渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

埼玉県北部を自転車で行く

2024年05月20日 | open

【バイク女子納車動画】新車
はまさかのアレ…!?
怖すぎる初公道であわや事故
りそうに…※転倒注意


SP(埼玉県道)164号旧中山道
北上尾~桶川間を美人さんが
電動自転車で走ってみている。

初乗りが駐車場とか自転車可
の運動場とかではなく、旧国
道の幹線道路というのはかな
り恐怖があるのではなかろう
か。近場では上尾運動公園あ
たり
が格好の練習場所のよう
に思
えるが。

小6の時、大宮から水上公園
までよくチャリで冬に走った。
片道11km以上あったが(笑
上尾水上公園の大プールは冬
季にはスケートリンクになっ
ていたから。大宮市内にも
リンクはあったが、水上公園
のリンクが慣れ親しんだ横浜
ドリームランド
のスケートリ
ンクにそっくりな
ので、周回
コースで楽しめる上尾リンク
によく行ったのだ。

上尾水上公園のプールリンクは
50年以上の歴史に幕を閉じて
2023年2月に閉鎖となり、水上

公園は運動公園という名称に
変わった。
埼玉県の上尾はスポーツが盛
んな場所で、中学のバスケット
などは高校大学なみの実力だ
し、高校野球でもかつては甲
子園常連校もあった。
しかも、埼玉県上尾は筑波サー
キットまで50kmもない。
東2時の方角にドンと行けば筑
波の
コース。かなり近い。

ちなみに上尾の東隣りの春日部
(かすかべ)はクレヨンしんちゃん
が住んでいる町。
埼玉県は京浜東北線(横浜から
南は根岸線)の北の終点である
大宮から北は「埼玉県県北部」
にあたる。
かつて1980年代末期あたりまで
は大宮までが首都圏だった。
大宮はほぼ東京と文化が変わら
ず。
だが、大宮市(現さいたま市)
から一歩でも北に行くと、す
でに言葉自体がまるで違い、
方言が強いエリアだった。
上州弁にとても似た方言にな
る。

もしかすると、埼玉県はさら
大昔は蕨・戸田あたりまで
も現在
の埼玉県北の方言のよ
うな言葉
だったのかも知れな
い。

「そうなの?」を「そうな~
ん?」と言い、「さあ、帰ろ
う」
を「はぁ、けぇるんべ」
と言う。

また、「うまくいってる?」
いうのを「はかいってんか
い?」
と言う。完全に武州さき
たま方言だ。

埼玉県内でも都内への通勤線で
ある京浜東北線(ラッシュ時は
2~3分おきに電車が発車する)が
通っている大宮まではほぼ東京
文化圏であり、言葉も生活習慣
も東京都内と何ら変わらない。
だが、大宮から北はやはり地方
だという空気が色濃くなる。
これは現在でも。
そして、上州(群馬県)に近づく
つれ、土地柄の人柄の気性
が荒く
なる。これも確か。
上州に入ると完全に気性が荒
い「かかあ
天下」の土地でも
ある。

埼玉県北や上州の気質が荒いの
江戸期に藩領ではなく天領が
多く、関八州見回り(幕府勘定
奉行が務めた)だけでは
警察管
轄が行き届かず、治安を
地の
勢力者に委ねたため、博徒

やくざが大量発生して地元を

牛耳るという現象が発生した
思われる。
まさにクロサワ映画の『用心
棒』
のような、あるいは『木
枯し紋
次郎』のような世界が
現実に
存在していたのが上州
と武州北部
であり、その気質
は現代までも
継続している。

こうした地方性というのは21
世紀
になってもなかなか消滅
していない。

広島県の広島県人独特の体質も
たぶん江戸期から存在したもの
が現代まで継続しているのでは
なかろうか。突然突如発生した
とは考えにくい。
広島県人の特徴は一言でいえば
オラオラ。これはなにも広島県
に多すぎるヤカラ系だけでなく、
一般人も全員がオラオラである。
自分が一番偉く正しいと思って
いる集団が集住しているのが
広島県であり、集団的強要を
常とする。

