あらかじめ断っておく。この「総選挙」自体、俺もネタとして十分楽しんだ。あくまでネタだから結果はどうでもいい。俺は次の楽曲が自分の好きな楽曲であればいい。そこで、最後までネタとして、この「総選挙」から考えたことを話していく。
ちなみに、間違って「総選挙」のことを検索していたらこのブログに立ち寄ってしまった人は、すぐに立ち去るほうが時間の無駄にならないと思うので立ち去るとよい。
日本人は非常にユニークだ。選挙というものと学力試験を同等にとらえている。
100人が学力試験をおこない、上から30人が合格、残りは不合格、というように。これを選挙に適用している端的な例がAKB選挙だ。私的な場では何度も口にしている。このブログでは過去に二度ほど言及した。
今回の「総選挙」では上位40名の得票総数が957442票。全体では120万くらいか?(1)。一位の前田敦子は139892票。得票総数を120万票としても11.6%にすぎない。なのにこれが一位と言えるのか?
学力試験で100人の合計点数が7000点として、トップの人間が100点だったら「たった0.01%」じゃないか!という言い方をすることができないように、学力試験での選抜とは性格を異にしている。
学力試験の結果は関係した全体に影響を及ぼせない。入学試験に落ちた学生や受験をしてもいない人に宿題を課すことはできないのだ。その意味で選挙は全く違う。異に反して選ばれたものに従わなければならないからだ。
日本人が理解していないことは、一人を選ぶことと多数を選ぶことの違いだ(2)。「総選挙」はこれを同時に選ぼうとしている。そこが根本的な矛盾なのだ。簡単なことだ。この選挙で一人に2票をもたせ、1票は好きな人へ、もう1票はセンターをとらせたくない人へ、という「マイナス投票制」を導入する。結果は、柏木が一位だった可能性が非常に高い。なぜなら前田、大島のヲタがそれぞれ互いにマイナス票を投じることで下手をすると40位以下に落ちてしまうことも考えられる。
一人を選ぶことと多数を選ぶことの矛盾は、大統領の所属政党と議会の多数政党が異なる大統領制をとっている国では頻繁にみられる。日本でも地方自治体ではよくこのケースがみられる。「総選挙」は22ndシングルの選抜メンバーを選ぶと同時にセンターを決めるという矛盾したことを同時に行っているのだ。ところが選挙制度のことなど興味をもたない人は、この根本的な矛盾に気づかない。そのため「大金持ちが票を動かす仕組みはでたらめだ」といういいかたでこの結果は不当であると叫んでいる。そんなことよりも前にこの11%で1位といえるのかということを考えるべきだ。
世界経済でたかが10%程度のGDPで世界経済を支配している(覇権を握っている)といえない(影響力はあるが)のと同じである。
「総選挙」には常に陰謀論がまかりとおる。いわく「運営が票を操作している」だのなんだの。なぜ陰謀論がまかりとおるのか(前田が人気あるわけじゃないのになぜ一位になるのか)、という疑問は生活実感から生まれてくる。たとえ身の回りでAKBファンが20人増えたとする。そのうち一人しか前田ファンがいない、19人は他のメンバーのファンだとしたとき、実感としては「前田は人気が落ちている」と見えてしまう。ところが、簡単なからくりだ。増加したファンが20人いるグループが10個あって(合計200人)、それぞれのグループから前田ファンは1名ずつ増えている(合計20人獲得)。ところが残りの19人が同じメンバーであるとは言えない。それはAKBには多くのメンバーがいるからである。結局、前田だけが20人のファンを増やし、大島は18人増やし、柏木は17人増やし・・・。こうして実感としては前田の人気は落ちているようにみえて、実は落ちていないということになる。
なまじっか実感だからこそ、確信が強い。こうして陰謀論がまことしやかに広がっていく。断っておくが前田を擁護しているわけではなく、「総選挙」がいかに代表を選ぶということを考えていないのか、そして、その欠陥を前提としてゲームを楽しんでいるのならばぐだぐだ文句言ってるんじゃない、といいたいだけだ。
