バラの住人

花弁の中の小人を探す そんな小さな日記です
もしもあなたが見つけても どうぞ秘密にして下さい(笑)

あした

2011年03月30日 | 我が家の伝言板
 Kちゃん。今夕日が綺麗な日が多いのよ。
夕日など見られない日々が続いていますか?
裏庭に沈む夕日です。

 

久し振りに残り花で、アレンジメントを作りました。
少し春色に見えますか?
 
 

仏様にお供えした花の残りですよ。

Tちゃんの衣装合わせの日にイグレックでお食事をしました。
お相手は爽やかな好青年でした。
コーヒーが美味しかったです。気の利く貴女の叔母は母にお土産も持たせてくれました。
イグレック特製のラスクで、三種類入っていました。

 

面白い写真が兄から届きましたよ。Hはこんなに大きくなっています。

 

兄さんも広告を見るのが好きだったけど・・不思議ね。

明後日は入社式?社長が新聞で「他企業同様、女性の育成と登用が大きな課題だ。男性のまねはしなくていい。組織で女性がステップアップするには、企業の努力に加えて、女性自身が自分の中にある壁を乗り越える努力が必要だ」と言われていたわ。
母にはよく分からないことだけれど。
そして「私たちの強みは研究や技術を土台にした品質。厳しい時代だからこそ、もっと自信を持とうと社員に言っている」と。
これは分かるわ。
あなた達の商品はgoodよ。Kちゃんガンバッテ。

そして会社もこの度のことで、きっと何かのエールを考えておられるのでしょ?
夢を織り込み続けたあなた達の製品は、被災地の女性のメンタルを支えるわ。あなた達の仕事が、ソフトであっても見えない先に光を放つことを覚えました。敗戦後の焦土に立って、暗闇の向こうに見い出された光こそ、創業者の社会復興への信念であられたのではありませんか?
不動の信頼を一助に、社が社会に貢献されることを期待します。そんな中にあって、一隅を照らすにあらずとも、使命感を持ち続ける人であって下さい。
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2011年03月29日 | 記事日記
 形容し難い災害から、金曜日がくれば三週間になります。
放射能漏れという二次災害も起こり、予断を許さない状況にもあります。
そんな苦境の中にあって、被災地に向けての救援も日を追って進み、多くの方の募金という後方援助も、早いスピードで集まりつつあると言われています。
わたくしも、いつもご批判を頂く方からの重なる批判に、色々な捉え方があるのは許容範囲内だとの意志を強く持って、自文を読み返し、私人に刃を向けるくらいの悪質なものでない限り、言葉で封じ込められることのないように、自らの表現を続けて行こうと思います。
励まして頂いた諸先輩方に心より感謝申し上げます。

時間や歳月は非情なくらい、悲しみを置いて前へ前へと進んで行きます。
その時間と共に生きるしかないわたくし達は、せめて “このことを忘れない” という行為で、それらにあがなっていくことではないかと思います。
しっかりと胸に抱く為に、自らのライフワークである、出来事の整理を続けました。

  

十六年前の、わたくしも体験した阪神淡路大震災も、決して忘れないという行為のために、いつでも取り出せるように手元に置いています。
当時地元新聞社は、不眠不休の努力で、一日の休刊もなく現況を報道し続けました。
“がんばろう”を呼び起こす素晴しい記事も、たくさん残されています。

   
    
 
そんな中、やはり心を捉えて離さないものに子供の写真があります。

  

水汲む男の子は今回の震災に合いました。女の子は当時の神戸の少女です。お母さんが着せたのでしょうか、大きな防寒着を着て、それでもしっかりと手にはパンを持っています。健気でいじらしい姿です。
男の子はキッと唇を噛み締め、状況にしっかりと耐えている、意志の強い見事な表情でした。