江戸初期に紀州から備後(西部)・
安芸に広島藩として入封(にゅう
ほう)した浅野家中は結構驚いた
のではなかろうか。独特のどぎ
つい大衆性に。
これは、戦国期には一向一揆な
どと同じく、常に武装蜂起をも
辞さない精神性を強固に連帯の
中で醸造している安芸門徒とい
存在がその地方独自の強烈な
的資質の個性を形成している
ではと社会学的には思われる。
浄土真宗やキリスト教は死を全
恐れず結束するので、江戸期
あっては武家社会の統治者た
は非常に恐れていた。
実際に関ヶ原以降に最初に備後
安芸に入って領主となった福島
正則などは浄土真宗をかなり
弾圧している。
ちなみに浄土真宗の結束力は非
常に固く、フランスその他の国
ではオウムや創価学会と並んで
カルトと認定されていて、国内
では禁止。
戦国期や江戸初期の浄土真宗な
どはまさに武装蜂起集団として
戦国武将にとっては一向宗と共
に脅威対象だった。
僧兵を中心に大衆的武装抵抗形
態を採る彼らはまさに一揆(百姓
一揆とは異なり、武装蜂起軍事
集団
の連合同盟の事を指す)だっ
た。
それを恐れた徳川家は徹底的に

大衆蜂起を弾圧し、疑似的に自
らも浄土真宗に改宗する事で治
めようと腐心した。

全国を俯瞰するに、遥か450年
前の戦国時代
からの日本人の
気質は各地方に
色濃く残存し
ている。

それが人と人との確執を生む
もの
でなければ、能天気な県
民ショウ
のようにご当地ネタ
として親しめ
るが、実際のと
ころは、どぎつい
自己優先性
を前面に出す事により、
他の
地方から入った人を排除する

力学が働いている地方が多い。
日本は全く統一された一つの
国家
ではない事が地方に赴任
するとよ
く解る。

埼玉県に関しては、実際に住
して
みると、県南から大宮ま
でのエリ
アの人たちはめちゃ
くちゃ人間が
良い人たちだら
けだった。

だが、近年変わって来ている
よう
で、浦和レッズのサポー
ターなど
は殺人予告恫喝を看
板にして掲示した
りという無
法ぶりをやっている。

かつて浦和市は埼玉県の中で
特筆的文教エリアであり、浦和
の市民のみは「どこからいらし
のですか?」と尋ねられると
「埼
玉県」とは答えずに「浦和
です」
と答えた。
これは都民が「東京です」と
言わずに「渋谷です」「世
田谷です」
と言うのと同じだ。
神奈川県民の横浜市民なら

「横浜です」と言うのと。

他の埼玉県人は「埼玉です」と
言っていた。
浦和は県庁所在地であり、裁
判所
もあり、また県内随一の
進学校だ
けでなく浦和市内の
高校はどこも
中堅~難関揃い
で、住宅街も高級地
であり、
いわゆるハイソなエリアだっ

た。
浦和レッズのサポーターは果
たして
本当に浦和の市民なの
だろうかと
思える程に悪逆非
道な態度でサッ
カー界を荒ら
している。

さいたま市になってから何か
土地
柄が変わったのかもしれ
ない。


上掲動画のルートは、幕末に
幕府浪士隊が江戸から京都ま
で歩いて行ったルートその
ものだ。
この道を清河八郎や近藤勇や
土方や沖田たちが実際に歩い
た。
中山道である。
東海道は川を渡る個所が多く、
通常、江戸から首都の京都に
向かうには中山道が多く選ば
れた。
昔の人たちは歩いて江戸から
京都まで行っていたのだから、
何とも健脚だ。
徒歩で移動する。
そうした条件は万民に等しく
存在している。階級も貧富も
何も無い。殿様だってたとえ
籠に乗ろうが、狭い室内の距
離だろうと移動は自分の足で
歩く。
本来、そうした所にこそ、本
当の人間社会の構造、在り方、
仕組みがあるように思える。
それが叶わぬ身体的要素を抱
えているならば、互いに助け
合えばよいではないか。
人は誰も同じく生まれて同じ
く死ぬ。
そのように造られている。
人を傷つけず、殺さず、手を
取り合えばよいではないか。
金科玉条を述べたいのではな
く、本気で私はそう思う。
 

 

 


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