさんあるといこうとである。それというのも、初版発売日の数日後に購入している「1Q84 BOOK1」を今日から読み始めたくらいに、私の読書計画は遅々として進んでいないのである。

主演は小池徹平、他に、陣内孝則、中村敦夫、豊原功補、臼田あさ美、カンニング竹山、笹野高史、金田明夫などなど。特に、その武骨さでは何ともいい表情を醸し出してくれる豊原功補は、すごく大好きな俳優なので今後の展開が楽しみである。物語は、「談合」の取り締まりで苦況に立たされた建設業界の内幕を描いているらしい。あまり明るいドラマではなく物語の結末も知らないが、小池徹平の笑顔がドラマに希望を感じさせてくれる。

音楽は川井憲次。最近、NHKと川井憲次のカップリングは多いなあと思う。今回の曲調はあまり川井憲次らしさが出ていないように感じるが、低音楽器によるおどろおどろしいユニゾン楽曲は、ショスタコービチの交響曲第12番「1917」の第1楽章の冒頭にそっくりで、逆にそこが気になりドラマに集中できなくなってしまうというのが難点。

今後の展開に期待。全5回連続。

フランス紀行2010【3】~シュブリーズ村 村の教会 シャルトル大聖堂~

2010年07月02日 00時16分14秒 | フランス



フランス到着2日目、ベルサイユからシャルトルに至る途上で、シュブリーズ村というところに立ち寄る。フランス内でもあまり交通の便が良くなく、どちらかというと王道のコースではないのだが、それだけに観光地化していない村を散策するというのもなかなか落ち着いていていいものなのだなあと思った。





散策の途中でトイレ休憩のために立ち寄った村の教会は、もちろん名も無き教会なのだが、(当然あたりまえのことなんだけれど)これがれっきとした建築様式に基づいて建築されていて、というのも我々の通常目にする教会建築と言うのは所謂有名どころであるわけで、遥か中世の時代より脈々と続いてきた人々の営みの中で生まれた幾多の作品たちの中の特に優れたものだけを見聞きしていると感覚が肥えてしまっていて、逆にこういうものが新鮮に感じてしまうのだなあと思う。それは、フランス料理ではなく村の家庭料理であるとか、バッハの教会音楽ではなく村の昔から奏されている教会音楽であるとか、出雲大社ではなく裏山の小さな神社であるとか、そういう質素なそれたちも実は有名で偉大なそれらとほぼ同じ成分で構成されていることの再確認なのかなと思い巡らされるのである。





シューブリーズ村からシャルトルまでの幹線道路も村と村の間を繋ぐ地方の幹線道路のようなところを延々と走り抜けていくのだ。ただの田園地帯の合間にこれまた名も無き集落が出現してはまたのどかな草原地帯に戻っていくのである。写真は、とある交差点での一コマ。手前の黄色くギザギザに書かれたラインは、フランスではバス停を現している。このバス停。何と、横断歩道の間近に有るだけでなく交差点の途上にあるのだ。日本の感覚でいえば、こういうややこしいエリアからは距離を置いて、車道脇に専用のスペースを設けるものであるがそういう感覚はあまりにないように感じられた。





バスで一時間ほど走るとシャルトル着。この鮮やかで清々しいオレンジ色のバスはシャルトル市内で数多く見かけるので、おそらく地元の路線バスだと思われる。好きなデザインだなあ、こういうのって。





いよいよシャルトル大聖堂が見えてきた。周辺の街並みと比べると相当バカでかいので、だんだん近づくにつれて胸がときめいてきた。





正面から見るとこんな感じ。左右の塔の形が違うのは製作年代が異なるかららしい。この時代の教会建築は現在の形態になるまでにものすごい長い年月がかかっている。





パリのノートルダム寺院と比べると周辺に邪魔な構築物が無く周辺に大きな道路が取り巻いているので割と側面のディティールを楽しむことができるのが有りがたい。どちらかというと堅牢な印象が強いのかなあと感じた。





こういう教会はいずれも建物の配置と方位がリンクしていて、上から見るとラテン十字のカタチをしているこの建物は辺の長い方が西を向いていて、しかもあの有名な2本の塔があるらしい。2本の塔は必ずしも尖塔ではなく、その築造された時代時代によって尖塔であったりなかったりするのだという。ちなみに、この写真は西側から東方向を望んでいる。




この寺院は身廊の主祭壇の直下側の上部が白い石で構成されているので、どことなく明るく抜ける感じがする。そして、有名なシャルトルブルーは写真で見てもその違いがよく理解できなかったが、





実物を拝見すると何となく青いのかなあという気になってくる。ガ添乗員の方は西側のバラ窓とその直下のステンドグラスを指してシャルトルブルーの解説をなさっていたので、実際に私が感じたこの部分もシャルトルブルーと称される部分にあてはまるのかどうかは不明だが、私が今まで目にした教会建築の中では青く透明感があるという印象を受けた。





写真で、その荘厳さや巨大さを伝えることは難しいと思う。広角レンズでの撮影かハイビジョン撮影なんかがいいのだけれど、生憎そんなしゃれた機材はにので、人物との対比でその大きさを伝えてみる。それにしてもあまり日本ではお目にかかれないある意味無駄な吹き抜け空間である。日本でこれだけの空間を作るのは諸般の事情によりいろいろと難しい。それは建築法規という机上の論理だけでなく、気候・風土なんかとも大きく関係してくることなのだ。


