もう一つの届きものもコピーである。
今や入手困難なもの。
『文学雑誌』19号。相当古いものである。
街の草さんがその一部を27枚もコピーして下さった。
杉山平一先生が書かれた「風浪」が載っている。
わたしが杉山平一先生のファンだと知っておられて送って下さったのである。
ここに発表されたのが初出なのであろう。
後に『わが敗走』(1989年)に再録されている。
そして、『百艸句集』に寄せられた足立巻一先生の序文。
これがいいなあ!
足立先生は、序文や跋文も素晴らしいものがある。人情が溢れている。
やっぱり私は足立先生を心から敬愛している。
・
加納さん、ありがとうございました。
そして、松岡さんもありがとうございます。
みなさんに支えられて少しずつ勉強させて頂きます。とは言っても遅いなあ。もっと早くに勉強すべきだった。
けど、杉山先生の詩、「もうおそい ということは 人生にはないのだ」を胸に頑張ります。
今日は二つのうれしい届きものがあった。
一つは松岡さんから。
これ、手づくりなんです。
コピーしたのを糸で綴じてある。
貴重な一冊だ。
恥ずかしながら田内静三という詩人、わたし知りませんでした。
明治33年生まれ。昭和53年歿。
この詩集は昭和50年に発行された私家版ということだ。
洗練された作品が12篇。
読んでみると、半透明の心の容れものの襞をうちらがわから見ているような詩。読む者の心に密着するような詩。それでいて透明感もある。とわたしが解ったようなことを言っても作者にとっては見当違いなのかも知れない。
中に一篇、ちょっと気になるのが。
これのタイトルが。
「直指」とある。
内容から察すれば「直視」なのでは?と思う。
もしかしたら誤植?
けど「直指」という言葉もあるのだ。
http://www.rinnou.net/cont_04/zengo/060501.html
「じきし」と読む。
この意味、難しいが、「直視」に通ずるものがある。
禅語である。けど、添えられていた田内さんの年譜に禅に関するものはない。とは言っても、東北帝国大学卒で後文部省に勤務するなど教養人である。知っていて使われたのだろう。
この詩集、また改めて読み直さなければならない。その時、また印象は変わるかもしれない。そんな悩ましい詩集だ。
・
あと一点の届きものはまた改めて。
今朝のことだ。
新聞を取り入れて来て、ホッチキスでとめる。
いつものことだ。
途中で、針が無くなった。
で、小物入れに入っているのを取りに。
ところがない。あれ?おかしい。ここに入れてるはず。
けどない、とあわてていた。
ところがだ。
わたしが小物入れの引き出しを開けて探していたのは、ホッチキスだったのだ。
針を取りに来て、ホッチキスを探していたのだ。そんなバカな!
これはちょっとしたボケではない。本格的なボケだ。
そんな話を店でしていたら、「あるある、わたしもよくある。探し物をしていて、何か分からなくなって、また元の所に戻って考えたり…」などと慰めて下さる人もある。
で、杉山先生の詩を思い出した。
・
生
ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハタと
思い出すことがあるが
そのときはすばらしい
身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつか思い当たるときのある人は
幸せである
思い出せぬまま
僕はすごすごあの世へもどる
いいですねえ。
9勝6敗のまずまずの好成績です。
今場所の取り口を見ていると確実に地力が着いてきてました。
次場所はさらに上位力士と対戦するでしょう。
で、相手をもっと研究しなくてなならないでしょうね。
実は彼、取り組み相手を当日の朝に確認するということです。意識して前日には見ないようにしているのです。ぐっすり寝て、朝起きてから知るということでしょう。が、今後はそれではちょっと…という気がします。やはり相手を知って、ビデオを見るなりして研究して臨むべきでしょう。それで負ければ、それは実力の問題。
ということで、来年はさらに上位を目指し早く三役に入ってほしいです。