事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「風立ちぬ」を擁護するPART2

2013-08-27 | アニメ・コミック・ゲーム

Kazetachinuimg01 PART1はこちら

宮崎駿が声優的演技を嫌うのは、すでにジャパニメーションにおける声優たちが洗練を見せ、しかしその一方で彼らの演技が類型的になっていると判断しているからではないだろうか。喜び、悲しみの表現が、いかに子ども向けからスタートしたメディアとはいえ、あまりにわかりやすすぎるのを敬遠しているのだと思う。

もちろん日本の声優レベルは世界トップクラスだ。日本語という言語に守られ、洋画のシェアが他国ほど大きくない日本において、吹替技術も他を圧倒する。だから妙なタレントを連れてくると、そのレベルの差が如実にあらわれる(何度も例にとってもうしわけないが、去年の「プロメテウス」における剛力彩芽は無惨だった)。

しかしたとえば小津の「東京物語」を日本の達者な声優たちが吹き替えたとしたら……宮崎の懸念もわかってもらえるのではないか。宮崎が求めるのは達者な感情表現ではなくて、あくまでリアルなつぶやきのはず。その意味で庵野は正解だったろう(実はわたしもちょっと不安だったけれど、最初のセリフを聞いてすぐに安堵しました)。

くわえて、いかに声優が数多いとはいっても、やはり俳優たちのバリエーションとはケタが違う。キャラクターに、文字どおり性格演技をさせたいと考えれば俳優の選択はやはりありだ。初井言栄以外のドーラや、神木隆之介以外のマルクルが想像できないように、アニメの感情表現の幅を宮崎駿が広げていることは(批判も多いとはいえ)確かなことではないか。

神木など、ほんのわずかの例外をのぞけば、宮崎が同じ役者をふたたび起用することがないのがその証左。この作品でも、西村雅彦の黒川と國村隼の服部のかけあいは味があるし、野村萬斎の「ニッポンの少年よ!」は、確かにこの人でなければならなかったと思う。

③喫煙
嫌煙団体が喫煙シーンの多さにクレームをつけたと聞いて、ああやはりそんな性格の集まりなのかと得心した。この映画において本庄(西島秀俊)が何度も「タバコないか」と堀越にリクエストするシーンで、お互いが遠慮のない関係であることを端的に示す技なのだぐらいのことも許せないのか。それに……以下次号

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