荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

雨の日は大好き

2011-02-28 23:16:04 | 日記
天気がいいと部屋の中にいるのがむなしくなる。
つい外をぶらぶらしてしまう。

雨だと落ち着いて部屋で仕事ができる。
ドラムのレッスンが終わったとは、家で原稿書いたり、『世界史の見取り図』下巻の校正をしたり。

夜はSKE48の「制服の芽」公演が3Dで映画館上映されるので観に行った。こういうとき映画館が近くにあるとかったるくなくていい。SKE48の「制服の芽」公演は俺が最初に観た劇場公演だった。楽しかった記憶が蘇ってきたよ。

さて、寝るまで仕事するか。

40半ばにしてAKBにハマる(9)~握手会への道6~

2011-02-28 16:10:07 | 「AKB48」
うーん、この修羅場、最高だ!。さながら野戦病院といったところだ。泣いている子どもがいるわ、バカ学生たちがはしゃいでいるわ、阿鼻叫喚の地獄絵図というにはおおげさだが、そういってもおおげさではない。さわやかな風が舞う屋外とはうってかわって暑苦しく臭い。
 握手会場は最上階らしい。そちらに上がったが最後、握手をするまで戻れないみたい。いったん外に退却し、準備を整え、オーロラビジョンをみるといよいよ7000番台。この段階で14時をすぎる感じだった。ここからまた時間がかかるのだろうが、第一部のメンバーとは握手ができそうだ。というより、もともと第一部の大島優子と握手をするためにきたようなもんだ(1)。
 気合いを入れて最上階にあがる。布袋のAXライブでもまれるのはなれてるぜ!とばかりにズンズン前に進み、よくわからんけど、大島優子のレーンにたどりつく。ちなみに後で知ったことだが、俺はひどいわりこみをしていたらしい。といってもどこが最後尾かわからないんだから不可抗力だ。
 みてると、握手の時間は2、3秒あるかどうかだ。1秒の場合は、2秒の場合は、などとあらゆるパターンを想定していたので、すばやく2往復の会話をかわして、ハイ、オシマイ。
 朝の7時から7時間並んで2秒の握手。たまらん!、この感覚。
 俺の手元にはあと3枚の握手券が残っているが、1万番台と2万番台が2枚。これじゃ、2回目は無理そうだな。15時半までは競馬場にいた。実はこの日、Appleのデスクトップパソコンがやってくる日で、家に帰らなければならなかった。15時半の時点で10000番台には突入していたが、無理をせず撤収。まぁ、一回でも握手ができたんだからよかった。それに残っていても第二部のメンバーはよく知らないし。
 しかし、気になったのは、はたして今日中に握手が終わるのだろうか?という疑問だった。途中で知り合った人と話をして50000番台という人もいた。「どうみても今日中には無理だろ」。どうなることやら・・・。
 帰る間際に第二部のメンバーが確かアナウンスがあったと思うのだが、その中に高城亜樹の名前があった。「確か第一部から握手してたはずだぞ。大丈夫なのか?。体はもつんだろうか」。このよけいな心配意識から高城亜樹という人物に興味がわくことになったのがこの日の副産物だった(2)。それが、後日個別握手会で高城亜樹のところにいくことになる理由である。
 土砂降りの中の野外ライブにはじまった怒濤の三連休がこうして終わった。使わなかった3枚の握手券は記念としてとっておこう。そう決めて家路についた。

 握手ができなかった参加者が大量にいたようで(あたりまえだろう)、後日、競馬場での握手券をもってくればどこでも握手できることを知った。「よし、またいってやる」。お楽しみはこれからだ!。

