まっしゅ★たわごと

街歩き、建築、音楽、フランス、それに写真の話題を少々

バベルの塔と平城の神々

2006年07月31日 22時53分51秒 | 建築

先週、きつおさん宅にお呼ばれしてきた。途中「まっしゅならきっと気にいるから!」ということで、とある建物の前に至る・・・こっこっこっ、これわぁ!!

ババぁーん!バビルの塔である。平城の地のこんな山の中にあったとは、世界ふしぎ発見な私であった。それは、丘の上に立ち、近寄る事すら恐れ多く丘の下から見上げると地平線の彼方に立ち現れ、

決死の覚悟で近寄ると巨大過ぎてカメラに収まらない・・・こんな事ならば広角レンズも持って来るべきだった(涙)

きつおさん!こんな建物を紹介していただけるとは正直ビビリました。そんな、きつおさんは実は二児のパパで仲良し親子でした。嗚呼!羨ましい!!

ふと、立ち止まってソラを見上げると不思議なカタチをした雲たちが・・・まるで、平城の神々が雄大に空を駆っているようにも見えてくるのだから、不思議な土地である。

そういうイマジネーションを抱いて、この塔を見上げるとそれはまた【火の鳥~太陽編~】のような「西の信仰」と「東の信仰」のドラマチックかつファンタスティックな風景に見えてこなくなくない?

 


交響曲第13番「バビ・ヤール」を購入してみると・・・

2006年07月29日 21時20分51秒 | 音楽

先日、ショスタコーヴィチの交響曲第13番「バビ・ヤール」のCDを購入してみた。同曲は今回のCDで二枚目になる。この曲の第一楽章のタイトルも「バビ・ヤール」になっていて、以降の楽章にも「ユーモア」「商店で」「恐怖」「出世」というタイトルが付されている。

前に書いたかもしれないが、この曲は当時の反体制派運動に関わっていたエフゲニー・エフトゥシェンコ氏の詩「バビ・ヤール」にショスタコーヴィチが氏の許可を得て楽曲化したのである。このあたりの詳細については先日紹介した書籍「大審問官スターリン」の中でも記載されている。

この曲は、バス独唱と男声合唱でエフシェンコ氏のポエムが謳い上げられるのだけれども、なんせロシア語なので何を言っているのかさっぱりわからない。CD解説書の後ろの歌詞対訳を見ながら曲を聴いていて最後のページまで辿り着いたときにゲゲゲと思った。なぜならば「(訳:亀山郁夫)」と書いてあったからである。

タイムリーというか奇遇というか、たった10日くらいの間に異なるアプローチからショスタコーヴィチと亀山郁夫氏が2回も繋がったのである。社会人になってから「異なる興味の対象が双方向から繋がり、そして広がっていく」という経験が極端に少なくなっていただけに、今回のこの予想外の出来事は私をドキッとさせたのであった。

またまた本城直季風の画像を作ってみる

2006年07月25日 23時55分28秒 | 写真

昔、本城直季氏の写真を紹介してから何度か氏のタッチに近づけるべくフォトショップで画像加工を試みている私である。

残念ながら現在、私の所持してる機材ではどうにもこうにも、そんな絵は絶対に撮影不能なのでとても残念に思っているのだけれど、わざわざコレだけのためだけに機材を揃えるほどほどの情熱も資金もないので、しばらくは加工して遊んでいるだけになるだろうと思う。

しかし、なんと言うか目の錯覚なのかどうなのかわからないが、前後の風景をぼかすとまるで模型写真のようになってしまうのは不思議である。科学的な説明を聞いて見たいものである。

ちょっと、この写真は上手く処理できてないけれども、早くも懐かしい風景になっているので取り合えずアップすることにしよう。

 


藤田嗣治氏の絵画展を京都に見に行く

2006年07月23日 21時53分22秒 | フランス

ベル・エポックと呼ばれた時代にパリで活躍した芸術家の一つの群象であるエコール・ド・パリのただ中に、唯一日本人として存在していたのが、この藤田嗣治という男である。

26歳のときに単身パリに渡り成功した画家の生涯を追うカタチでこの企画展の絵画は配されていた。そして、私の目的はチラシにも描かれている「カフェにて」という絵を見る事と、当時のパリの雰囲気を彼の絵から感じることであった。

小雨が降りしきる中、今日が最終日とあって大勢の入館者がおり、全てを見終わることにはヘトヘトになっていた。順路の比較的最後の方に置かれていたこの絵の前に立った時には「やっと、ここまで辿り着いた」という印象を持ったほどである。また藤田氏の人生も何故かしら紆余曲折を経ながらの長い道のりだったのではないかと思った。