10万分の1と100万分の1になんの差もない。両者とも限りなくゼロに近いだけだ。18位と19位が119票差しかないとかそんなことはどうでもいい。投票総数が120万票としたら1.3811%と1.3712%の違いでしかないということだ。これを82点で合格できた、81点で不合格だったということと同列に語るのはネタでしかない。まぁ、これをベタに受け取るやつがいるからこそ「総選挙」は盛り上がるのだろうけど。
デモクラシーがはじまることで政治構造に根本的な転換はなかったというのが、もはや歴史研究の成果として定着している。民衆に選挙権が与えられることで、民衆の支配層への参入が劇的に拡大したわけではない。
結局は、支配の根拠が正統性から正当性にかわっただけだ。支配層自体がかわるわけではない。なぜお前が支配者なのかと問われたら「昔から俺んちが支配者だからだ」から「みんなが決めたからだ」となるだけなのだ。実際に、国民投票制度も普通選挙も支配の道具として採用されていった歴史的経緯がこれをあらわしている。
ところがデモクラシーになることで政治的なアパシーを生むことにもつながる。なぜといって、自分たちが決めたんじゃないか、という物言いに反論をするのが困難だからだ。さもなくば「この結果は不当である」と叫ぶかどちらかしかない。
だからこそデモクラシーには制度設計として少なくとも「この結果は不当である」と思われない制度を準備しておかなければならない。そうしなければ支配層にとって正当性を確保することもできないからだ。その意味で、制度は説得力のあるものよりも納得されるものでなければならない。だからこそ政治制度、とりわけ選挙制度は国柄が顕著に現れる。とはいえ、その納得する感覚があまりに非合理的である場合、制度は機能不全を起こす。閉じられた空間ではこの納得する感覚は変化しない可能性が高いが、閉じられた空間を維持することは難しい。それがどの国であれ他国に影響され、他国に影響を与えあってきた近代化の宿命だ。
もし、仮に得票数の上位から21名を選抜メンバーとして選び、その中で誰がセンターをとるかということに、ファンが一切関与できない場合、それはSNTVによる議院内閣制となる。これはかつて全国一区で定員50名の議員を選んでいた参議院選挙と同じだ。SNTVについては過去ログをみよ。SNTV自体さまざまな問題をはらんでいるが、トップ当選が首相を務めるとなったら不満が起こるに決まっている。「総選挙」はそれをやっているのだということだ。
自らの支配者を選ぶのだから、そこには人格や信頼や様々な属人的要素が入り込む。ヨーロッパにおける議会政治の進展の歴史において、「人」を選ぶのではなく「政党」を選ぶようになったゆえんを俺はこう考える。政党はたんに多数決を獲得するための手段、というだけでなく今触れたように、個人を選ぶことで生じる理不尽さを無効化する装置であると。自分が嫌いなやつはいるが、それが好きなやつと一緒の政党である場合、「仕方ないなぁ」と納得せざるをえない。では、なぜ好きなやつと嫌いなやつが一緒の政党にいるのかというと、めざす政策・理念が一致しているわけで、つまり、属人的な要素を排除する擬制となっているのだ(3)。大統領を選ぶだけでなく、議会制度がとられ、そこは「個人」の活動の場ではなく「政党」の活動の場にしたことは全て偶然ではないのだ。
これ以上話しているときりがない。少しは選挙結果について触れておく。
まず投票総数の120万という数字から。集英社から出ている「総選挙」ハンドブック的な本があるが30万冊が売れたらしい。これがAKBファンの実数を映しているとしたら投票総数を120万票というのは少なく感じる。とにかくこればかりはデータがあまりにも足りなさすぎてこれ以上は話さない。
この1年で順位を大きくあげるだろうと想像された柏木、指原は予想通り躍進した。その他順位が変動した中で板野が4位から8位に落ちたことは少し気になる。これは、やはり板野が好きという人がAKBヲタとはいえないということをあらわしているのだろうか。
横山が19位になったのは運営から押されていることを考えれば妥当。決して躍進でもなんでもない。これまで運営が押しても選挙で結果がでなかったものもいるが、それはまだデモクラシーの進展が不十分だったからである。メディアによって拡大されたファン層が運営の意思を代弁しているだけにすぎない。