この項 了

(1)なぜ大島優子が好きになったのかというと、10月9日の夜にテレビではじめてAKB48をみたときのことだった。三軒茶屋にいるときは、銭湯に行くことが多い。この日はAKB48東京秋祭りの初日だった。帰ってきて銭湯に行くとなんとAKBがでているではないか?。なるほどハイスクールという番組だった。1時間ほど前に見ていたメンバーがテレビの中にいるのは不思議な光景だった。録画なのだから当たり前と言っちゃ当たり前なんだが。
 とても面白い番組で、東京秋祭りとあわせて本格的にAKBにはまり込んだのはこの10月9、10、11の三連休であったことは間違いない。すでに番組は開始20分くらいは経過していたが、銭湯のババァとけらけら笑いながら風呂に入るのも忘れてずっとみてた。当然、ババァはAKBなど知る由もなく、AKBスーパービギナーの俺がいろいろと「これは、みいちゃん、これは優子」などと知っているメンバーをレクチャーしていた。この番組でとても気になったのが大島優子だった。2010年の選抜総選挙で一位になったときの映像をみても何にも思わなかったのが、この番組で大好きになってしまった。
(2)俺がAKB48のメンバーを尊敬するのはこの握手会に耐える精神力だ。絶対に俺にはできない。

道険し

2011-02-28 13:46:10 | ドラム
今日は、朝早起きして3時間ドラムの練習とレッスン。

今までハイハットのペダル(左足)は全く使用せず、ふみっぱなしだったが、今後のことを考えて、ゴーストモーションでいいからリズムをとるように、という指示がでる。

全てのリズムが崩れる。

今まで練習してきたことが全くできない。

貧乏揺すりのような感じでいいから動かす癖をつけて。といわれる。

しかし、今まで貧乏揺すりなんてしたことないし、しているやつに注意をするほうだったからなぁ。

もうひとつ、ハイハットを叩く右手が強くバスドラとスネアとの音のバランスが悪いとのこと。
確かになんとなく「汚いねぇ音だな」とは思っていたんだが、そういうことだったのか。
とはいえ利き手ではない右手はなかなかコントロールができない。それにバスドラを踏む強さを強くすると、右手までつられて強く叩いてしまう。

まぁ、またゼロからやっていくしかないな。

40半ばにしてAKBにハマる(8)~握手会への道5~

2011-02-28 09:40:42 | 「AKB48」
2度目の大学2年生のとき(まぁ、留年したということだ)、なぜか競馬に興味をもった。たまたま、家から近かったということもあるだろう。毎週土曜日は競馬場でのんびりしていた。なにせ、貧乏学生だから豆銭買い(100円買いのこと)しかできない。ちょうどミスターCBやシンボリルドルフが出てきた頃で、まだ競馬バブル以前で重賞レースのない日は東京競馬場は人ごみも少なく内馬場にいたっては人影もまばらといった感じだった。何年かして東京競馬場にいったとき、あまりの人ごみで二度とくるものかと思った。そして、まさかAKBの握手会で来ることになろうとは。
 緑のターフに真夏のような日差しが10月というのに降り注ぐ。前日は葛西臨海公園で行われたAKB48東京秋祭り。この三連休は朝から晩まで、大雨と快晴という両極端の天気の中で全てAKB三昧だった。
 
 11時になるとイベント開始だ。時計をみてないからなんともいえないが、時間が押したように記憶している。あたりまえだろう。俺が入場した時点でまだ長蛇の列が競馬場外に並んでいるのだから。なるべく入場するのを待つはずだ。
 イベントがはじまる。『会いたかった』『ヘビーローテーション』『ポニーテールとシュシュ』の三曲を歌ったような記憶がある。あとはよくわからないが寸劇のようなものをやっていた(1)。イベント時間は30分程度だったと思う。ステージが見にくい端っこの席だったし、声が小さくて聞き取れない。イベントはつまらなかったといっていいだろう。これが仮にステージに近い席なら別の感想をもったのだろうが。まぁいい。目的は握手会だ。イベントが終わり握手会がはじまる。
 オーロラビジョンには整理番号が今、どのへんまで進んでいるかということが映し出されるらしい。それまでの間はのんびりしていてくださいということだ。なにやら、この東京競馬場の全国握手会から、この待ち時間を有意義にということでいろいろと催し物があるらしい。まずはSDN48のメンバーがステージでいろいろと踊ったり歌ったりしていた。正直に言って全く興味はなかった(2)。正直に言ってAKBの48人の情報だけで頭はパンク寸前。5年間のAKBの歴史も突貫工事でつめこんでいた時期なのでとてもSDNにまで足りないおつむをまわす余裕はなかった。
 研究生がヘビーローテーションをハンドベルで演奏するという企画もあり、パドックで練習している姿を公開することもやっていた。パドックの中で練習している姿をみることはできても顔までは視力2.0の俺でも把握できない。それにこの時点では研究生っていったい何?という感じであり、今となってはもう少しじっくりみてればよかったなと反省している(3)。