後年、藤田嗣治氏はフランスに帰化した数年後、ランスの大聖堂でキリスト教の洗礼を受け「レオナール・フジタ」と名乗るようになる。もちろん、洗礼名のレオナールとは氏の尊敬するレオナルド・ダ・ヴィンチから取った名前である。

フランスに滞在しても、また日本に帰国しても、またフランスに渡り帰化しても、常に異邦人でしかなかった彼の心象風景が常に作品に表れているのではないかと私は感じた。

京都国立近代美術館4階の常設展示場には、今回の藤田嗣治展の開催に合わせ「特集展示」と称して【パリ-日本】というものと【藤田嗣治と二科・九室会の画家たち】というものをやっていた。

ほとんどの入館者は企画展示だけ見て帰ってしまうけれど、レオナール・フジタの作品を見た後であればこの「特集展示」はなかなかの見ごたえが有り面白かった。こちらの方は8月中まで催されているようであったので興味の有る方はどうぞ。

第9回探検隊の電柱の写真、その他もろもろ

2006年07月23日 11時55分19秒 | 写真

ryuさんよりリクエストのあった「電線」の写真などをアップしてみる。

行方不明になった方々をお持ちしているときに撮ったもの。交差点の端にあった電柱を見上げた像である。

 

上に同じ。雨上がりのタイルはつやっぽく見えて好き。特に斜陽の頃はタイル一枚一枚のテクスチュアが感じられて妙に好き。

 

赤と青がシンメトリックにおさまる位置を発見して思わず激写。

 

喫茶みわくに向かう途中に撮影。地下出口を上がってすぐの所。

 

「ルビ井中」・・・単純にゴロにウケタので撮影。事業所のファサードにこういう文字列を掲げているトコロもなかなかないのでは?

 

解散前に最後に渡った信号の画像。右隣の三階建ての建物は、かっさんやかっちさんに評判だったけど・・・↓

 

じゃじゃ~ん!「劇的ビフォーアフター『ザ・コアラビル』」

・・・って、ただのアホです。

 


NHK「フランス縦断の旅」、生放送ならではのツッコミ所

2006年07月21日 00時15分53秒 | フランス

↑写真はいずれも2004年3月撮影のもの

フランス関係の番組で生中継というのは、そう滅多にお目にかかれないがそれがもう例えソレがフランス第2の都市からの生放送というのは、大きな事件や事故でも無い限り無理だと思っていたので、今夜の放送はかなり楽しむことができた。そう、これは純粋に番組への感謝の想いである。

そして、2年前の冬にリヨンを訪れた際に掛け足で見て周った景色がブラウン管に映し出されるのがまたとても懐かしかった。しかも、パリと違ってリヨンの旧市街地はメインのストリートでも道幅がせまくテレビ画面に現れる映像は本当に手を延ばせば届きそうに思えた。

←中央に溝があるのが特徴

それと結局、体験する事が出来なかったトラブールをこれだけ詳細な映像で見ることが出来たのがこの番組のいちばんの収穫である。ちなみに、いちばん最初に突入したトラブールの入口は「9,rue des Trois-Maries」にあり、出口は「17,quai Romain Rolland」にあるので書き留めておく。(簡易版のトラブールマップを持っているので・・・)

さらに、中盤に出てきたソフィという夫人の庭の紹介があったが、庭からの眺望の映像と続く絹織物工房の映像で、そこがどこなのかがすぐに理解する事ができたのは個人的にはものすごく嬉しかった。

↑フルヴィエール行きのケーブル

で、住吉アナが「今からあのケーブルに乗ってフルヴィエールの丘へ・・・」と言ったときに指をさしたケーブルカーが手前と奥と2つ有るうちの手前側を指していたので「いやあ、まさかな?」と思っていたのだが、本当に違う方面のケーブルに乗ってしまっていたのには驚かされた。

この駅からは微妙な距離感を持った同じ名前の駅からまったく違う方向へ至るケーブルの路線が2系統存在しているのである。少なくとも同行していた加藤紀子には気がついて欲しいところであった。

↑フルヴィエール行きのケーブル

でも、前回までの放映分とはうって変わり加藤紀子が積極的に会話を試みていたところが見所かもしれない。特に「パリ」の回のセーヌ川上に住む建築家邸でのシーンにおいて、フランス語のわからない私でも「その通訳本当にあってるの?」と思う場面があり、実はmixiの某コミュニティでかなりコメントを書かれていたようなので、「名誉挽回&汚名返上」を目指したのかな思ったりする。 さては、mixiを読んだのかも・・・変にテンション高かったし・・・。

いずれにしても、懐かしさ前回の今夜の番組であった。

 


