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YouTube: Talking Back to the Night ~ Steve Winwood
やっぱりちょっとマスコミはずるいと思う。
小沢無罪については、まっとうな神経の持ち主なら誰でも確信していたはず。
なのに直前までどのマスコミも(司法に予断を与えたと言われたくなかったにしても)きちんとした主張をしない。
ここで隠し子騒動を持ち出してみせる文春はお見事だとは思うけれど(笑)。
もしも今回の裁判で小沢が有罪だとされたと仮定してみよう。
そりゃ、すごい。
一度証拠が不十分だとされた事案で、市民が構成する検察審査会はそれが不当だと。
でも、でもその根拠となる調書がでっちあげであることが既に明らかになっているのだ。
これが成立するなら、ある政治的勢力が反対派の力を削ごうと思えば、検察にちょっとお願いすればいいわけね。簡単だ-。
結果的に小沢は無罪になったけれど、しかし今回はかなり奏効した。長いこと彼の行動をしばることができたわけだし。
わたしが懸念するのは、検察審査会なるものの“市民感覚”を、実は検察は利用したのではないかと思えることだ。それを敷衍すれば、裁判員制度とはいったいどんな意図で(しかも巨額の予算を使って)導入されたのかな、と。
誤解されると困るのだけれど、わたしは近ごろの小沢の行動には失望させられっぱなし。
怨念を晴らすためには何でもあり、とばかりに橋下、大村などと組む姿勢を見せたり、“とりあえず増税反対”だったり。
それでも、ここで有罪にむりくりに持って行くようではこの国に未来はない。
明日の朝刊にはこう載るんだろうな。
「無罪判決が出たとはいっても、元代表の行動に道義的責任がないとはいえない。」
とっくに予定稿はあがっていたんだろう。わたしが惜しむのは、これでまた怨念をベースにした政治が展開されるであろうことだ。さっそく民主党のやんちゃな政調会長は
「日本は三審制をとっている」
と子どものようなことを……なんか、日本の政治ってわかりやすすぎる。
本日の一曲はスティーブ・ウィンウッドの「Talking Back To The Night」
わたしは彼の曲の中でこれがいちばん好き。たとえヒットしなかったとしても。そう夜に言い返している。