Death & Live

いわゆる日記とは違うようで。死に様や心の疲労について、つれづれなるままに書き綴るだけ。

映画 『ニュー・ワールド』

2006-05-15 20:19:25 | 映画 「い段」
『ニュー・ワールド』  2005年
原題 : THE NEW WORLD
監督 : Terrence Malick

映画自体が、ひとつの詩を奏でており、観る側も情感を込めて観入らないと、物語にさえ置いてきぼりを食う。

歴史を描くというよりは、叙事詩であり抒情詩だった。

そして、あの大自然が美しい。
CG慣れしてしまった眼には一瞬貧弱にさえ見えたが、
そうだ、あれがそのまんまの自然なんだ。
その美しさを堪能した後では、ロンドンの造られた庭は異様にさえ感じられた。

いつか

2006-05-14 11:33:00 | 
「いつか」

我れと我が身を哀れんで
涙する
思わぬ道程と心届かぬ高見に向かう
制することのできぬ自我。
目覚めは無く
唯一人夢うつつ。
誰とも言えず戦いを挑み
傷を負うことで慰みを与える。
正義が偽りなら
心安(やす)まる日も来るであろう。

映画 『愛より強い旅』

2006-05-13 09:39:31 | 映画 「あ段」
『愛より強い旅』  2004年
原題 : EXILS
監督 : Tony Gatlif

観たのは12月。

邦題を初めて知った時、"へんなタイトルだな" と正直思いましたが、映画を観てみて、"まぁ、そんな感じかな" とも。

パリからアルジェリアへのロード・ムービー。
行く先々での社会背景みたいなものが垣間見れる。

なんてったってLubna Azabal のダンスが凄い!
ステップ踏むとかターンするとかそんな生易しいものではなく、頭のてっぺんから足の先まで、全身を使ってエネルギッシュに踊っている。
大声も出すし、足もガツガツ蹴り上げる。
迫力だ。

メッセージは、静と動のエネルギー。

旅行記 『オラ!メヒコ』より  -等しくすばらしい-

2006-05-12 07:48:22 | 死・自死
『オラ!メヒコ』
著者 : 田口ランディ + AKIRA

「生きていることへの優越感もあった。私は死んでない。生きている。もしかしたら選ばれた人間として……って。そして、そう思い上がっている自分のことを許せない自分がいる。その罪悪感。でも見て、この死者の祭を……。私の悩みなんて頭でっかちの日本人のたわごとだよね。生きていることも、死んでいくことも、メキシコの人たちにとっては等しくすばらしいことなんだよね。死ぬことは、負けじゃないんだ」

こんな風に考える人もいる。

映画 『シティ・オブ・ゴッド』

2006-05-11 07:37:22 | 映画 「い段」
『シティ・オブ・ゴッド』  2002年
原題 : CIDADE DE DEUS
監督 : Kátia Lund, Fernand Meirelles

2003年に映画館にて鑑賞。
すでに言わずと知れた名作となっている。
映画館で観た時の衝撃はいまだ忘れられない。

年齢的にはまだ子どものはずの少年達が、
ギャング映画を観ているかの様に、
鋭い眼光でエグッてくる感じが迫力だ。

忘れられない一作であり、機会があるならスクリーンでもう一度観たい作品だ。

道徳感覚

2006-05-10 07:45:09 | 言葉・本
「自我の能動的行為にコンセンサスないし共感を付加すると真の意味での道徳感覚が生まれる。道徳感覚は生きた鏡のような他人のうちに自分自身を見る。」

ビラン

映画 『ラストデイズ』

2006-05-09 07:54:16 | 映画 「あ段」
『ラストデイズ』  2005年 
原題 : LAST DAYS
監督 : Gus Van Sant

ジャンキーのアホんだら!
てめーらは、森の奥にでもすっ込んでろ!
絶対に世間に顔出すんじゃねーぞ!

