荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

忙しいので一言だけ

2011-03-31 22:04:24 | 日記
原稿の執筆に追われてドラムの練習もいったん中止。春期講習以上に力を注がなければならない。


フランスはしたたかだ。アレバ社が原発の危機的状態に支援を申し出た。
アレバ社が放射能で汚染された水処理に成功すれば、フランスの技術の高さに対する信頼感が知れ渡り、以後の原発技術の輸出が容易になる。失敗に終わったとしても、「日本が情報を隠蔽していたために手遅れだった」といえばいいだけのこと。

さて、どうなることやら。

スウィング分析(その1) 2009年9月5日執筆

2011-03-31 01:13:12 | 政治の話
変更は一切ない。せっかくなので最後に付記をつけておいた。




選挙の度にかわる得票率をスウィングと呼ぶ。
前回の選挙で得票率が20パーセントであった。今回の選挙では25パーセントになった。このときのスウィングは+5である。

では小選挙区比例代表並立制がはじまった96年の総選挙から5回分の自民党と民主党のスウィングをみてみる。小選挙区分と比例分を同時に掲載する。


   自由民主党                  民主党
     小       比          小        比
96
↓  +2.38   -4.45   +16.02   +9.08
00
↓  +2.84   +6.65   +9.04    +12.21
03
↓  +15.37  +16.47  -0.22    -6.37
05
↓  -10.52  -24.83  +11.0    +11.38
09

こんな数字だけでも多くのことが読み取れる。と同時に、何が政治的に「失われた10年」だったのかもはっきりする。

まずは、自民党のスウィングだが、03→05→09でプラス16.47から-24.83という変化だが、こんな激しい変化は戦後の憲政史においてはじめてである。戦前に一度1932年総選挙で+20.6から36年総選挙で-20.8と変化した政友会のケースがあるが、それに匹敵する変化となっている。
川人貞史はアメリカの選挙の分析から大きくスウィングが動いたとき、共和党も民主党も支持者や主張が大きく変化したことを発見した。たとえば、アメリカの民主党がF.ルーズベルトのときのニューディール連合に変化したのは、それまで共和党の黄金時代が続いたからであった。
戦前日本でも政友会はどちらかといえば親陸軍的な傾向を1936年まではもっていた。それが、36年総選挙の大敗北後は軍から距離をとりはじめる。
このように、自民党もどれくらい続くか分からない野党の期間に新しい支持者の獲得と明確な主張がみられるようになれば、政権交代可能な政党政治が日本に出現することになる。

次に00→03の自民党と民主党のスウィングだが、小選挙区・比例区ともに両党ともプラスに転じている。これは何を意味しているかというと、この選挙で小選挙区制の効果が表れ始めたことがみてとれる。
両党ともプラスになるということは、他の小政党が割りを食っているということだ。03年選挙の直前に民主党と小沢一郎率いる自由党の合併(民由合併)があるので、割りを食った政党とは社民党と共産党に他ならない(社民党と共産党のスウィング分析は回を改めて行う)。
小選挙区比例代表並立制になって3回目でようやく小選挙区制の効果があらわれたのは、有権者が小選挙区のゲームのルールに慣れてきたことと(だから投票率が60パーセント台に回復した一因であろうということは前に述べた)、社民党・共産党がSNTV(中選挙区制)のままの選挙作戦を続けたことに他ならない。つまり、有権者も政党もなかなか慣習からは逃れられなかったのである。
このあたりは、イタリア議会政治と日本の議会政治を比較分析している後房雄に詳しい。

3つめは03→05→09の民主党のスウィング変化である。05年総選挙で民主党は確かに議席の上では177から112へと大敗したが、スウィング分析では大敗していないことがよくわかる。小選挙区ではたかが-0.22なのだから。要はこのときの自民党の小選挙区での+15.37というのは民主党から奪ったものではないことがわかる。比例区の落ち込みも今回の自民党の-24.83と比べたらはるかに小さい。
05年総選挙の見どころは、郵政民営化反対議員を自民党から追放し、彼らを倒すために刺客を送るといったわかりやすい物語であった。自民党への支持は、そこから来ているわけで、いわば民主党から直接奪った要素が少ない(いわゆる「行って来い」になっていない)のだ。
それに比べると09年の選挙におけるスウィングは自民党が失った分を民主党が奪っている、つまり、「行って来い」になっているのだ。
これは、今後の自民党の再建の困難さともつながってくる。民主党は05年の総選挙で負けたというものの、党の中枢を占める幹部は落選を免れた。比例復活した議員が中堅幹部に多かったからである。ところが、自民党は今後の自民党を背負う中堅幹部が軒並み落選している。よく09年の選挙の結果は05年の真逆だ、といわれているけど、内実は全く異なっているといえよう。
つまり、自民党の再建は民主党の敵失を待てばよいといった簡単なものではないのだ。その意味で、民主党は05年以後自民党の敵失を待てばよかったわけで、実際に、民主党勝利の原因は安倍、福田、麻生の三代にわたる無策=敵失が大きいものになっている。
今の時点では、この選挙で民主党を勝たせた有権者が「やばいなぁ、今度は自民党にしよう」という判断をとると、自民党は今回の敗北を教訓にしないまま党勢を回復し、政権交代可能な政党政治が実現しても、日本の社会のための政治にはならないということだけは断言できる。
イギリス労働党もサッチャー以後の保守党優勢の中で「第三の道」へと舵を切れた。アメリカ民主党も前述の通り。日本の政治も今後の民主党のがんばりと自民の身を切る思いの変身が求められているのである。

