荒巻豊志の整理されないおもちゃ箱

日本一下手なドラマーです。仕事の話をすることはこのブログではめったにありません。

AKB48 22ndシングル選抜総選挙

2011-06-09 21:13:44 | 政治の話
あらかじめ断っておく。この「総選挙」自体、俺もネタとして十分楽しんだ。あくまでネタだから結果はどうでもいい。俺は次の楽曲が自分の好きな楽曲であればいい。そこで、最後までネタとして、この「総選挙」から考えたことを話していく。

ちなみに、間違って「総選挙」のことを検索していたらこのブログに立ち寄ってしまった人は、すぐに立ち去るほうが時間の無駄にならないと思うので立ち去るとよい。

日本人は非常にユニークだ。選挙というものと学力試験を同等にとらえている。
100人が学力試験をおこない、上から30人が合格、残りは不合格、というように。これを選挙に適用している端的な例がAKB選挙だ。私的な場では何度も口にしている。このブログでは過去に二度ほど言及した。
今回の「総選挙」では上位40名の得票総数が957442票。全体では120万くらいか?(1)。一位の前田敦子は139892票。得票総数を120万票としても11.6%にすぎない。なのにこれが一位と言えるのか?
学力試験で100人の合計点数が7000点として、トップの人間が100点だったら「たった0.01%」じゃないか!という言い方をすることができないように、学力試験での選抜とは性格を異にしている。
学力試験の結果は関係した全体に影響を及ぼせない。入学試験に落ちた学生や受験をしてもいない人に宿題を課すことはできないのだ。その意味で選挙は全く違う。異に反して選ばれたものに従わなければならないからだ。

日本人が理解していないことは、一人を選ぶことと多数を選ぶことの違いだ(2)。「総選挙」はこれを同時に選ぼうとしている。そこが根本的な矛盾なのだ。簡単なことだ。この選挙で一人に2票をもたせ、1票は好きな人へ、もう1票はセンターをとらせたくない人へ、という「マイナス投票制」を導入する。結果は、柏木が一位だった可能性が非常に高い。なぜなら前田、大島のヲタがそれぞれ互いにマイナス票を投じることで下手をすると40位以下に落ちてしまうことも考えられる。

一人を選ぶことと多数を選ぶことの矛盾は、大統領の所属政党と議会の多数政党が異なる大統領制をとっている国では頻繁にみられる。日本でも地方自治体ではよくこのケースがみられる。「総選挙」は22ndシングルの選抜メンバーを選ぶと同時にセンターを決めるという矛盾したことを同時に行っているのだ。ところが選挙制度のことなど興味をもたない人は、この根本的な矛盾に気づかない。そのため「大金持ちが票を動かす仕組みはでたらめだ」といういいかたでこの結果は不当であると叫んでいる。そんなことよりも前にこの11%で1位といえるのかということを考えるべきだ。
世界経済でたかが10%程度のGDPで世界経済を支配している(覇権を握っている)といえない(影響力はあるが)のと同じである。

「総選挙」には常に陰謀論がまかりとおる。いわく「運営が票を操作している」だのなんだの。なぜ陰謀論がまかりとおるのか(前田が人気あるわけじゃないのになぜ一位になるのか)、という疑問は生活実感から生まれてくる。たとえ身の回りでAKBファンが20人増えたとする。そのうち一人しか前田ファンがいない、19人は他のメンバーのファンだとしたとき、実感としては「前田は人気が落ちている」と見えてしまう。ところが、簡単なからくりだ。増加したファンが20人いるグループが10個あって(合計200人)、それぞれのグループから前田ファンは1名ずつ増えている(合計20人獲得)。ところが残りの19人が同じメンバーであるとは言えない。それはAKBには多くのメンバーがいるからである。結局、前田だけが20人のファンを増やし、大島は18人増やし、柏木は17人増やし・・・。こうして実感としては前田の人気は落ちているようにみえて、実は落ちていないということになる。
なまじっか実感だからこそ、確信が強い。こうして陰謀論がまことしやかに広がっていく。断っておくが前田を擁護しているわけではなく、「総選挙」がいかに代表を選ぶということを考えていないのか、そして、その欠陥を前提としてゲームを楽しんでいるのならばぐだぐだ文句言ってるんじゃない、といいたいだけだ。