昨年とアンダーメンバーの順位は様変わりした。8人が降格した。選挙当日の速報からは3人がランクインした。これは昨年と同様。得票総数が爆発的に増えるから逆転は可能だという見方は間違っているのである。増えるからこそ、それに比例して得票が増えていく割合が強まるからだ。悲しいかなそれが人間の社会なのだ。一人一人はさまざまな背景を背負い、実存と葛藤しながらあがいているが、マスになってしまえば蟻の群れと変わりはない。
大きな傾向としてAKB内でユニットを組んでいるメンバーの健闘が光る。テレビを今、観ていたらテリー伊藤がバカなことをいっていた「劇場でがんばっている子が順位を伸ばしている」と。こいつは何をみているのだ。劇場がファンを増やすのだとしたらこんなにファンは増えていない。メディアによって増えただけのことを知っているだろうに。この提灯持ちが。劇場でがんばっている子が順位をあげるのなら研究生は全員40位以内に入っているはずだ。
大快挙は松井咲子だろう。決してテレビの露出が多いわけではなく(たぶん。テレビ観ないからわからない)、運営のプッシュがあるわけでもない。グラビアとかでもみない。それがランクインしたことは全く想像がつかない。前田亜美も同様。まぁ、5000票ほどだからモバイル会員315円として150万円だから、まだこのレベルだと富豪が一人ついただけでこの順位は可能だ。とにかくこの二人は今年1年が勝負だな。人気を定着させられるかだ。
昨年は約40万票の投票総数で一位の大島は31500票。7.8%でしかない。それが今回は120万票だとしたら前田は先にも言ったが、11.6%。130万票だと10.7%。これが劇場効果と思っている人は皆無だ。昨年の1位から10位までの得票総数が200251票だから約50%。今回は694913票だから120万票としたら58%。選挙参加メンバーが50人近く増えているのに、この数字は寡占化が進んでいることを表している。今のままの仕組みだとこの傾向は来年も続くだろう。
最後に。日本人が「代表を選ぶ」ことと「一人を選ぶ」ことの根本的矛盾に気づかないことが、デモクラシーという化け物を制御できない最大の理由であることを強調しておく。「総選挙」において「一人一票でいくべきだ」というような発言をしているやつは、それでも前田が勝ってしまう現実をどう受け止めるのか?。はっきりいう。一人一票になったとしても順位に劇的な変動はない。前田が8万、大島が7万、柏木が6万5千とそれぞれ票が同じ割合で減っていくだけだ。まぁ、そういうことを言うやつに限って最後まで「不正がまかりとおっている」と言い続けるのだろうが。自分が感じる不全感をデモクラシーの進展によって解消しようという愚かな発想をしていることに気づかないと、デモクラシーが進展するほど己の不全感の行き場がますますなくなってしまうだけだ。
まだ、来年は今の仕組みのままかな。だとしたら来年はネタとしても楽しむことはない感じがする。がらっと仕組み自体が変わってしまう感じもする。そうなったらまたつきあってやろう。
了
(1)これは少なく見積もっての数字である。ちなみに、この得票総数はかつて60万程度と予想し、後に80万くらいかと修正したが、それをはるかに上回った。
(2)「総選挙」では一人を選ぶというか順位を決めることまでやっている。国会議員の順位を選挙の結果で決めるといえば、いかにおかしいことをやっているかがわかるだろう。
(3)このことをふまえて、以前に「小説AKB総選挙」という選挙制度の基礎知識をAKBのメンバーを題材にして書いていたのだが、あるヲタから「とうとう完全にいっちゃいましたね」と言われたために公表はしていない。選挙が終わった今、公表するのははばかられる。永久にお蔵入りにする。
ちなみに、間違って「総選挙」のことを検索していたらこのブログに立ち寄ってしまった人は、すぐに立ち去るほうが時間の無駄にならないと思うので立ち去るとよい。
日本人は非常にユニークだ。選挙というものと学力試験を同等にとらえている。
100人が学力試験をおこない、上から30人が合格、残りは不合格、というように。これを選挙に適用している端的な例がAKB選挙だ。私的な場では何度も口にしている。このブログでは過去に二度ほど言及した。
今回の「総選挙」では上位40名の得票総数が957442票。全体では120万くらいか?(1)。一位の前田敦子は139892票。得票総数を120万票としても11.6%にすぎない。なのにこれが一位と言えるのか?