 このイベントは競馬場全てを貸し切っているわけではなく、制限された箇所だけしか移動できない。これがとてつもなくつらい。四角形の一辺を進めばいいのに3辺を進まなければならないところもあるし、いわゆる導線がぐちゃぐちゃしている。通路は難民キャンプのように老若男女が座り込んでいる。ホームレスのように寝ているものもいる。当たり前か。徹夜で並んでいた人もいたわけだからな。俺も睡魔との戦いだったことを記憶している。自動販売機には数十人の行列が、食べ物屋さんにも同様。こういったとき、食事制限が課せられている俺は外食なんかできないし、飲み物も常に持参だから問題はなかったが、すごい光景だった。
 オーロラビジョンは4000番台から全く数字が動かない。7000番台になるのはいつのことやら。いや、まだ残り3枚も握手券が残っている。はたして今日中に握手ができるんだろうか?。
 この日の握手会は2部制をとっていた。一部は16時まで。二部は20時まで。両方にかり出されるメンバーもいるが、一部のみのメンバーもいる。このメンバーと握手しようと思うと、とても遅い番号では無理なんじゃないか?。
 とりあえず、いったい握手会場はどんなふうになっているんだろうと、建物の中に入る。ここからは今思い出しても衝撃の瞬間だった。

「なんじゃ、この人ごみは???」

この項 続く

(1)後で知ったことだが、全国握手会はスカパーで放映されている「ネ申テレビ(ねもうすテレビと読むらしい)」というのが協賛してるらしく、この全国握手会の光景をテレビに流すのだろうけど、こういった寸劇をさせているようだ。残念ながらAKBにそんなに時間を割くことはできないためこの「ネ申テレビ」は全く見たことがない。
(2)信じられないが、今はAKB48よりもSDN48のほうが好きかもしれない。
(3)AKBで興味があるのは、現在、研究生だけになってしまったといってよい。わずか半年たらずでコロコロと興味関心がかわるものだ。