10万分の1と100万分の1になんの差もない。両者とも限りなくゼロに近いだけだ。18位と19位が119票差しかないとかそんなことはどうでもいい。投票総数が120万票としたら1.3811%と1.3712%の違いでしかないということだ。これを82点で合格できた、81点で不合格だったということと同列に語るのはネタでしかない。まぁ、これをベタに受け取るやつがいるからこそ「総選挙」は盛り上がるのだろうけど。



デモクラシーがはじまることで政治構造に根本的な転換はなかったというのが、もはや歴史研究の成果として定着している。民衆に選挙権が与えられることで、民衆の支配層への参入が劇的に拡大したわけではない。
結局は、支配の根拠が正統性から正当性にかわっただけだ。支配層自体がかわるわけではない。なぜお前が支配者なのかと問われたら「昔から俺んちが支配者だからだ」から「みんなが決めたからだ」となるだけなのだ。実際に、国民投票制度も普通選挙も支配の道具として採用されていった歴史的経緯がこれをあらわしている。
ところがデモクラシーになることで政治的なアパシーを生むことにもつながる。なぜといって、自分たちが決めたんじゃないか、という物言いに反論をするのが困難だからだ。さもなくば「この結果は不当である」と叫ぶかどちらかしかない。
だからこそデモクラシーには制度設計として少なくとも「この結果は不当である」と思われない制度を準備しておかなければならない。そうしなければ支配層にとって正当性を確保することもできないからだ。その意味で、制度は説得力のあるものよりも納得されるものでなければならない。だからこそ政治制度、とりわけ選挙制度は国柄が顕著に現れる。とはいえ、その納得する感覚があまりに非合理的である場合、制度は機能不全を起こす。閉じられた空間ではこの納得する感覚は変化しない可能性が高いが、閉じられた空間を維持することは難しい。それがどの国であれ他国に影響され、他国に影響を与えあってきた近代化の宿命だ。

もし、仮に得票数の上位から21名を選抜メンバーとして選び、その中で誰がセンターをとるかということに、ファンが一切関与できない場合、それはSNTVによる議院内閣制となる。これはかつて全国一区で定員50名の議員を選んでいた参議院選挙と同じだ。SNTVについては過去ログをみよ。SNTV自体さまざまな問題をはらんでいるが、トップ当選が首相を務めるとなったら不満が起こるに決まっている。「総選挙」はそれをやっているのだということだ。

自らの支配者を選ぶのだから、そこには人格や信頼や様々な属人的要素が入り込む。ヨーロッパにおける議会政治の進展の歴史において、「人」を選ぶのではなく「政党」を選ぶようになったゆえんを俺はこう考える。政党はたんに多数決を獲得するための手段、というだけでなく今触れたように、個人を選ぶことで生じる理不尽さを無効化する装置であると。自分が嫌いなやつはいるが、それが好きなやつと一緒の政党である場合、「仕方ないなぁ」と納得せざるをえない。では、なぜ好きなやつと嫌いなやつが一緒の政党にいるのかというと、めざす政策・理念が一致しているわけで、つまり、属人的な要素を排除する擬制となっているのだ(3)。大統領を選ぶだけでなく、議会制度がとられ、そこは「個人」の活動の場ではなく「政党」の活動の場にしたことは全て偶然ではないのだ。



これ以上話しているときりがない。少しは選挙結果について触れておく。

まず投票総数の120万という数字から。集英社から出ている「総選挙」ハンドブック的な本があるが30万冊が売れたらしい。これがAKBファンの実数を映しているとしたら投票総数を120万票というのは少なく感じる。とにかくこればかりはデータがあまりにも足りなさすぎてこれ以上は話さない。

