姉の嫉妬もなんのその
オストフリースランド公夫人 ソフィー・カロリーネ
アフ・ブランデンブルク=クルムバハ
1707~1764/愛妾 1740~1762
ソフィー・カロリーネはブランデンブルク=クルムバハ家のクリスチャン・ハインリヒの娘で
クリスチャン6世王妃ソフィー・マグダレーネの妹にあたります。
1723年にオストフリースランド公ゲオルグ・アルブレヒトと結婚しましたが
11年ほどで死別して27歳で未亡人になりました。
まだまだ再婚のチャンスがやってきそうなお年頃ですね。
美しくてチャーミングの誉れ高いソフィー・カロリーネは
1740年に義兄クリスチャン6世から招きを受けてデンマークを訪れます。
これは特に珍しいことではありませんでした。
方々の親族訪問(&滞在)が貴族の仕事みたいなもんだからね。
珍しかったのはソフィー・カロリーネがそのままデンマークに居着いちゃったこと。
当時の訪問は数年におよぶことはよくありますが
彼女は死ぬまでデンマーク宮廷から離れませんでした。
お姉様のソフィー・マグダレーネは妹にジェラシーを感じていたようです。
そりゃあそうだわね!
たぶん、遠回しに帰国を促したり、邪魔者だと臭わせたり、縁談を考えたりして
追い出そうとしたんじゃないかしら?
日本では豊臣秀吉の側室淀君が妹お江に対してそうだったとされております。
しかしソフィー・カロリーネは姉の気持ちを知ってか知らずか、見て見ぬふりか
24年間デンマーク宮廷に居座っておりました。
王妃の妹として優遇されただろうし、実家よりゴージャスだから
気分が良くて帰らなかったのかもしれない…とも考えられますが
ソフィー・カロリーネの死後2年目の1766年にアンナ・ソフィーという女性が
クリスチャン6世とソフィー・カロリーネの娘だと言って年金を要求し
これを機に愛妾だったという噂が広がっています。
クリスチャン6世とソフィー・カロリーネの不貞の証拠は見つかっていません。
事実はどうであれ、姉の刺すような眼差しを受けて居続ける図太さ…凄いね。
他にも行くところはあったでしょうに…
やはり愛の力なのでしょうか?
(参考文献 Wikipedia英語版)
オストフリースランド公夫人 ソフィー・カロリーネ
アフ・ブランデンブルク=クルムバハ
1707~1764/愛妾 1740~1762
ソフィー・カロリーネはブランデンブルク=クルムバハ家のクリスチャン・ハインリヒの娘で
クリスチャン6世王妃ソフィー・マグダレーネの妹にあたります。
1723年にオストフリースランド公ゲオルグ・アルブレヒトと結婚しましたが
11年ほどで死別して27歳で未亡人になりました。
まだまだ再婚のチャンスがやってきそうなお年頃ですね。
美しくてチャーミングの誉れ高いソフィー・カロリーネは
1740年に義兄クリスチャン6世から招きを受けてデンマークを訪れます。
これは特に珍しいことではありませんでした。
方々の親族訪問(&滞在)が貴族の仕事みたいなもんだからね。
珍しかったのはソフィー・カロリーネがそのままデンマークに居着いちゃったこと。
当時の訪問は数年におよぶことはよくありますが
彼女は死ぬまでデンマーク宮廷から離れませんでした。
お姉様のソフィー・マグダレーネは妹にジェラシーを感じていたようです。
そりゃあそうだわね!
たぶん、遠回しに帰国を促したり、邪魔者だと臭わせたり、縁談を考えたりして
追い出そうとしたんじゃないかしら?
日本では豊臣秀吉の側室淀君が妹お江に対してそうだったとされております。
しかしソフィー・カロリーネは姉の気持ちを知ってか知らずか、見て見ぬふりか
24年間デンマーク宮廷に居座っておりました。
王妃の妹として優遇されただろうし、実家よりゴージャスだから
気分が良くて帰らなかったのかもしれない…とも考えられますが
ソフィー・カロリーネの死後2年目の1766年にアンナ・ソフィーという女性が
クリスチャン6世とソフィー・カロリーネの娘だと言って年金を要求し
これを機に愛妾だったという噂が広がっています。
クリスチャン6世とソフィー・カロリーネの不貞の証拠は見つかっていません。
事実はどうであれ、姉の刺すような眼差しを受けて居続ける図太さ…凄いね。
他にも行くところはあったでしょうに…
やはり愛の力なのでしょうか?
(参考文献 Wikipedia英語版)