音楽の違法ダウンロード

2011-02-27 21:01:51 | 趣味
ワイドショーでなにやら音楽違法ダウンロード禁止キャンペーンのイメージキャラクターに佐々木希が選ばれたということをやっていた。音楽の違法ダウンロードについて、ほとんどよくわからないが雑感を。
 有料でダウンロードせずに無料でダウンロードすれば当然ながら、作詞/作曲者に収入が入ることはない。そうなれば彼らに収入が確保されず楽曲を作っていくことはできない。したがって結局はリスナーにいい楽曲が提供できず、損をするのはリスナーだということになる。だから違法ダウンロードはやめましょう、というのがいいたいことだと思われる。
 確かにそのとおりかも?。しかし、この違法ダウンロードということについては2010年の1月に禁止法が制定されたにもかかわらず罰則規定がないというなにやら隔靴掻痒の感を免れない。本気で禁止したいのならば罰則をつけるべきだろう。
 まぁ、法律の世界なんてそんなもんだから、その話はおいときましょう。違法ダウンロードとはなにかということを少し考えてみたい。
 まっさきに俺が思い浮かべたのはエアチェックだ。子供の頃、FMラジオをつけっぱなしにしていて勉強したり本を読んでいたとき、気に入った曲がかかりそうになるとラジカセの録音ボタンにさっと手をかける。曲が始まる寸前に録音ボタンを押す。こうして「違法ダウンロード」のいっちょあがりだ。だいたい高校生までの間なんておこずかいすらろくにもらえない。シングルレコード一枚700円。LPアルバムが2500~3000円。月のおこずかいでアルバム1枚を買ったら何も残らない。そんな中でエアチェックでもしなけりゃ音楽をたくさん聴くことなんかできやしない。
 クラスで誰かがあるアルバムを買ったら、だいたい、そいつんちにいって同じアルバムを6回くらい聴く。どういうことかというと6人分の録音をするということだ。こうなると、次第に自分が聴きたいから聴くということを超えてみんなにも聴かせるという意味合いが付加されるために、買うレコードが決まってくる。あいつはナイアガラグループ(大滝詠一たち)ね、俺は松田聖子ね、などというように。ちなみに東京に出てきたときにびっくりしたのは中古レコード市場が充実していたことだ。福岡の片田舎ではレコードなんて新品でしか買うことはできなかった。
 いかに音楽に触れるためにはお金がかかることか。FMラジオからのエアチェックはとてつもなく重要だった(AMラジオは音質が悪くステレオじゃなかった)。ちなみに貸しレコードが登場するのは自分の記憶では1983年、つまり、俺が東京に上京してきた歳だった。(もっと前からあったのかもしれないが福岡にいたときには知らなかった)。
 昔話はこれくらいにしておこう。違法ダウンロードの話だ。このFMラジオのエアチェックは違法ダウンロードとはいえないのだろうか?。こういうと、「昔はデジタル化が進んでいなかったのでダビングするたびに音質が劣化していたが、今はいくらダビングしても音の劣化が少ない。だからだめなのだ」という反論があった気がする。しかし、これは孫コピーがだめだといっているにすぎない。子コピー自体(自分が楽しむため)は許されるのか?。
 これらの分析のためには実は大量のデータが必要になる。インターネットでみつけられる範囲と記憶の範囲で考えていきたいと思う。といっても、本格的な分析は本が書けそうだから定性分析にとどめる。
 まず、1980年代前半に年間CD売り上げベストテンといえば誰もが歌うことができる大ヒット曲であった。30万枚売れればヒット曲といわれていた記憶がある。実際に1980年の10位は田原俊彦の「哀愁でいと」で70万枚、1981年の10位は松任谷由実の「守ってあげたい」で67万枚、1982年の10位は近藤真彦の「ふられてBANZAI」は53万枚、83年の10位はラッツ&スターの「め組のひと」は62万枚である。100万枚をこえるものは年に1~3枚程度。
 つまり、90年代の10年間は音楽バブルであり、今は音楽の縮小期に入っているのではなく、元に戻っただけなのではという解釈もある。これは津田大介などの解釈になる。そういえば津田がコメントしていた朝日新聞の記事を思い出した。
 98年の約6000億円のCD売り上げが2010年は2800億円と半減以下に落ち込んでいる。インターネットを通じた音楽配信は2009年で900億円と成長してきたが2010年は前年比減という結果になったことを受けて、「10年前に比べてCDを買ったことについて」というアンケートを実施したようだ。
 その結果は、というと。
 あたりまえだが、昔に比べて買わなくなっている人が圧倒的に多い。その理由としては、音楽を聴く事自体が減ったという回答が群を抜いている。つまり、違法ダウンロードとかでCDが売れないというのはそんなに影響がないということだ。
 まとめておこう。CD(昔はレコード)を買う層は一定限度しかいない。CD(昔はレコード)を買わないものはテレビやラジオで全然かまわない。それが90年代になると、元々CDを買わなかった層が買うようになったためにミリオンセラー続出ということになった。今は、昔に回帰してただ買わなくなっただけ。それはYou Tube やニコニコ動画ですませるようになったことは確かにある。でも、違法ダウンロードのせいとはいえない。
 津田大介は、音楽に興味を持っている人は多いが多様化していて、日本の音楽業界がそれをとりこめていないという考察をしている。記事を書いた記者は読者の投稿をもとに、いい音楽を作れば売れるはずだ、と述べている。
 俺としては、これからどうすればいいか、ということにはあまり興味がない。なぜ90年代に音楽バブルが生じたのかをつきつめたほうがいいと思っている。しかも面白いのは80年代後半はレコード売り上げでミリオンセラーが出ない冬の時代だったところだ。このあたりの考察は時間をかけてゆっくりやってみたいと思っている。