この1年で順位を大きくあげるだろうと想像された柏木、指原は予想通り躍進した。その他順位が変動した中で板野が4位から8位に落ちたことは少し気になる。これは、やはり板野が好きという人がAKBヲタとはいえないということをあらわしているのだろうか。

横山が19位になったのは運営から押されていることを考えれば妥当。決して躍進でもなんでもない。これまで運営が押しても選挙で結果がでなかったものもいるが、それはまだデモクラシーの進展が不十分だったからである。メディアによって拡大されたファン層が運営の意思を代弁しているだけにすぎない。
昨年とアンダーメンバーの順位は様変わりした。8人が降格した。選挙当日の速報からは3人がランクインした。これは昨年と同様。得票総数が爆発的に増えるから逆転は可能だという見方は間違っているのである。増えるからこそ、それに比例して得票が増えていく割合が強まるからだ。悲しいかなそれが人間の社会なのだ。一人一人はさまざまな背景を背負い、実存と葛藤しながらあがいているが、マスになってしまえば蟻の群れと変わりはない。

大きな傾向としてAKB内でユニットを組んでいるメンバーの健闘が光る。テレビを今、観ていたらテリー伊藤がバカなことをいっていた「劇場でがんばっている子が順位を伸ばしている」と。こいつは何をみているのだ。劇場がファンを増やすのだとしたらこんなにファンは増えていない。メディアによって増えただけのことを知っているだろうに。この提灯持ちが。劇場でがんばっている子が順位をあげるのなら研究生は全員40位以内に入っているはずだ。

大快挙は松井咲子だろう。決してテレビの露出が多いわけではなく(たぶん。テレビ観ないからわからない)、運営のプッシュがあるわけでもない。グラビアとかでもみない。それがランクインしたことは全く想像がつかない。前田亜美も同様。まぁ、5000票ほどだからモバイル会員315円として150万円だから、まだこのレベルだと富豪が一人ついただけでこの順位は可能だ。とにかくこの二人は今年1年が勝負だな。人気を定着させられるかだ。

昨年は約40万票の投票総数で一位の大島は31500票。7.8%でしかない。それが今回は120万票だとしたら前田は先にも言ったが、11.6%。130万票だと10.7%。これが劇場効果と思っている人は皆無だ。昨年の1位から10位までの得票総数が200251票だから約50%。今回は694913票だから120万票としたら58%。選挙参加メンバーが50人近く増えているのに、この数字は寡占化が進んでいることを表している。今のままの仕組みだとこの傾向は来年も続くだろう。

最後に。日本人が「代表を選ぶ」ことと「一人を選ぶ」ことの根本的矛盾に気づかないことが、デモクラシーという化け物を制御できない最大の理由であることを強調しておく。「総選挙」において「一人一票でいくべきだ」というような発言をしているやつは、それでも前田が勝ってしまう現実をどう受け止めるのか?。はっきりいう。一人一票になったとしても順位に劇的な変動はない。前田が8万、大島が7万、柏木が6万5千とそれぞれ票が同じ割合で減っていくだけだ。まぁ、そういうことを言うやつに限って最後まで「不正がまかりとおっている」と言い続けるのだろうが。自分が感じる不全感をデモクラシーの進展によって解消しようという愚かな発想をしていることに気づかないと、デモクラシーが進展するほど己の不全感の行き場がますますなくなってしまうだけだ。

まだ、来年は今の仕組みのままかな。だとしたら来年はネタとしても楽しむことはない感じがする。がらっと仕組み自体が変わってしまう感じもする。そうなったらまたつきあってやろう。