次回は、古城ホテルで2連泊の巻


フランス紀行2010【2】~ラ・デファンス セーヌ川 ベルサイユ宮殿~

2010年07月01日 00時30分08秒 | フランス



ラ・デファンスは人工的に作った巨大な人工地盤の上にシンボリックな高層ビル群が立ち並んでいる。では、巨大な人工地盤の端っ子は一体どうなっているのか?、旧市街地からの眺めはと言うと、当然のごとく、人工的な盛り上げられた新市街地を見上げるような感じになっている。しかも、ちょうど私たちの宿泊地付近は新市街地で今もなお継続して建設が続いている地区のものと思われる工事現場事務所が設置されていた。





上から見るとこんな感じ。前の写真はこの写真の左下付近から右方向を見上げたもの。前方の高架道路はデファンスの新市街地をかすめるような軌跡を持って通っていてちょうど写真中央付近で人工地盤上の建物のファサード部分のロータリーにアプローチできるように分岐している。正面の建物は人工地盤の縁に建っており、左手側の旧市街地方向からは地上階を通じて、右手側の新市街地方向からは中層階を通じてそれぞれアクセスできるように設計されている。また、前方の高架道路の下をくぐる電車はSNCF(フランス国鉄)でラ・デファンスを南北方向に貫き、ちょうど新凱旋門の真下で東西交通のMETRO-1号線とRER-A線とTRAM-2号線との乗り換えができるようになっている。





高架道路右寄りの分岐部分をズームアップしてみたもの。この形態は再開発地帯のみならず、フランスでは片田舎の農村地帯でもたまに見られる携帯なのだが、横断歩道部分が歩道の高さに合わせて車道側が凸型に盛り上がっているのである。こうすることで歩行者は無駄な段差を上り下りせず、まさにバリアフリーで横断歩道を往来することができ、逆に通過車両は車体に衝撃が来ないよう相当減速せねばばらず、歩行者の安全がより効率よく確保されるというのである。なかなかいいね、このシステムは!





真横から見た新凱旋門。この角度からの眺めではあまりシンボリックさがなく、とても不思議な感じがする。





グーグルマップで見るとよくわかるのだけれど、人工地盤の真下には自動車専用道路が縦横無尽に走っているのだけれども、今回、バスでこの下を走ってみて改めて思ったのは、地下のトンネル内での分岐ジャンクションが非常に多いということと、ところどころにパーキングが点在しているということである。これらはもしかすると各ビルディング専用のパーキングになっていて車で来訪した人たちは、直接ビル内のパーキングに車を止めるのだろうなあと思ったりした。





ここで、一晩旅の疲れを軽く癒したあと、ツアーバスに乗り込み一路ベルサイユを目指して走りだす。このアングルでグランダルシュを見上げると、割と人工地盤の端の方に建ってるのだなあと思う。





ラ・デファンスからベルサイユへは、セーヌ川を渡った先のポルト・マイヨというところから環状道路に入り、ブーローニュの森の東側を走っていくものだと思っていた。それは、現地駐在のガイドさんもそう思っていたらしく、デファンス地区を抜けてすぐのセーヌ川を渡る手前で「これから、セーヌ川渡り・・・」と言っているそばから、運転手は突如ハンドルを右に切り始めセーヌ側沿いに走り出した。さすが、ラテン気質!!ガイドさんも特に驚いた様子はなく「フランスの人たちはいつもこう。我が道を行くのです」と笑って解説して下さってました。セーヌ川沿いにはたくさんの船舶が停泊していて、これらは住居として使われたり船上レストランとして使われているとのこと。船上生活者立ちは病むに病まれず船上に生活してるというわけではなく、相当のお金持ちが生活しているとのこと。気が向けばいくつもの運河を渡りロシアまでも船で行けてしまえるとか・・・なんとも贅沢な話である。






高速道路でよく見かける運搬車。パリの市街地では連節型のパリの市営バスをよく見かけたが、郊外に出ると連節型の業務用の運搬トラックをよく見かけるのにこれまた驚いた。ちなみにおおタイプのトラックは最大で上に5台、下に4台の合わせて9台を積載して運搬してるのである。日本と比べるとスケールでかいなあと思う。





バスの運転手の突然の経路変更が凶と出たのか吉と出たのか定かではないが、往路のセーヌ川畔沿いの道路は大渋滞で予定よりも相当遅い時間にベルサイユ入りをした我々は、添乗員さんも唸らせるほどの入場待機に出くわしたわけで、団体専用入り口であるBゲート前でおよそ1時間近く待たされるのであった。現地駐在のガイドさん曰く、「あとから遅れてきて、我々より先に入場できる団体もいるが、この国はどういうわけかそれがまかり通る。それに対し不満をぶつけると、逆にイジワルされてなかなか通してもらえないこともあるので、この国では怒った方が負けなんです」とのこと。あ、それ、わかるような気がする。








入場制限も激しかったが、実際に入館してみても館内の混雑は相当に激しいものであった。昔、真冬の朝いちばんに訪れた時は、ほとんど人がおらず床の板張りの模様までじっくり見て歩けたが今回はそうはいかない感じである。





そんな中で、今回のベルサイユで良かったなあと思えたことが2つあった。一つは前回のときに上手く撮影出来なかった王の墓が上手く撮影できたこと、そしてもう一つは、




ガイドさんの巧みな解説で当時の暮らしや背景が立体的に理解できたことである。上の写真左側の楕円の中にある絵は、まるで彫像のように見えるように技巧的に書かれてる。実際は平面だということがだまし絵みたいですごい。こんなんは解説無しでは気が付かないままスルーしてしまいそうな事柄だろうなあと思った。このあと、我々はベルサイユ宮殿横のレストランで昼食を撮り、いざシャルトルに向けてバスを走らすのである。

つづく

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