学力試験で100人の合計点数が7000点として、トップの人間が100点だったら「たった0.01%」じゃないか!という言い方をすることができないように、学力試験での選抜とは性格を異にしている。
学力試験の結果は関係した全体に影響を及ぼせない。入学試験に落ちた学生や受験をしてもいない人に宿題を課すことはできないのだ。その意味で選挙は全く違う。異に反して選ばれたものに従わなければならないからだ。
日本人が理解していないことは、一人を選ぶことと多数を選ぶことの違いだ(2)。「総選挙」はこれを同時に選ぼうとしている。そこが根本的な矛盾なのだ。簡単なことだ。この選挙で一人に2票をもたせ、1票は好きな人へ、もう1票はセンターをとらせたくない人へ、という「マイナス投票制」を導入する。結果は、柏木が一位だった可能性が非常に高い。なぜなら前田、大島のヲタがそれぞれ互いにマイナス票を投じることで下手をすると40位以下に落ちてしまうことも考えられる。
一人を選ぶことと多数を選ぶことの矛盾は、大統領の所属政党と議会の多数政党が異なる大統領制をとっている国では頻繁にみられる。日本でも地方自治体ではよくこのケースがみられる。「総選挙」は22ndシングルの選抜メンバーを選ぶと同時にセンターを決めるという矛盾したことを同時に行っているのだ。ところが選挙制度のことなど興味をもたない人は、この根本的な矛盾に気づかない。そのため「大金持ちが票を動かす仕組みはでたらめだ」といういいかたでこの結果は不当であると叫んでいる。そんなことよりも前にこの11%で1位といえるのかということを考えるべきだ。
世界経済でたかが10%程度のGDPで世界経済を支配している(覇権を握っている)といえない(影響力はあるが)のと同じである。
「総選挙」には常に陰謀論がまかりとおる。いわく「運営が票を操作している」だのなんだの。なぜ陰謀論がまかりとおるのか(前田が人気あるわけじゃないのになぜ一位になるのか)、という疑問は生活実感から生まれてくる。たとえ身の回りでAKBファンが20人増えたとする。そのうち一人しか前田ファンがいない、19人は他のメンバーのファンだとしたとき、実感としては「前田は人気が落ちている」と見えてしまう。ところが、簡単なからくりだ。増加したファンが20人いるグループが10個あって(合計200人)、それぞれのグループから前田ファンは1名ずつ増えている(合計20人獲得)。ところが残りの19人が同じメンバーであるとは言えない。それはAKBには多くのメンバーがいるからである。結局、前田だけが20人のファンを増やし、大島は18人増やし、柏木は17人増やし・・・。こうして実感としては前田の人気は落ちているようにみえて、実は落ちていないということになる。
なまじっか実感だからこそ、確信が強い。こうして陰謀論がまことしやかに広がっていく。断っておくが前田を擁護しているわけではなく、「総選挙」がいかに代表を選ぶということを考えていないのか、そして、その欠陥を前提としてゲームを楽しんでいるのならばぐだぐだ文句言ってるんじゃない、といいたいだけだ。
10万分の1と100万分の1になんの差もない。両者とも限りなくゼロに近いだけだ。18位と19位が119票差しかないとかそんなことはどうでもいい。投票総数が120万票としたら1.3811%と1.3712%の違いでしかないということだ。これを82点で合格できた、81点で不合格だったということと同列に語るのはネタでしかない。まぁ、これをベタに受け取るやつがいるからこそ「総選挙」は盛り上がるのだろうけど。
デモクラシーがはじまることで政治構造に根本的な転換はなかったというのが、もはや歴史研究の成果として定着している。民衆に選挙権が与えられることで、民衆の支配層への参入が劇的に拡大したわけではない。