(1)これは少なく見積もっての数字である。ちなみに、この得票総数はかつて60万程度と予想し、後に80万くらいかと修正したが、それをはるかに上回った。
(2)「総選挙」では一人を選ぶというか順位を決めることまでやっている。国会議員の順位を選挙の結果で決めるといえば、いかにおかしいことをやっているかがわかるだろう。
(3)このことをふまえて、以前に「小説AKB総選挙」という選挙制度の基礎知識をAKBのメンバーを題材にして書いていたのだが、あるヲタから「とうとう完全にいっちゃいましたね」と言われたために公表はしていない。選挙が終わった今、公表するのははばかられる。永久にお蔵入りにする。

ドラム練習(131時間目)

2011-06-09 14:28:23 | ドラム
スタジオの都合で4時間しか練習ができなかった。
「マイフレンド」はあともう一息で完成する。どうにも荒っぽいところがあって、もっと正確に叩けるようにしなければならない。

つくづくOJTが俺のスタイルだな。生徒に勉強の仕方を説明する時も徹底的にOJTを強調する。
社会科教育において、問題解決型学習か、系統学習かという対立が昔からあるが、俺は前者に傾いている。この傾向は昔からだ。

ZARDの曲を満足いく範囲で演奏しようとする中で、アクセントをつけること、バスドラのパターン、曲の構成などなど体系だってないが身についている。

あー、一日中練習したいなぁ。








OJT=On the job training
実践を通じて学んでいくこと

AKB48 3rdアルバム「ここにいたこと」

2011-06-09 00:26:01 | AKB楽曲
くだらないことを長々と書いてしまったが、破棄する意味がみつからない。このまま掲載する。

もう10回ほど通して聴いてみたうえでレビューを。
参考となるものは日経エンタテイメント7月号の関係者インタビュー。

2ちゃんねるは書き込みの9割が特典のポスターがどうだ、写真がどうだとそんなことばかり。AKBファンのは楽曲のことなど気にしていないのか?。


まずは1曲目「少女たちよ」
もともと年初AKB48の映画のエンディングテーマであった。AXライブで一度上演され、ラジオでワンコーラス分放送されただけだったが、感想はいいものだった。
小網準、生田真心のコンビでAKB48お得意のアップテンポ8ビートの典型的な楽曲。サウンドはハイキックらしくきらびやかだ。低音を全面に出し、ギリギリまで音圧をあげる松本靖雄らしいミックスダウンが心地よい。
俺が不満に思うのは2ちゃんねるでは「チャンスの順番」は酷評されているのに大して、この「少女たちよ」は好評価なところだ。「チャンスの順番」がどれくらいポップスとして最高の仕上がりをしているのかがわからないバカが多い。「少女たちよ」も酷評するのならわかるが、こういったやつらは楽曲だけでなく、歌詞すらろくに理解できていないバカだ。
「チャンスの順番」は作り手の側からみてすごく人気が高い。そのことを知ったとしても、誰が歌っているかということだけにとらわれているやつらは評価を変えることはないだろう。ボーカルに決定的な質の違いがあるわけがないのに。「この曲○○が歌ってんだぜ」と嘘を言えば、「神曲だー」と騒ぐようなバカは死んでほしい。
さて「少女たちよ」だが、間奏・エンディングとしつこいまでに盛り上げてくる。本来ならフェイドアウトさせて終わらせたい曲だ。AKB48はフェイドアウトで終わる曲がひとつもない。それもそのはず、オケをそのままライブで流すのだからフェイドアウトの曲が作れないのだ。そこはもったいなく感じた。
曲が盛り上がっていくのに反比例してボーカルの頼りなさが気になる。AメロからBメロまではオケとボーカルのバランスがとれているのだが、サビになるとボーカルのパンチ不足が明らかになる。
とはいえ、シングルとしても出せるくらいのできに仕上がっていて、演奏しても楽しそうな楽曲であることは間違いない。

