世田谷区豪徳寺2丁目のこの公園は、昭和15年(1940)に開園した世田谷区内唯一の「歴
史公園」で、東京都指定文化財なもなっています。公園内には、昔の面影を残す土塁や丘、谷
があり、樹木に覆われた自然豊かな公園で、世田谷百景にも選ばれています。さぎ草伝説の
主人公「常盤姫」もここに住んでいました。
世田谷城は、初代吉良氏が南北朝の頃、関東官領・足利基氏から、戦の手柄により、武蔵国
世田谷領をもらいうけて築城したのが始まりと伝えられています。以後、吉良八代、二百数十
年の間、居城として栄え、吉良御所、世田谷御所とよばれました。天正18年(1590)豊臣秀
吉が小田原の北条氏を亡ぼしたとき、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命を共にしたた
め廃城となったものです。(写真Mr麹町)
井伊直弼(1815-60)は彦根藩主直中の子で、兄を継ぎ藩主となり、嘉永三年(1850)四
月大老となりました。勅許を待たずに日米修好通商条約など安政五カ国条約に調印しました。
また十三代将軍家定の後継者を慶福(のちの家茂)に決定し、反対派の一橋慶喜らを抑える
という強い政策を実施。さらに安政の大獄を断行するに及んで、常に暗殺の危険にさらされ、
遂に安政七年三月、江戸城桜田門外において、水戸・薩摩の浪士らに暗殺されました。
世田谷郷は井伊家領であり、直弼は豪徳寺に埋葬されました。墓石の高さは342センチメー
トル、正面に「宗観院殿正四位上前羽林中郎将柳暁覚大居士」とあります。これは、昭和47年
4月19日東京都旧跡となりました。(写真Mr麹町)
招き猫で知られる豪徳寺です。鷹狩の帰りに通りかかった彦根藩主井伊直孝にたいして、寺
の飼い猫が手招きしたため、直孝はここで一休みすることにしました。そして寺の住職からお茶
の接待を受けている最中に、空模様が悪くなり雷雨になってしまったのです。「猫が招いてくれ
たおかげで濡れなくてよかった。これは縁起がいい。」と直孝は喜びました。
これが縁でこの寺が井伊家の菩提寺となり、直孝が没すると直孝の院号「久昌院殿豪徳天
英居士」にちなみ、寺の名前を豪徳寺と改めました。聞くと、猫が耳の後ろをさすりながら毛
づくろいをしていたのを直孝が見て、猫が自分を手招きしていると思ったのではないか・・・との
設も伝えられます。面白いですね。(写真Mr麹町)