結局は、支配の根拠が正統性から正当性にかわっただけだ。支配層自体がかわるわけではない。なぜお前が支配者なのかと問われたら「昔から俺んちが支配者だからだ」から「みんなが決めたからだ」となるだけなのだ。実際に、国民投票制度も普通選挙も支配の道具として採用されていった歴史的経緯がこれをあらわしている。
ところがデモクラシーになることで政治的なアパシーを生むことにもつながる。なぜといって、自分たちが決めたんじゃないか、という物言いに反論をするのが困難だからだ。さもなくば「この結果は不当である」と叫ぶかどちらかしかない。
だからこそデモクラシーには制度設計として少なくとも「この結果は不当である」と思われない制度を準備しておかなければならない。そうしなければ支配層にとって正当性を確保することもできないからだ。その意味で、制度は説得力のあるものよりも納得されるものでなければならない。だからこそ政治制度、とりわけ選挙制度は国柄が顕著に現れる。とはいえ、その納得する感覚があまりに非合理的である場合、制度は機能不全を起こす。閉じられた空間ではこの納得する感覚は変化しない可能性が高いが、閉じられた空間を維持することは難しい。それがどの国であれ他国に影響され、他国に影響を与えあってきた近代化の宿命だ。
もし、仮に得票数の上位から21名を選抜メンバーとして選び、その中で誰がセンターをとるかということに、ファンが一切関与できない場合、それはSNTVによる議院内閣制となる。これはかつて全国一区で定員50名の議員を選んでいた参議院選挙と同じだ。SNTVについては過去ログをみよ。SNTV自体さまざまな問題をはらんでいるが、トップ当選が首相を務めるとなったら不満が起こるに決まっている。「総選挙」はそれをやっているのだということだ。
自らの支配者を選ぶのだから、そこには人格や信頼や様々な属人的要素が入り込む。ヨーロッパにおける議会政治の進展の歴史において、「人」を選ぶのではなく「政党」を選ぶようになったゆえんを俺はこう考える。政党はたんに多数決を獲得するための手段、というだけでなく今触れたように、個人を選ぶことで生じる理不尽さを無効化する装置であると。自分が嫌いなやつはいるが、それが好きなやつと一緒の政党である場合、「仕方ないなぁ」と納得せざるをえない。では、なぜ好きなやつと嫌いなやつが一緒の政党にいるのかというと、めざす政策・理念が一致しているわけで、つまり、属人的な要素を排除する擬制となっているのだ(3)。大統領を選ぶだけでなく、議会制度がとられ、そこは「個人」の活動の場ではなく「政党」の活動の場にしたことは全て偶然ではないのだ。
これ以上話しているときりがない。少しは選挙結果について触れておく。
まず投票総数の120万という数字から。集英社から出ている「総選挙」ハンドブック的な本があるが30万冊が売れたらしい。これがAKBファンの実数を映しているとしたら投票総数を120万票というのは少なく感じる。とにかくこればかりはデータがあまりにも足りなさすぎてこれ以上は話さない。
この1年で順位を大きくあげるだろうと想像された柏木、指原は予想通り躍進した。その他順位が変動した中で板野が4位から8位に落ちたことは少し気になる。これは、やはり板野が好きという人がAKBヲタとはいえないということをあらわしているのだろうか。
横山が19位になったのは運営から押されていることを考えれば妥当。決して躍進でもなんでもない。これまで運営が押しても選挙で結果がでなかったものもいるが、それはまだデモクラシーの進展が不十分だったからである。メディアによって拡大されたファン層が運営の意思を代弁しているだけにすぎない。