「Overtake」
歌詞は、選抜メンバーに入れないとか実力で見返せといった内輪ネタ。こういった歌詞はわりとヲタの中では好まれるようだが、俺はどうでもいい。その意味では「チャンスの順番」も「少女たちよ」もこの路線。確かに内輪ネタではなく一般論としての応援ソングととらえることもできるが、応援ソングとしてはZARDの「負けないで」に勝るものはもう出てこないと思っているので、さほど何かプラスの要素はない。
楽曲はアレンジがとても元気いっぱいで歌詞に合っていて、いい感じに仕上がっている。好きな楽曲のひとつになりそう。

「僕にできること」
きれいなメロディーでチームKらしさがでている。「J-pop斬り」のマーティ・フリードマンいわく、間奏のギターが残念で、俺に弾かせてほしいとのこと。確かにそれは俺も感じたが、演奏がどうのこうのではなくて、ミックスダウンのときにギターを抑えている感じがした。全体にリードギターの音が背景に流れているが、間奏くらいはもっと押し出してもいいと思った。

「恋愛サーカス」
AKB音楽プロデューサーの田中博信は、この曲で「冒険」してみたといっているが、あまり冒険という感じはしない。スカっぽい感じで裏でリズムをとるのは確かにいままでのAKBには少なかったがいたって普通。でも、大好きだけどね。チームBらしくていい。いや、これはチーム4に歌わせたほうがいい気もする。ガヤ(背景でごちゃごちゃにぎわいの台詞が入ること)が売りのようだが、こういう曲はCDではよさを見せるが、ライブではどうなんだろうなぁ。

「風の行方」
ここからは、チームをシャッフルしたこのアルバム用のユニット曲の登場。ミディアムテンポで切ないメロディーは飽きがこない。どこかで聞いたことがあるメロディーラインだなぁと思っていたら中ノ森BANDに多くの楽曲を提供している島崎貴光だった。女子競艇選手の田口節子の妹が中ノ森BANDのベースで、競艇にハマっていた2006年にそのつながりから中ノ森BANDばかり聴いていたことが少し役に立った。
それにしても飽きがこない。最初はピンと来る楽曲ではなかったのに。それとこういうミディアムテンポの楽曲はZARDと同じく演奏していてとても気持ちいい。

「わがままコレクション」
前曲と同じ島崎貴光による作曲と編曲。妹系メンバーを集めたというわりにはじゅりながいたりして、これはボーカルの質が違うのでいなくてよかったと思う。知識があればこの曲はいろいろと語れる楽曲のような気がするが今の俺には無理。

「人魚のバカンス」
変拍子が多用されている。1983年の松田聖子に歌わせたかった。正直に言ってAKB48の新しい魅力を出そうとしているのはわかるが、こういった楽曲はアルバムのどこに配置するかで評価が大きくかわってしまう。それとやっぱり根が8ビート野郎の俺としては、今後あまり聴くことがない部類の曲になるだろう。

「君と僕の関係」
あっちゃんとともちんの二人による曲。これは俺には大ヒット。シングルにしてもよかったと思う。マーティ・フリードマンの感想で「転調が少ないのがAKB」というのを読んではっとさせられた。確かに・・・。だから「もっともりあげろよ」と思うときにそのパンチが足りないと感じることがあったが、これは二人ということでミックスダウンをしやすかったのか、最後の転調による盛り上げ、男性の英語によるコーラス部分といい、とてもノリがいい。歌っている二人にはなんの興味もないが、これはいい楽曲を提供してもらったと思う。欲を言えば、最後の終わらせ方があっさりしていたのは拍子抜けしたところか。

「イイカゲンのススメ」
長調からはじまりサビでマイナーアップテンポへというパターン。その逆は河合奈保子でよくあったなぁ。Aメロでの曲調ががらっとかわる違和感を生田真心のアレンジがうまく処理している。作曲は渡辺翔。フレンチキスに「ぽっかり」を提供しているが、全く作風が異なっている。やはり、生田のアレンジが曲のもつよさを思い切り引き出しているのだろう。