復興までにははるかに長い道のりです。少女はこの体験をバネに立派に成人されたことでしょう。少年も二十年後にはおそらくお父さんになっていることでしょう。我が子のために、自分の体験したことをきっと語り継ぐに違いありません。
それがとても大事なことなのです。
いつか果たされる復興が、過去の姿を消したとしても、今のこのことを忘れない、必ずや未来に生かす、それが容赦のない災害に立ち向かう強い礎ではないかと思うのです。

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負けない

2011年03月24日 | 記事日記


 今朝のことでした。いつもの道のウォーキング帰り、竹やぶから道端に椿がこぼれ落ちていました。
紅色の美しい藪椿です。まだ強い生命力が残されているように見えました。
余力を残す椿は手にのせても暖かでした。
わたくしは敬愛するM先輩が、庭に咲きこぼれた椿の花を、綺麗にお皿に並べて見せて下さった美しさが忘れられず、家に持って帰りました。
合いそうな葉っぱをちぎってグラスに生けて見ました。
花の持つメッセージ性に、言葉が連なって行きました。
自分を信じようと思いました。

落ちてなお 生きるすべあり やぶ椿
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2011年03月21日 | 記事日記
 裏池で、いつもずっとひとりでいたグレーの鳥に、最近白い鳥が、そばに居付くようになりました。
何をするでもなく日長じっとしています。
そして日が沈む頃に二羽が揃っていなくなります。
そして翌朝、また揃って現われます。
鳥の世界のことは、からきし分かりませんが、不思議でなりません。

   
  
そばに居る。このことだけでいいのだと思えてしまう光景が、毎日視界に入ります。
相手が病気で辛いとき、そしてどうしようもないとき、そばに居てやる。
これは出来そうで、難しいことです。どうしても自分優先になり勝ちです。

私達夫婦も究極どんな姿を見せるのか、恐いときがあります。
心して気をつけなければならないことだと思います。

最後にはそばに居る。このことが試される道を、今歩いているのだと思っています。
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美しき青春

2011年03月21日 | 我が家の伝言板
今日は朝網でいかなごの入荷がありました。
さぁ、昨日の闘志と愛情の全てをぶつけ、Jさんは今愛しのかのギョを煮て食おうとしています。。
大きな背中がやたらと真剣です。
かのギョにチラッと目をやるテクも忘れません。
 
   

絶妙な火加減が功を奏して、ハイ簡単に出来上がりました。

   
   

一回目の1㌔が左側、二回目の1㌔が右側です。
日を置いてもう2㌔炊くそうです。
大したものですJさんは。

何でもいいから練習して、これからに備えましょう。
<料理は身を助ける>これ男の本領。
<男を誉める>これ女の良心。

助け合って、仲良く暮らしましょうねJさん。
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足音

2011年03月20日 | 我が家の伝言板


今日はいかなごを炊くぞと張り切って、段取りのいい段ディpapaが、砂糖をいかなご1㎏につき230gをきっちり計量して、スーパーにかのギョを求めて、韋駄天走りに出かけて行きました。

「ただいまぁ」
おや?いつもの元気さがありません。

「どうしたの」
「いないんだぁ。どこにもアイツがいないんだ」

そう、日曜日はいかなごの保護のために漁がお休みなんですって。
それはしかたないわね。だからって泣く事はないんじゃない。

ところで君たち。くぎ煮いります?
美味しいのよ。
播磨の路地にこの甘い匂いが漂ったら、春は捕まったと言われているわ。
神戸からもきっとたくさんのくぎ煮が、ご縁のある被災地の方々に届けられるわ。
負けなかった神戸の人が、くぎ煮が炊けたと泣かれたのよ。

お父様の力作よ。噛み締めて欲しい。
そして 耳に届く足音が 変らないという幸せを。
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耐える人たち

2011年03月20日 | 記事日記
       

     この花が もしもあなたの 化身なら
 
      あなたを抱き 北の名を呼ぶ
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五歳のパワー

2011年03月20日 | 記事日記
 わたくしの二人の子供は進学のため、それぞれが18歳で家を出ました。
息子は県内でしたので、月一で夫と下宿を訪ねて嫌われました。
娘は東京でしたので、夫が出張の折、月一で住まいを訪ね嫌われました。