感動!涙のヴェズレー物語

2006年07月19日 23時54分49秒 | フランス
「フランス縦断の旅」第四夜は「ヴェズレー」であった。実はヴェズレーには今まで全く興味が無く、どういう意味合いを持った土地なのか、ほとんどと言っていい程知らなかったのだが、ちょっとウルウルと来てしまいました。

これが生放送の醍醐味なのかと思うほどに・・・というのもメインのリポーターである住吉美紀というNHKアナウンサーが二度も涙ぐむシーンがあったのだ。しかも最後は三人全ての女性リポーターが涙を浮かべながらエンドロールが流れるという異例の終わり方をしているのである。

なんだろ・・・フツーなら視聴者を感動させるために、荘厳な音楽などを駆使して番組を盛り上げていくのが定石なのに、なんのバックグラウンドミュージックもなく、ただ現地の方の昔話が通訳を介して語られたり視聴者からの手紙が読まれていく過程の中で、視聴者を楽しませなければならない立場の人々が自ら感極まってしまうという・・・そういう場所性というか土地のシチュエーションにウルウルと来てしまったのである。

そして明日は待望のリヨンである♪

「大審問官スターリン」という書籍

2006年07月18日 23時44分05秒 | おすすめ
書店に並んでいる幾多の書籍に紛れて「大審問官スターリン」という背表紙のタイトルを見た瞬間、私は心なしかトキめいた。「このタイトルのこの単語の組み合わせは出来過ぎている」そう直感的に思ったのは私だけではないはずである。

大審問官」はロシアの文豪ドストエフスキーの書いた「カラマーゾフの兄弟」に出てくる劇中劇の主人公をまず想起するし、そこにまたソビエト社会主義共和国連邦の圧制者スターリンの名がくれば、「その道」の人はビビっと来るはずである。

ココで言う「その道」の人とは、別に政治思想的に偏りの有る方のことではなく創作の代名詞でもある「大審問官」という言葉と、社会主義レアリズムの代名詞「スターリン」という固有名詞の組み合わせの妙がわかる方のことである。そして、手にとってその本の帯を見た瞬間、私の直感が正しかったということがすぐにわかった。

『芸術とは、権力とは何か?神は存在するのか、しないのか?
 ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、パステルナーク、
 ゾーシチェンコ、ドヴジェンコら、世界的な芸術家、作家たちと
 歴代の秘密警察長官を巻き込み、スターリン支配下に現出した
 恐るべきテロルの実態をえぐる迫真のドキュメント!』

これまで様々な音楽関連書を読み漁り、そのときショスタコーヴィチはいかなる状況で二枚舌を用い、いかにして交響曲第五番を創作し、いかにして粛清を免れてきたかを知ろうとしたのであるが、これまでのどんな専門書にも書かれていなかった恐るべき真実が語られているのである。

スターリンという生き方に巻き込まれていく幾多の芸術家の姿が浮き彫りにされていく。音楽好きとしての聴き手や演奏者という立場からでは決して読み取る事の出来ない恐るべき時代の大テロルの実態と、それに至るスターリンのパラノイアに対する分析、そして粛清された芸術家たちはどこで何を間違えて消されて行ったのか?スターリンは彼等の描いた「どの言葉に?」「どの音に?」そして「どの思想に?」ダメ出しを下したのか??

戦後間も無い有る時期にスターリンはこう言ったという。
「1人の人間が死ぬときは悲劇だが、何万人の人間が死ぬときは統計だ」恐ろしい言葉であるが、それは悲しいかな事実でもある。

当時「プラウダ紙」の批判にさらされるということが一体どういうことであったのか?彼等は一体誰の為に作品を作り続けたのか?それでも何故作り続けたのか?本書を読み終えた昨夜、その答えの一端を垣間見たような気がした。



「世界遺産 フランス縦断の旅」という番組

2006年07月17日 20時38分21秒 | フランス
昨夜からNHK総合で放映されている「世界遺産 フランス縦断の旅」という番組がある。昨日はフォンテンブローからの生中継で、今夜はセーヌ川からの生中継、そして番組は8夜連続で続いていく。

http://www.nhk.or.jp/france/course/index.html

生中継なんだけれども、そこは「さすがNHK」といった感じで企画・構成スタッフの手腕と、その苦労のあとが滲み出ている。要所要所でVTRが挿入されるものの日本人リポーターがフランス語に長けた人が担当していて、現地フランス人との会話も全てネイティブなやりとりのもとで行われていくのがものすごく魅力的である。

明日からは徐々に南下して行き、最終回はマルセイユへと至るらしい。かつて私が訪れたリヨン・アビニョン・マルセイユも一夜ずつ紹介されるみたいなので、もう今から楽しみで楽しみで仕方がないのである。