昨年とアンダーメンバーの順位は様変わりした。8人が降格した。選挙当日の速報からは3人がランクインした。これは昨年と同様。得票総数が爆発的に増えるから逆転は可能だという見方は間違っているのである。増えるからこそ、それに比例して得票が増えていく割合が強まるからだ。悲しいかなそれが人間の社会なのだ。一人一人はさまざまな背景を背負い、実存と葛藤しながらあがいているが、マスになってしまえば蟻の群れと変わりはない。
大きな傾向としてAKB内でユニットを組んでいるメンバーの健闘が光る。テレビを今、観ていたらテリー伊藤がバカなことをいっていた「劇場でがんばっている子が順位を伸ばしている」と。こいつは何をみているのだ。劇場がファンを増やすのだとしたらこんなにファンは増えていない。メディアによって増えただけのことを知っているだろうに。この提灯持ちが。劇場でがんばっている子が順位をあげるのなら研究生は全員40位以内に入っているはずだ。
大快挙は松井咲子だろう。決してテレビの露出が多いわけではなく(たぶん。テレビ観ないからわからない)、運営のプッシュがあるわけでもない。グラビアとかでもみない。それがランクインしたことは全く想像がつかない。前田亜美も同様。まぁ、5000票ほどだからモバイル会員315円として150万円だから、まだこのレベルだと富豪が一人ついただけでこの順位は可能だ。とにかくこの二人は今年1年が勝負だな。人気を定着させられるかだ。
昨年は約40万票の投票総数で一位の大島は31500票。7.8%でしかない。それが今回は120万票だとしたら前田は先にも言ったが、11.6%。130万票だと10.7%。これが劇場効果と思っている人は皆無だ。昨年の1位から10位までの得票総数が200251票だから約50%。今回は694913票だから120万票としたら58%。選挙参加メンバーが50人近く増えているのに、この数字は寡占化が進んでいることを表している。今のままの仕組みだとこの傾向は来年も続くだろう。
最後に。日本人が「代表を選ぶ」ことと「一人を選ぶ」ことの根本的矛盾に気づかないことが、デモクラシーという化け物を制御できない最大の理由であることを強調しておく。「総選挙」において「一人一票でいくべきだ」というような発言をしているやつは、それでも前田が勝ってしまう現実をどう受け止めるのか?。はっきりいう。一人一票になったとしても順位に劇的な変動はない。前田が8万、大島が7万、柏木が6万5千とそれぞれ票が同じ割合で減っていくだけだ。まぁ、そういうことを言うやつに限って最後まで「不正がまかりとおっている」と言い続けるのだろうが。自分が感じる不全感をデモクラシーの進展によって解消しようという愚かな発想をしていることに気づかないと、デモクラシーが進展するほど己の不全感の行き場がますますなくなってしまうだけだ。
まだ、来年は今の仕組みのままかな。だとしたら来年はネタとしても楽しむことはない感じがする。がらっと仕組み自体が変わってしまう感じもする。そうなったらまたつきあってやろう。
了
(1)これは少なく見積もっての数字である。ちなみに、この得票総数はかつて60万程度と予想し、後に80万くらいかと修正したが、それをはるかに上回った。
(2)「総選挙」では一人を選ぶというか順位を決めることまでやっている。国会議員の順位を選挙の結果で決めるといえば、いかにおかしいことをやっているかがわかるだろう。
(3)このことをふまえて、以前に「小説AKB総選挙」という選挙制度の基礎知識をAKBのメンバーを題材にして書いていたのだが、あるヲタから「とうとう完全にいっちゃいましたね」と言われたために公表はしていない。選挙が終わった今、公表するのははばかられる。永久にお蔵入りにする。