母の淋しさを支えたのは子供達が描いた絵でした。
父の仕送りを励ましたのも子供達の描いた絵でした。

所々に飾られ、折にふれ「よし頑張ろう」と今も思います。
絵はそんな不思議な力があります。

 
  娘14歳
 
 息子9歳
 
 息子12歳


わたくしは何かの事情で、これらの絵の全てを無くしても、何が欲しいと聞かれたら、幼き子の描いた絵が欲しいと言う気がします。
生きた絵は力があり、夢があり、希望につながります。

落ち着いた後に来る苦しみは、言いようのない喪失感です。
メンタル面でのケアが必要な方がいっぱい出て来られます。
複製画でない、お金の絡んだアートではない、隣の幼稚園児らの描いた絵が、大きな力になることを信じています。
 
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伝言

2011年03月16日 | 記事日記


日頃は何をするのも面倒で、Jになど何でもいいわと思いますのに、今日はせっせといなりずしを作りました。
お皿に乗らないものが後10個あります。

簡単です。100個でも200個でも作ります。届けられるものなら300個だって。

思いを込めてに握りました。

拳を握れば少しは元気が出でるでしょうか。

そんな思いのメッセージボードです。
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人知を超えて

2011年03月13日 | 記事日記


 裏池の向こうに今日の太陽が、空を焼いて沈んで行きます。
重苦しい一日でした。
国民が力を合わせてこの国難を乗り切ろうと、総理大臣の演説が聞こえて来ます。

国難。戦争を知らない団塊の世代が、目の当たりにする国難です。


経済相が、輪番停電のあり得ることを話しました。
国民も出来るだけ節電に協力して欲しいと。

わたくし達夫婦も話しました。まず門灯、庭灯、廊下の電気を消そう。
暗い内外ですが、暫くこんなことから協力して行こうと。

パソコンも出来るだけ短時間に自粛します。
そしてわずかばかりでも義援金に協力します。

こんなことがせめてもの我が家の具体事項ですが、“頑張りましょう” の応援は忘れません。

16年前「がんばろうKOBE」あの言葉が想像以上の私達のエネルギーでした。
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今夜の月は・・・

2011年03月11日 | 我が家の伝言板
 

Kちゃん、片づけも終わって、母は外に出てみました。
上の欠けた月が冴え冴えとして、屋根の真上に上がっています。
貴女はもう家に帰っていますか?

忙しい貴女に連絡をするのも控える日々でしたが、突然に、昼間に電話が掛かって来たのにはびっくりしました。
「お母さん、大丈夫?今ほら揺れてるよ。聞こえるでしょ、社内放送で緊急事態を知らせているのよ」
私はその電話を受けても事態が飲み込めなかったわ。だって何事も起こってないのですもの。

「TV見て。宮城で大変なのよ」
「宮城?京都の貴女が揺れてるの?」
間の抜けた返事をしていましたが、TVを見てびっくりしました。遠く離れた京都まで揺るがす大地震が起こっていたのです。

お父さんも帰ってくるなり、貴女の携帯を鳴らそうとしました。
貴女が東京にいると思ってのことでした。
「大丈夫。kちゃんは今京都よ。向こうから<こちらは大丈夫か>って」

日頃疎通のない親子でも、こんな時は引き合うのね。
老眼鏡を掛けるのも忘れて、携帯に貴女の名前を探すお父様の姿は印象的でした。


被害はまだ定かではありませんが、つなみのすごさにぼう然としました。
上がる火の手に母はあの神戸の震災を思い出し、その後元気を無くしました。

マグニチュード8.8。未曾有の巨大地震です。朝の明けるのが恐いです。どんな被害が現われてくるのかと思うと眠れそうにありません。

悲しいですね。自然災害の前には太刀打ち出来ないのですね。

こうして、何度も何度も災害は繰り返され、打ちのめされて。
kちゃん、今日はありがとう。それしか言えないけれど、元気でいてね。

月も凍えるように冷えて来ました。一刻も早く家に帰って下さい。
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感謝状

