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追加情報・10月26日の山梨日日新聞は、『冬の風物詩「光のピュシス」 今冬で見納め?』 と報じました。
「光のピュシス実行委員会」(山本淳仁委員長)は、今冬を最後に甲府・舞鶴城公園のイルミネーション事業から撤退することを決めた。 実行委によると、事業費はこれまで県が500万円、市が300万円を補助。このほか甲府商工会議所の補助金や、民間企業の協賛金で運営してきた。 「補助事業の予定期間が終了した」として、来年度は県と市の補助金が打ち切られることから、同実行委は「財源確保が不可能となり、これ以上の継続は困難」と判断。25日に開かれた実行委員会で、県や市に対し来年度以降のイベント撤退と実行委の解散を報告した。
記憶がはっきりしませんが一口1,000円で会員を募った時の目標が5,000人だったような気がします。こんなことならパンフレットを残しておけばよかった。


2007年10月20日付け毎日新聞山梨版の記事によると、『「光のピュシス」の実行委が、今年度限りでイベントを終了する方針を決めたことが19日分かった。25日に開かれる実行委で正式決定する。山本淳仁委員長は取材に、県からの補助金の拠出が今年度限りで終了し資金面での見通しが立たないことや、文化庁から今年度、同イベントへの天主台の城壁の利用が禁じられたことを理由に挙げている。』 との事です。UTYニュースによれば県からの補助金は500万円。

4回目となる今年は11月9日(金)から2008年1月6日(日)までです。一口1,000円で支援会員を募った事があり、私も応募して会員カードを入手、岡島百貨店のレストラン街などで割引特典を利用した事があります。あまり使用機会が無くて元は取れなかったのですが(^_^;)

展示中に青色ダイオードが付いたケーブルを盗まれたのは2004年でしたか、これは県外から来た人の仕業だろうと知人と話したことを覚えています。私は2006年の記録をホームページに残しています。天守台壁面の飾りが問題になるというのは初めて知りました。甲府城址(舞鶴城、甲斐府中城、一条小山城とも)は昭和43(1968)年に山梨県の指定史跡になっていますが、文化庁がイチャモンつける理由は何でしょうか。甲府城址の修復に文化庁が金を出していたのかも知れませんね。調べた事ないから私は知りません(^_^;)

光のピュシスのデジカメ撮影は難しかったです、絞りやシャッター速度をきちんと決められるカメラなら何とかなるのでしょうが、私にはその技術は無い、単にWebページ掲載用に撮るだけの簡単なカメラです。今年で最後なら三脚を持ち込んでみようかと思っています。

蛇足ですが、実行委員会さんから過去の収支報告でも出てきて、それなら県民でなんとかしようという機運が出てくると良いかも知れませんが・・・どうですかねぇ、そうはとんやがおろさないか。



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10月11日の記事で「甲府城と石切り場跡の見学会」の事を書いたのですが、私は13日は桜座のイベントに出かけたので見学会には参加できませんでした。この石切り場の資料が見つからなくて手元のメモを探していたのですが、2006年6月24日の新聞で報じられていた事が分かりました、以下の2つの記事を保存していました。

産経新聞山梨版--甲府城の石切場発見 県教委「一級史料」保存へ調査
 甲府市愛宕町の愛宕山のふもとで、甲府城の石垣を切り出した石切場の跡地が見つかった。県教委検討委員会の現地調査で判明したもので、甲府城の近隣で石切場が確認されたのは初めて。専門家は「約400年前の築城過程を示す第一級の史料」と評価しており、近く甲府市が保存に向けた本格調査を開始する。  石切場の跡地は愛宕山の南西で、JR甲府駅北口から東に約500メートルの旧甲府地裁所長宿舎(同市愛宕町)の敷地内で見つかった。県教委の「甲府城跡保存活用等調査検討委員会」が5月末、宿舎解体に伴う現地調査で確認し、23日の委員会で報告した。  宿舎の庭には安山岩の大きな石が庭園風に点在。石を調べたところ、くさびを打ち込んで割った「矢穴」と呼ばれる跡があり、人為的に切り出したものと判明した。甲府城の築城期の石切場だったことを伝える大正時代の石碑も見つかり、検討委は「築城当時の石切場の一部」と断定。確認された矢穴は江戸時代のものだったが、さらに下の石には築城期の矢穴が残っている可能性が高いとみている。  愛宕山の南西に甲府城の石切場があったことは江戸時代の絵図などで知られていたが、遺構は見つかっていなかった。城の隣接地に石切場が現存している例は、全国的にも珍しいという。  検討委委員長の萩原三雄帝京大山梨文化財研究所長は「築城過程や当時の技術を知る上で極めて貴重な発見で、保存を検討すべきだ」と強調。8月上旬にも甲府市と本格的な調査を行う。  一方、検討委の最大課題である天守閣復元に向けた調査は難航しており、天守閣の存在を裏付ける具体的な絵図などは未発見。文献調査と鯱(しゃち)瓦の復元を行う専門家チームを9月に立ち上げ、調査態勢を強化する。

山梨日日新聞では、「甲府城の石切り場跡 旧地裁所長宿舎で確認 建築の過程や技術解明へ」 として、
 甲府市愛宕町の旧甲府地方裁判所長宿舎で、甲府城の石材を調達したとみられる「石切り場」の遺構が確認された。「甲府城の築城過程や技術が分かる遺構」として研究者は注目している。  今年五月、県教委学術文化財課と県埋蔵文化財センターが、資料などを基に同城から約三百メートル東方に位置し、愛宕山南西のふもとに当たる同所を調査。約二千三百平方メートルの敷地内には甲府城石垣に使われている石材と同じ輝石安山岩が露出し、庭石や池に利用されていた。  岩盤の数カ所には、石を切り出すときにつけられる「矢穴」の跡を確認。甲府城石垣にも見られるもので、三寸(約九センチ)ほどの大きさであることから、江戸時代中ごろにつけられたとみられる。  一五九三(文禄二)年の浅野長政による築城時に同所から石を切り出したことが記された大正時代の石碑も残っていて、甲府城築城や増築の際に石切り場として利用されていた可能性が高い。  甲府城築城のための石材供給元については、同城内に石切り場が見つかっているが、そこだけでは賄いきれない分をどうしていたのか未解明だった。  「甲斐国志」「諸国居城図」などの江戸時代の資料から、同所周辺に石切り場があったことは推定されていたが、遺構は確認されていなかった。城に近接した石切り場跡が良好に残る事例は全国的にもまれだという。  山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「築城研究において重要な遺構。矢穴を甲府城のものと照らし合わせることで、築城過程も検討できるのではないか」と話している。


旧甲府地裁所長宿舎(甲府市市愛宕町)と言われても、地図を見ても宿舎は分かりませんでしたので異邦人の私には場所を特定できないから自分で出かけることはできません。これだけの広い敷地が現在は何に使われているのか? 湯村温泉郷にある石切り場の跡は 湯村の杜 竹中英太郎記念館 の地続きですが、これはお城の為の石切り場かどうかは知りません。



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