「High school days」
これはいい!。チーム研究生(チーム4)によるさわやかな学校恋愛ソング。切ないメロディーがいろんな記憶を呼び起こす。モータウンリズムが使われていてちょっぴりZARD的な雰囲気もあり、早くドラムで叩いてみたくなる。作曲は鳥海剛史。ジャニーズや気志団にも楽曲を提供している。この曲は作曲よりもアレンジのよさだろう。アレンジは清水武仁。浅倉大介周辺で活動していてHAL(ハル)のメンバーの一人。「クラシカルトランス聖夜」は嫌みがなくクラッシック音楽をポップスにアレンジしている。


このアルバムは全16曲で構成されている。以下、「チームB推し」、「チャンスの順番」「Beginner」、「ポニーテールとシュシュ」、「ヘビーローテーション」、「ここにいたこと」と続く。
なぜ16曲なのかというと、劇場公演曲が16曲で構成されていることから、このアルバムでも劇場公演の雰囲気を再現しようという目論みがあるらしい。確かに全体曲からはじまり、ユニット曲を挟んで再び全体曲へという流れを意識していることはわかる。この目論みは悪くない。レコードからCDに変わって、すでに20年以上になるが、音楽が急にかわった感じがする。A面、B面の概念がなくなったことにより、アルバムの作り方が大きく変わった。A面とB面で雰囲気を変えるといったことができなくなったからだ。収録楽曲もレコードに比べて増えた。こうなると多くの楽曲をなるべく統一された軸でそろえていくのはなかなか難しい。
そこで2時間のショーで上演されるセットリストとしてアルバム楽曲を作ろうとするのは悪くはない。ところが、そのコンセプトが最後になって崩れるところが、このアルバムの最も残念なところだ。すごくいい感じで10曲目の「High school days」まで来たのに流れが全く途切れてしまう。どういうことなのだろう。最後の5曲はアンコールということ?。
俺が考えたことは、このアルバムはいわゆるヲタ向けではないということ。もちろん、少しは考えているのだろうが、AKB48のことを知らない人に知ってほしいということが優先されているように思う。ところがそれならばもっと前半の楽曲に似合った過去の劇場公演曲から選ぶということをやってもよかったと思う。
まず「チームB推し」
これをこのアルバムに入れたことが最大の愚作。この曲は大好き。ヲタの間でも異常な盛り上がりをみせる。単調な楽曲を徐々に盛り上げていく武藤星児のアレンジはとても好きだ。しかし、これは「シアターの女神」のアンコール2曲目だからいいわけであって、このアルバムにいれる性質の楽曲ではない。これでは「恋愛サーカス」とかぶってしまう。この楽曲は今年のAKBセットリストベスト100で5位をとった曲ではあるが、このアルバムにいれる意味はなかったと思われる。ヲタだったら「シアターの女神」を購入すればいいだけだし、一般に向けてだったら付属のDVDで映像としていれたほうがよかった。この曲の上演シーンをみたら誰だって劇場に足を運びたくなるのだから。

「チャンスの順番」。これは最初に聴いたときから、なんと秋元康はメンバーのことを考えているプロデューサーなのかと感心した。一般の人からすれば16人の中で二人知っていれば十分といえるほどの下位メンバーに、こんな最高の楽曲を提供したからだ。もちろん楽曲にはたいした関心を持たないヲタには酷評されまくったが、わかる人がわかればいいという姿勢をとってくれたことが俺にはすごく嬉しかった。このアルバムに入れる価値はある。「少女たちよ」と同じ応援ソングでアルバムの雰囲気も崩さない。ただ最後はバラードの「ここにいたこと」を用意しているとなると、どこに配置すればいいかがかなり難しい。やはりラス前か。

「Beginner」
この曲はとってもダークでシャープだ。この曲こそが「冒険」ではないのか?。それをこのアルバムにいれてしまうことで、完全にそれまでの曲が「食われて」しまう。確かに初のミリオンセラーとなったのがこの楽曲だが、握手券があるからこそ売れたということを運営側は知っているのだろうし、純粋にこのアルバムは楽曲でAKBを魅せるというコンセプトでやってほしかった。
この楽曲は好きな部類に入るが、永遠にシングル楽曲としてベスト盤にも収録しないほうがかえってこの曲の価値を高める気がしているのだが。