付記:2010年の参議院通常選挙で民主党が敗北したことにより、自民党は息を吹き返したようにみえる。ところがこうなると、自民党が必死の選択のなかで路線を変更していこうとする流れが止まってしまう。鳩山政権から菅政権へと移り、大地震の影響もあり政治の季節は遠ざかっているが、民主党への支持が高いとは思われない。こうなると、自民党が表面的な反省にとどまるだけではなく、民主党が解体していくという流れになったら新進党の二の舞になってしまう。こうなると日本の政治はますます漂流していくであろう。日本の政治のためには民主党政権が任期満了まで総選挙をおこなわず、その間になんとか党勢を回復させ政権を次の総選挙を乗り越えて維持することであろう。ただし、この見解は現行の小選挙区制を基本とした小選挙区比例代表並立制を前提としている。二党制ではなく穏健な多党制(政党数が3~5にとどまる)を理想像とするなら全く違う見解となる。

原発の話はもう終わった

2011-03-30 22:27:11 | 日記
ここ数日福島原発のことがニュースで扱われている。
やれプルトニウムが検出されただの、放射性物質で大量に汚染された水の処理だとか、東電が情報を隠蔽していたのではとか。

そんなことはどうでもいい。だいたい、与えられた情報によってアウトプットされる結論は変わる。しかもそに情報を自らが入手できる立場にはない。日々変化する入力に対して出力が変わると不安定になる。
つまり、どんな結果になろうと、俺はこう振る舞うという決断が全てだ。今更、実はこんなに深刻な事態だったなんて、と誰かを非難するやつは往生際が悪い。地震直後に水素爆発で3号機の建屋がふっとんだときに、考えられる最悪の状態を想定しておけばよかっただけ。

俺はすでに原発自体の問題は素人には手出しができないから、農作物や水資源の汚染のことを先手を打って対処することを言っていた。県表示ではバカな消費者を混乱させることや、高度情報社会では情報の隠蔽は無理だといっていた。

これは日記には書かなかったことだが(インフォーマルなところでは言ってきたが)、もう我々は放射能と共存していかなければならないことを肝に銘じることだ。大人は、少なくとも、将来の子孫繁栄に関係ない俺のような人間だが、そんなやつらは少々の放射性物質くらい気にしないこと。これを機会に首都機能移転を早急に進めること。関東からの人口流出によもない、そして、東北からの移民も含めて日本各地に人口30万人規模のコンパクトシティを作り、相互扶助を基礎としたコミュニティを創設すること。

もう大地震以前には戻れないのだ。日常に戻るのではなく、未来を作る面白さを持たなければやってられん。

参議院について(その2) 2009年9月3日執筆

2011-03-30 00:23:42 | 政治の話
執筆当時は、くだけた文体だったので全面的に文体を変えた。論旨には一切変更がない。最後には付記をつけている。



 すでに一部のメディアでは来年の参議院選挙のことを語る人もでてきた。参議院が政治の停滞を招く可能性があるからだ。しかし、メディアの多くは絶対に参議院を所与のものとしてしか語らない。それはあたりまえだが、参議院の改革は憲法改正に直結するだけに、護憲メディアは口にするわけがない。

 1980年代からの参議院通常選挙の結果を振り返ってみる。 参議院は3年で改選する。まず、自民党の議席の変遷を確認する。

13回(83年) 68
14回(86年) 72

 この段階では計140議席だから、252議席の過半数126を超えていることがわかる。ところが、

15回(89年) 36(消費税選挙。宇野首相のとき)

 ここで計108となり過半数を大きく下回る。

16回(92年) 68

 さすがに86年の14回通常選挙はダブル選挙だったので自民は勝ちすぎ。68でもよくがんばったほうだが合計104で依然として過半数に届かず。

17回(95年) 46

15回の消費税選挙での大敗を多少奪い返したが、計114でまだ過半数に届かない。

18回(98年) 44

 橋本首相が茫然自失で選挙直後に辞任を表明したことが印象的だった。計90となり過半数が遠くになる。

19回(01年) 64

 小泉ブームで大勝。それでも第18回の負け(44議席)があるために合計で108議席。ちなみにこの19回から定員が242人で過半数が121人になっている。自民党は公明党の22議席を足して参議院で過半数を確保した。