2011年03月11日 | 記事日記
 パソコン教室の特別授業で、ブロブを学び、わたくしとしては、並々ならぬ努力の末、何とか掲載ノウハウを会得して来ました。
その間、色んな記事掲載を拝見し、忽然と現われる人物像に驚いたり、知らずと琴線で繋がっていく魂の不思議に驚いたりして来ました。

実はこの間に少し犠牲になったものもありました。
夫への愛の欠落は想定内とはいえ、わたくしのもうひとつの世界、ずっと続けて来たアナログブログに穴が開きました。

 

50歳になった頃、これから何年生きるのだろう、80歳まで生きるとして、一万日。
そうだ。ありがとうを書いていこう。探せばあるありがとうを小さなノートに拾い集めて行きました。
タイトルは「私の感謝状」。見開きページの最初に「一万枚のありがとう」と書き込みました。
それから12年、こつこつ書いた非公開ブログが、13冊になっていました。

 

わたくしのような公開簡単ブログといえども、時間が掛かり、段々と目立たないアナログブロブのほうにしわ寄せが出て参りました。
予定では4,000枚を越えていないといけないところ、3,815枚で止まっています。
困った時は初心に戻れ、少し意味が違いますが、わたくしに取って大切なこの事に注意を払おうと思いました。

自分にとって大切なことを見落とさないことは、大変重要な事です。
感謝を集めた花束を作ることは、たとえドライフラワーになっても大切な事でした。
新鮮な時に感謝を言えることはもっと、もっと大切なことですが。




      この記事を書いた後に大変な地震が起こりました。
       わたくしにご縁を頂いた皆様、お変わりありませんか?
       お見舞い申し上げます。
       あの恐ろしかった阪神淡路大震災が思い起こされ、その後トラウマのような現象が現われて、
       気持ちが落ち込みました。
       被災地の皆様の、被害の最小限に少ないことを心から願っております。
 
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真心

2011年03月04日 | 記事日記
       

               下向けば あなたの愛が みえそうで 

                    上向くことは 二の三の次
 



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空飛ぶ貴女へ

2011年03月03日 | 記事日記

                          桃の節句に雪が舞い 

                

                          先生恋しや花いちもんめ

    

    

    

                        どの子が欲しい花いちもんめ

                                     この子が欲しい花いちもんめ

                  

                          先生恋しや花いちもんめ

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雛によせて

2011年03月02日 | 我が家の伝言板

              

 明日はひなまつりです。

当地方ではまだまだ旧暦で行事が行なわれますので、今から一ヶ月後の四月三日まで人形が飾られます。

市松人形を出してみました。髪を整え、顔を見ますと母に見えました。

目の大きな、少し悲しげな表情をする人でした。

普通娘を思いますのに、不思議な感情でした。

「お母さん・・・」昨日は薄曇りの後に、雨になった日でしたが、鶯の声も聞きました。

対岸に聞こえる、まだ初鳴きのか細い声にも「あっ お母さん」と思いました。

母が逝って二年と半年。一番会いたい人です。

 

「もうこれくらいにしなさい」母の名言で、夫との結婚を決めた時、次に来る三月三日に「うれしいひなまつり」の音楽が流れる中、披露宴に向かうのが、三姉妹の長女のささやかな希望でした。

夫は聞き入れず出会いから、四ヶ月後には結婚式になりました。

枯れ葉舞い散る秋の日のことでした。

春三月が秋になったその訳は・・・知らないわけではないですが、風がし~っと唇を押さえます。

 

お母さん 何とかやっておりますよ。

“これくらいにした人”は今日もみぞれ混じりの寒い日に、白い球を追いかけています。

貴女に誉められたくて、私も最近必死です。

お母さん 明日はひなまつりです。

貴女の髪を撫でながら、聞き逃した音楽と、私を待っていそうな貴女に献杯を。

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