渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

昆布巻おにぎり

2024年03月28日 | open



北海道の昆布を巻いたおにぎり
はかなりおいしい。

ところがぎっちょんちょん。
この世で一番ウマい昆布巻おに
ぎりは私は青森の若生
昆布を巻
いたおにぎりだと思っ
てる。


学生の時に半年入院した時、
「付き添いのおばちゃん」(と
呼称されていた病院住み込み
の介護の職業の高齢の
人。患者
一人に一名がつく)が青森の方
で、昆布巻き
おにぎりを作って
くれた。

この世の中で一番おいしいと
感じた。


若生(わかおい)昆布を中に
まで巻き込んでおにぎりにす
るのが
特徴。
1980年代初期、まだ情報が今
のように豊富でなかった時代、
横浜住まいの私はこの青森の
おにぎりの事を知らなかった。
ベラボーにウマい。
とろろ昆布巻おにぎりもいけ
るが、正直なところ、昆布巻
おにぎりジャンルでは青森の
若生昆布巻おにぎりに
軍配が
上がると私は思う。

まじでウマい。
春先にしか採れないとても貴重
な若生昆布。

この若生巻おにぎりは青森の
地元の
名産だが、おばちゃん
による
と高級品なので日常的
に青森
の人たちが食べる事は
少なく、
ここぞという時のご
馳走なのだそ
うだ。(1980年代
初頭時点)

「年が明けて春先になったら国

から昆布送らせるから作って
あげるね」と言ってたおばちゃん
が春先に作ってくれた若生昆布
巻おにぎりは本当に絶品だった。
今でもあの味を忘れられない。
横浜鶴見の片山整形外科記念
病院での事だった。

婦長がこっそりおしえてくれて、
世界GPでクラッシュして長期
入院後に退院した元世界GP
チャンピオン片山敬済氏が秘密
で通院する時に、診察室の前で
待っていて、いらした時に対談
させてもらった。

片山さんとお会いして話をする
のは初めてだった。
まだ、バリバリの現役世界グラ

ンプリライダーだった頃。
片山さん、歩けるようになった
ら時々病院を抜け出し
て近所の
焼き鳥屋に飲みに行っ
てたみた
いだ(笑

偶然馴染みになった焼き鳥屋の
店内には片山さんの
サインと大
きな写真パネルが店内に飾られて

いた。
「心で作る味 〇〇〇さん江」と
書かれていた。

そこのマスターとは退院後昵懇
になり、二人でよく他の店も
飲み歩いた。いつもマスターの
おごりで申し訳なかった。
うちにも彼女を連れて飲みに来
たりした。レーサーが置いてあ
る部屋で休日前などは明け方ま
で話し込んだ
りもした。
そのマスターの店の焼き鳥は

独特で、焼いている最中に薄
めた日本酒と出汁をスプレー
していた。
これまた絶品の味だった。
運転があるので飲まない時も
焼き鳥だけよく食べに行った
りしていた。
ハマ生まれのハマ育ちのジモチー

の人だった。

長い入院生活では、同室にな
った人たち(おじさんたち)と
とても仲良くなり、皆が退院後
によく会って食事会や飲み会を
開いた。
片山病院の婦長や看護婦たちも
入院中から驚いていたが、私が
いた部屋の患者たち5名は異様
に仲
がよくて、こんな大部屋は
ない
と言ってた。
私以外の皆さんはそれなりの
職業で自己主張が強い人たち
だらけだったが、とても良い
関係を築けた。
私が一番齢が若く、とても皆
さん親切にしてかわいがってく
れた。

患者さんは全員神奈川県の人。
看護婦さんたちも病院の方針
なのだろうか、とても良い方
ばかりだった。院長の回診と
は別に看護婦さんが一人一人

すべて回って5分程話をする
のよね。どうですか、と。
身体の具合と世間話を。まる
でカウンセラーのように。

ああいう病院は知らなかった。
なお、片山記念病院は当時の
矢橋院長はじめスポーツ
医学
の雄の医師が揃っていて、
プロ野球選手やロードレース
選手、オートレース選手、他
多くのプロのスポーツ選手が
入院通院していた名医のいた
病院だった。
全日本ロードレースではヘリ

で鈴鹿から横浜まで飛んでき
た選手もいたりした。向かい
の学校の校庭に着陸して。
私は希望して片山病院に転院
したのだが、たまたま病床が
空いていたのが本当にラッキー
だった。
東京慈恵会医科大学系。
本当にとても良い病院です。

片山整形外科記念病院

 






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