荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

疲れた。

2011-07-02 23:26:59 | 日記
今日は大握手会。なんだかんだで一日中いるとさすがに疲れる。
握手会自体はとても楽しかった。
俺はキャバクラとかいったことがないし、いってみたいけどその勇気がないんでいってないけど、もし行ったらハマってしまうのかもしれない。AKBとの握手会くらいで済んでいるうちがいいのかもしれない。よくわからんが、キャバクラにハマると月に◯十万とか飛んでいくなどということを聞いたことがある。まぁ、酒を飲まないから行くことはないと思うが。

今日の反省。
3枚もっているとき、3枚出してゆっくり話すのも手だが、1枚を3回というのも考えること。
AKBよりもSDNに少ない資金を集中すること。
握手会の前の日は早めに寝るか、徹夜をすること。空いている時間にベンチで寝ればいい。それよりも朝起きられないことのほうがよくない。

今日は握手会とは別にへこんでしまうことがあったけど、それは俺のミスからきたもの。
こういうことがないように心がけること。
その処理で明日からはいろいろと時間がさかれるが仕方がない。

とりあえず、明日は長めのドラム練習。
ゴーストノートの練習とフラム、3WAYをみっちり練習してから、「あの微笑みを忘れないで」をずっと練習して完成の域にもっていきたい。今まで練習していた曲は3回ほどやって現状維持に努めたい。





付記
AKBの握手券を手に入れるためにCDを何枚も買うことに対して違和感、嫌悪感をもつ人が多いようだ。
それは十分に理解できる。俺もファンになる前は「なんなんだ?」と思っていたから。だからいちいち反論などしなければよいのだ。
よくある反論に次のようなものがある。
「CDをたくさん買うことで日本の景気がよくなることにつながっている」
というものだ。あるAKBブロガーはもっと進めて「いい歳してアイドルを追いかけるのも、新幹線代、ホテル代etcを使うことで日本の経済に貢献している」と全くオンチなことをのたまわっている。しかもやめておけばいいのに「経済学」などという言葉をえらそうに使っている。まぁ、確かに1+1=2だって数学だろうから、別におかしくはないが、金を使えば景気が良くなるということを説明するのに、経済学という言葉を出すとはよほど自分の言っていることに自身がないのか。

さて、AKBにお金をガンガン使うことがはたして景気浮揚効果があるかどうかという話だ。これは一般論では語れない。まずは実態レベルだ。CDが1000万枚売れたとして1枚2000円とすると、200億円になる。これがたった200億円か、200億円も、なのかは定量分析をしなければわからない。
ある消費者がCDを100枚購入したとき20万円の支出になるが、この20万円を支出するために、タバコと酒をやめ、昼ご飯はお弁当にして、夜もおつきあいは控える。ということをやったうえで20万円を捻出したのならば景気浮揚効果はない。
では、借金をしてCD代を捻出した場合は?。これは景気が浮揚する。ただし、その借金が返せなくなると景気浮揚を上回る景気後退が訪れる。
では、預金(貯金)を切り崩して捻出した場合は?。これも景気は浮揚する。ただ、貯金がどこまであるか人によるので、どこまでも切り崩せるわけではないことを考えると継続して景気浮揚効果があるとはいえない。さらに消費性向は貯蓄に左右される(貯金がまだあるから使っちゃえ~ってやつ)ので長期的に見ると貯蓄が減ると、先に言った他の消費を抑えてCD代に回さなければならなくなり景気浮揚効果は継続しない。
もっというと、現在の日本の経済は地域経済がうまく回っていないことが問題であり、CDを地元のレコードやで買うのではなくネットで買うことは地域経済にはなんら貢献しない。
以上、握手券を入手するためにCDをたくさん購入することは基本的にバカなのだ。そのうしろめたさがあるからこそ、他者から「ヲタ」と呼ばれているのだと気づき、それでも「ヲタ」としての矜持とは何かを考え持っているものがいて「文化」が支えられているのだということくらいわきまえられないやつはヲタの資格はない。
もう一度言う。景気を支えているのではない。文化を支えているのだ。

AKB楽曲レビュー(1)

2011-07-02 01:09:20 | AKB楽曲
音楽を意識して聴くようになって3ヶ月くらいがだった。
俺の立場は一貫しているつもりだ。音楽の専門的な知識によらず、「なぜこの楽曲が好きなのか」という感覚を言語化し、言語化することを目的化せず、そこで説明された言葉が「好きだ」という感覚と照らし合わせたときに正当性を失わないというものだ。ロールズの反照的均衡と同様と思えばよい。

俺は歌詞なんてどうでもいいと思っていた。
しかし、そうではないことに気づいた。前にも歌詞はプラス要因になれこそ、マイナス要因にはならないという言い方をしたが、すでにこのときからどこかで詞を少し意識している自分がいたことに気づいていたのである。
歌い手のキャラクター、歌詞の世界観、これらを音として表現されたものを俺が「好き」「嫌い」と分ける基準がどこにあるのか?。
今の時点では次のように考えている。それは、作曲・詞・編曲のバランス感覚が自分の中でとれているもの、つまり、俺の中で「説明可能」になったものを好きと感じるということだ。



「彼女になれますか」作曲/編曲:野中まさ雄一

イントロ 12小節
A A' 16小節
B 8小節
余白 1小節
サビ サビ' 16小節
C 4小節
以下間奏①、AA'Bサビサビ’Cと繰り返す。
間奏② 8小節
Bサビサビ’Cエンディング

ピアノをまじえた軽快なイントロ。
短調のAメロへ。この落差が心地よい。
Aメロでは、突然気になっていた男の子から声をかけられてとまどってしまう女の子の気持ちが反映されている。これがチャンスなのかどうなのか、とまどう乙女心が手に取るようにわかる。
この不安と期待が入り交じった気持ちを振り切って告白(サビ)へもっていくためBメロは短め。
そして、Bメロとサビの間には盛り上げ感を出すために1小節いれるいつもの「お約束」。

そしていよいよ告白・・・。「私はあなたの彼女になれますか?」妄想が高まる姿がサビメロの高揚とシンクロする。
4小節分のCメロで「ダメならダメと言って・・・」と、ふられるかもしれない?という気持ちが再び短調のAメロに戻っていくつながりをみせる。ここはAメロへのつなぎとして間奏①はイントロと同じ。
間奏②はピアノを抑えめにしてサックスをメインにすることで、ピアノの弾むような気持ちとは異なり、進軍ラッパのようなイケイケ感が感じられる。
最後のサビは「お約束」の楽器演奏を少なめにすることで最後のサビ’を盛り上げる。
Cメロのあとは落ち込む感じをなくすためにギターをメインにして、調もかえている。そして、イントロと同じフレーズのエンディングで終了。


もちろん、いつものようにぼけーっと聴いてても好きな曲だが、自分で歌詞を意識して聴くとこの曲がますます好きになった。