まぁ、フィクションですから、咆えてもしょうがないけど(笑)

マイケル・ピットね。
『ドリーマーズ』の時もそうだけど、"自分が何やってるか良くわからなくなっていて、どうしていいのかも分からなくなっていて、生きることに悶々としている" って感じの役上手いよね。
悩んでるんだか、意志があるんだか、みたいのが伝わってくる気がする。

人は死ぬために生きている。
死に意味を持たせたくて、必死に生きてみたりする。
意味を見つけられなくなったとき、生きることに迷子になる。
多くの人間が迷子になっている。

ドラッグは、そんな弱々しい迷子たちにつけこんで来る。
しかし、それを手に取るか取らないかは迷子自信が決めてるはずだ。

旅行記 『オラ!メヒコ』より  -絶対的孤独-

2006-05-07 23:24:53 | 言葉・本
『オラ!メヒコ』
著者 : 田口ランディ + AKIRA

 動物はいつもジャストなんだ。思いと行動はズレない。生命そのもの。でも人間は違う。言葉というものを使ってまわりくどく思考するようになってから、生命と意識の間にすき間が生じた。すき間なんて生易しいものじゃない。亀裂だ。暗黒のクレパス。だから人は孤独。絶対的に孤独だ。

上手く説明してくれてるよな。さすが作家だ。
そう、絶対的に孤独なんだ。

映画 『ぼくを葬る』

2006-05-06 22:41:51 | 映画 「お段」
『ぼくを葬る』  2005年
原題 : Le temps qui reste
監督 : François Ozon

予告でも使われていたけれど、
死期迫る主人公が、ジャンヌ・モロー演じる祖母に向かって言うセリフがいい。

「ぼくと似ている・・・ もうすぐ死ぬ」

なぜ自分にだけ死期が迫っていることを告白するのかと、祖母に問われての回答だ。


死ぬにも、家族が必要なのかと、愕然とまでは言わないが、唖然としてしまった。
生きることも一人じゃできない、死ぬことも一人じゃできない。
生まれることとなったら、なおさらだ。
人間はあまりにも無力だ。イヤになる。


主人公の子供を身篭った女性に問われて、
彼は自分の病について答える。

「普通のガンだ ・・・」

"普通のガン" すごい言葉だ。
仏語はわからないので、直訳なのかは不明だが。
"普通のガン" .....たまらんな。

小説 『未亡人の一年』 より  -悲劇な世界-

2006-05-05 23:13:41 | 言葉・本
原題 : A WIDOW FOR ONE YEAR
作者 : ジョン・アーヴィング John Irving

「ホラス・ウォルポールは書いています。『世界は考える者にとって喜劇であり、感じる者にとって悲劇である』でも、考えそして感じる者にとって、現実の世界は悲劇です。喜劇なのは幸運な人にとってだけです」

これは真理だな。

映画 『エデンの東』

2006-05-04 21:45:14 | 映画 「え段」
『エデンの東』 1955年
原題 : EAST OF EDEN
監督 : Elia Kazan

自分が最初に衝撃を受けた洋画が、エリア・カザンの名作『エデンの東』だった。
あのテーマ曲も、今では映画音楽の代名詞である。
もちろんテレビで観たワケで、以降幾度となくビデオを観たものだが、今まで一度もスクリーンで観たことがなかった。
去年、ジェームス・ディーン主演作のDVDが発売になったことに絡み、10月の東京国際映画祭、11月の東劇と彼の作品が上映された。
彼の作品をスクリーンで観れるのは、これが最後のチャンスかもしれないと思い、この作品に関してはスクリーンで3回観てしまった。

なぜ、この作品に衝撃を受けたのか・・・・・・

人は弱くなって初めて、
人を受け入れられるようになったりする。

物語の小難しい背景は大人になってから理解した。

でも、そんなことより・・・・・・
"そこに気持ちの動くものがある"
そういうことだったのだろう。


写真のシーンがこの映画の中で一番好きなシーンだ。

小説 『未亡人の一年』 より  -悪い母親-

2006-05-03 20:08:25 | 言葉・本
原題 : A WIDOW FOR ONE YEAR
作者 : ジョン・アーヴィング John Irving

途中で彼女は、ぜんぜんそうは見えないだろうけど、わたしも昔は良い母親だったのよ、とささやいた。「でもわたし、ルースの悪い母親にはならないわ」ささやき声のまま、彼女はつけ加えた。「悪い母親がいるくらいなら、母親なんていないほうがましよ」

この後、彼女は娘(ルース)と夫のもとを去る。


これは真理ですか?

自分は、自分の経験上、これは正しいのではないかと思います。
しかし、自分は親になったことありませんから、
親の立場だったりしたらどう考えるのでしょうかね?

絶望

2006-05-01 23:20:42 | 
「絶望」

絶望には絶壁があり、
切通しと急流がある。
大波があり、地響きがある。
大氷河と海溝と亀裂
溶岩と灼熱と乾き
竜巻があり、豪雨がある。
失う物があり、
得るものは一切無い。
絶望。
希望には丘があり、
小川が流れている。
関わりを望む。