処遊楽

人生は泣き笑い。山あり谷あり海もある。愛して憎んで会って別れて我が人生。
力一杯生きよう。
衆生所遊楽。

人は何のために「祈る」のか

2008-07-15 23:38:29 | 

村上和雄・棚次正和著、祥伝社刊

             

 

ノーベル賞に最も近いといわれている世界的科学者と第一線の宗教学者による「祈りと遺伝子」を巡るコラボレーション。村上和雄著『生命の暗号』(サンマーク出版)がベースになっているようだ。

目に見えない心の作用を、果たして科学は解明できるのか。アメリカを中心に近年の医学界では祈りの治療効果の研究が進んでおり、多くの実験や検証結果も紹介されている。

人間の60兆個の細胞は、その一つ一つが担っている役割は、本来持つ全能性のほんのわずかでしかない。この細胞の働きのカギが遺伝子であり、人の才能や個性の違いは、遺伝子の働き方のちょっとの差でしかない。

全遺伝子情報(ゲノム)は32億の塩基から成り立つが、生存に使われているのは、わずか2~3%に過ぎない。この遺伝子をどう働かせるかは最大の課題。働かせることを遺伝子オン、眠らせておくことを遺伝子オフと呼ぶ。

「祈り」は、好ましい遺伝子をオンにし、好ましくない遺伝子をオフする効果がある、というのがこの本の出発点。この「祈り」とは狭義の祈りを含め、夢、期待、希望、思い、一念、勇気、感謝などのポジティブ・マインドのことである。

そして結語には「祈りは、生命をその根源から生きることであり、生き生きと生きることである。(中略)祈ることによって、どの遺伝子がスイッチオンになるのか。反対にどの遺伝子がスイッチオフになるのか。これを科学的に解明するには、大変な手間と労力と必要なことは素人でもわかることです」

「科学は物体や身体を研究対象とし、宗教は心や魂を重視する。遺伝子が肉体の設計図であるのに対し、祈りは全人的な行為・状態である。この科学と宗教の認識上の分裂は、人間観にそのまま反映されている。ところが、人間存在全体を問う場合、統一態でなければならない。そこを根底的に成り立たせているもの=サムシング・グレート=についての認識が欠落しているではないか」

つまり人間を超越する存在、ありていに言えば神や仏、あるいは畏敬の念を抱かせるものについての論議が必要であると、結んでいるのである。 

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