京都市営地下鉄蹴上駅で下車し南禅寺に向かう。途中インクラインの下を通るトンネルに入ってみるとレンガの積み方が面白かった。
ここへ来たのは一体何度めだろうか?
昔は、傾斜した線路の中ほどに、この台車と船が置かれていたような気がしたけど気のせいかしら・・・。
それにしても、すぐ横ちょに児童公園と民家があって、この民家の人たちは玄関の砂利道から地続きで、インクラインがあり水路閣へ方面へ散策路が続いていて、そういうところに昔から当たり前のように住んでいるのだなあと不思議な感覚になった。
水路沿いに南禅寺方面に歩いて向かう。このあたりはとても眺めがよく、また森の間からの木漏れ日で水路が照らされているところがあったりして、とても清々しい気持ちになる。
流れに沿って歩くと南禅寺・水路閣に到着。ここまで来るとさすがに観光客がたくさんおるぜよ。
どこから切り取っても絵になりますなぁ。
そして、必ず撮影スポットになるのが、このアーチたちとのツーショット。良いねぇ、絵になるねぇ。
お寺の敷地の中に古代ヨーロッパ風の水道橋があるなんて、むっちゃ素敵やと思うよ。
そして水路閣とセットで必ず行きたいのが三門。ただ門の上に上るだけなのに入場料を取られるけど、ここは上るだけの価値は十分あると思う。
日差しがきつい春夏は東面の廊下で涼むのが、とてつもなく気持ちよいのである。我々が腰を下ろしたときは他に一組しかいなかったのだけど、我々が去る時には、我々の両側にビッチリと観光客の皆さんが腰を下ろして歓談をされていた。
のんびりとした優雅なひとときである。三門を後にした我々は、いざ哲学の道を目指して歩いて行った。ちょうどこの時間になると小腹が空いてきて、どこかお茶屋さんにと思ってキョロキョロしていると途中で良い感じのお茶屋さんを発見。店の表の看板を見ながらどれを食べようか物色していると、お店の中から女将さんが出てきて「そろそろ店じまいをしますの。特製ソフトクリームなら食べれますけど、どないします?年中食べれるものじゃあらへんけど、中に花びらが入っていてとても人気がありますよ」という感じで店の中に入って行かれた。言葉ではとても親切なことを言われているのだが、その声色や表情を見ていると「店締めるので、さっさと帰ってんか」と言われているようで、ちーと怖かった。何と言うか怖いもの見たさで入った・・・お昼ごはんの先斗町のご飯屋さんの『顔は笑っているけど目が笑っていない怖さ』に通じるような肌寒いものを感じた。ま、でも女将さん的には全然悪気は無く、むしろフル・スタンダードなんだろうけど、さすがブブ漬け文化の京都国(きょうと-こく)の住人さんやなあと思った。
それにしても、石碑の前にロープって・・・。
哲学の道の南端にかかる橋の名をずっと「わかおうじ」だと思っていたが、
今更ながら「にゃくおうじ」なのだと初めて知る。哲学の道の「哲学」のいわれとなった西田幾多郎さんの名前を大学生のある時分まで「いくたろう」と思っていたが、実は「きたろう」なのだと知ったときの衝撃と似ていた。
哲学の道の途中まで行ったところで、だいぶ時間が遅くなってきたので引き返すことにした。来た道を戻らずに西進して平安神宮・岡崎公園方面を目指すことにした。途中、エネルギーが切れてきたので、ガソリンスタンドに・・・いやガソリンスタンドに併設しているドトールに立ち寄ることにした。行楽地に来てまで「ドトール」とは普段ならNGに近い選択肢だが、今日ばかりは両者一致で「ここにしよ!」ということになった。そうなった第一の理由が京都国(きょうと-こく)の恐ろしさに触れたので、全国どこでも同じサービスを提供できるという安心感のあるチェーン店にしようという結論に達したのである。ここで、心を満タンにした我々は、再び平安神宮を目指して歩き出すことにした。(ちなみにガソリンスタンドはコスモ石油ではなく、エッソやったのだけどね)
京都イチ大きな鳥居と・・・
日本中どこにでもあるちっぽけな鳥居・・・(in先斗町)
平安神宮は18時の閉門の10分前に中に入ってプチ物色。
ちょうど、そのあたりで夕景と遭遇したのである。写真は、シャッタースピードを設定したので暗くなっているが、実際はもっと明るいのだ。夏至までもうあと一ヵ月なんやね。この日の入りの遅くなっていくことを肌で感じる5月の感覚はものすごく好きである。
赤バイク&赤コーン&赤鳥居の素敵なコラボレイト
蛇足だけど、久しぶりに京都に来て思ったことを書いてみよう。阪急の河原町駅を出てすぐにマツモトキヨシが出来ていて、京阪の三条駅の駅前ビルにブックオフが入居していた。なんか、すこしずつだけど街並みの中に大手チェーン店が進出して全国の街を平準化している。そう最初に感じ始めたのはローソンやらマクドやらの景観論争の頃だが、今では何でも無いようなチェーン店の看板までもが街並みの中に自然に表出し始めているように感じる。いや、そういう流れの加速度が既に止まれないという現実にもはや誰も何も感じなくなっているような、そんな不思議な危機感を感じた。
それとは逆に京都中にひしめいている、とっても地味なデザインのバスたち。小豆色の京都バスと抹茶色の京都市営バス。どちらも地味な色彩があまり好きでなかった京都のバスだけど、これはこれでとても京都の街並みに溶け込んでいて良いなあと感じた久々の京都巡りであった。