「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテーション」
この二曲は語るまでもない。AKB48の代表的楽曲だ。これもアルバムに収録する意味をほとんど感じない。付属のDVDにはこの2曲の振り付けDVDが特典でついている(観ていないが。観る気もしない)。それで十分ではないか?。もし、この2曲をこのアルバムにいれるのだったら、冒頭だったのではないか?。AKBのことを知らない人にもしってもらいたい、というのであれば最初に代表曲を聴かせ、そこから「この子たちはこういう楽曲も歌ってるんですよ」という感じの組み立ての方が効果的だったように思える。どうせヲタはどういう並びであっても気にはしないし、それ以上に食傷気味と思えるほど聴かされているのだから(握手会にいけば無限ループで流れている)。

「ここにいたこと」
これは「AKB48」全192人による壮大な楽曲。アレンジは樫原伸彦。「桜の花びらたち」「そばにいさせて」とこの手の楽曲のアレンジはお手のものだ。
余談になるが、CD2000円で経費を除いて1600円とする。歌唱印税が1%だから1枚CDが売れれば16円。全16曲なので、この曲だけだと1円。このCDが100万枚売れれば100万円。それを192人で割ると、一人頭5000円ちょっと。アルバムが100万枚売れて、SDNやNMBのメンバーは5000円をもらうだけとは、つくづく因果な商売だ。
さて、この楽曲は好きだけど、残念なのは4分ちょっとしかないこと。6分くらいの壮大な楽曲を期待していたのに。いや、本音をいえば10分くらいであってほしかった。コーラスもメンバーがやっているのだとしたら、はっきりとコーラスは180人、残りが歌う、という感じにしたほうが厚みも増したように思われる。
この楽曲をアルバム冒頭に持ってきても面白かった。そして、この曲の後にポニーテールとシュシュでもOvertakeでもカッコいいと思っているのだが、当然、最後は「少女たちよ」で締めくくる。こっちのほうがよっぽどAKBらしさが出るのでは?。ということで、早速並べ替えして聴いてみよう。



広く一般向けにリリースするのなら、本来ならばセットリストベスト100の上位30曲をCD化するということをやればいい。なぜそうしないのかの理由はわからないが、俺はそんなCDが出ても買おうとは思わない。楽曲の好き嫌い(善し悪し)をファンが決めているのではなく、たんに好きなメンバーが出ている歌だから、といった基準で選ばれた楽曲が大半を占めるようなアルバムなんて買う気がしない。多くのアーティストがあるライブのDVD盤を出すと同時にCD盤もリリースする。これがAKBにはない。一度だけ2008年の公演がCD化されただけだ。このライブCDが出せないところがAKB48の欠点だ。まぁ、だからこそ、俺はAKBの魅力は劇場にしかないと思っているのだが。


新しいチャレンジがこのアルバムからはじまったことは評価するが、もっとAKBのことを知らない人に知ってもらいたいという気持ちからか昨年の大ヒットソングを同時に収録したことで全体の印象がぼやけてしまった感じがつくずく残念だ。振り付けDVDとかそんなものをつけるのだったらシングル楽曲と劇場公演曲から集めたベスト盤と、メンバーの多くが少女から大人に変わっていくことと並行して新しいチャレンジをみせるAKBへ、というような2枚組アルバムにしてもよかったのではないかと思う。つくづく最後の5曲がいらなかった。全11曲でも十分AKB48の魅力が出せたアルバムだったのに、そこが惜しかった。それでも、どんな楽曲であってもかまわないと思っている一部のヲタの存在をわかっていながら、作り手のプライドを捨てず多くの楽しい楽曲を作っている制作者たちには頭が下がる。