20回(04年) 49

 民主党が50議席を獲得し、またしても過半数に届かず計113議席

21回(07年) 37

 安倍首相の不人気から大敗。合計で86議席。公明の20議席を足しても106議席。過半数に届かない。いわゆる「ねじれ」国会が出現する。


 1989年に過半数を切った自民党が、以後一度も参議院で過半数をとれないことがわかるだろう。1955年から89年まで自民党は参議院は常に過半数を確保していた。衆議院は83年の総選挙で過半数割れしたことがあったが、3年間だけ新自由クラブと連立を組んだことが一度あるのみ。

 では、民主党の参議院選挙の結果をみてみる。

18回(98年) 27
19回(01年) 26 (合計53)
20回(04年) 50(合計76)   
21回(07年) 60 (合計110)

 民主党は選挙後に民主党入りした議員とかやめた議員もいて、現在は112議席になっている。 2010年の参議院選挙は民主党が61議席以上とれば自力で過半数になれる。しかし、61議席というのは21回(安倍首相のとき)の大勝以上の勝利をおさめなければならない。これがどれくらい厳しいことかわかると思う。

 衆議院選挙の勢いがあればいけるんじゃないの?。と思った人へ。

参議院選挙の選挙制度は121議席のうち
1.小選挙区29名
2.SNTV44名
3.比例区48名

 SNTVとは政治学用語で日本人なら「中選挙区制」といういいかたのほうがなじみがある。 中選挙区制というのは世界的に見て非常にユニークな選挙制度で、デモクラシーの7不思議のひとつといっていいほど珍妙な選挙制度である。 ひとつの選挙区から2名以上の定数があり、有権者には一票しか持たされず(Single)、同党から2名以上の立候補者が出ているのにそのうち一名が圧倒的に多くの得票をしたにもかかわらず、他の1名に票が移譲されない(Non-Transferable)投票(Vote)方法のことである。

 SNTVは仔細な研究の結果、ドント式比例代表制以上に結果が比例代表的になることがわかっている。小選挙区制は得票率と議席率が比例せず、2009年の総選挙のように50%の得票率もないのに6割以上の議席(小選挙区のみ)を得ることができる。ちょっとした票の移動で議席が大きくかわってしまう小選挙区制に対して、比例代表制やSNTVはそこまで大きくは変化しない。

 要は、参議院選挙で2回続けて勝つということ自体至難の業なのに、小選挙区部分が少ないために圧勝する可能性がないのだ。 小泉ブームたけなわでさえ64議席、安倍自滅選挙の時の民主ですら60議席ということを考えたら、2010年の参議院選挙で民主党が61議席を獲得するためには、今回の衆議院選挙と同等の「風」が吹かなければならないだろう。

 民主党と連立を組む予定のパートナーである社民党と国民新党からみれば、参議院で民主党が過半数割れしているから連立のパートナーとなれるわけで、是が非でも民主に単独過半数をとらせたくないという隠微な関係も見ものだが、無責任な自分としては、自民党の反撃で再び「ねじれ」国会になることで政局が訪れる方が見ものだ。

付記:2010年の22回参議院通常選挙では民主党は大敗を喫した。44議席しか獲得できず、選挙前に社民党が連立を離脱したことにより国民新党とあわせても過半数にとどかなかず、2007年以降のねじれ国会が再び出現した。 自民党はこの選挙で51議席を獲得した。比例区、選挙区における1人区、SNTV区それぞれの得票率をもとに細かな分析をすると面白いのだが、以下の指摘にとどめておく。
 民主党は比例区では16議席、自民党は12議席で民主党が上回っている。ところが小選挙区とSNTV区(選挙区のこと)では自民党が上回っている。とりわけ小選挙区で自民党が勝利をおさめたことが自民党の勝因となっている。自民党は29の小選挙区で21勝8敗であった。

あと7日

2011-03-29 21:57:39 | 日記
春期講習も中盤が終わる感じだ。なんとか乗り切ることができそうだ。明々後日からは朝からの仕事なんでちょっと生活リズムが崩れそうだがやむをえない。

それにしても春期講習中で忙しいというのに、AKB劇場が再会されたもんだから早速応募するや、あっさりと当選。4月1日のチームB公演にいってきます。たぶん、当選していたのに地震で中止になってしまった人を優先的に当選させているものとみられる、と勝手に思っている。

では、これからはいつものようにドラムの練習をしてから添削を少しして朝まで原稿執筆。文春さん、待たせてすみません。