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安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、山城国(京都府)の伏見
稲荷社に祈願しました。その効果があってかして病気全快。同二年、お礼の意味を込めて伏見
から祭神を勧請し、稲荷社を創社して被官稲荷社と名付けました。名称の由来は「出世」と解
するということです。
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上野寛永寺舜仁親王が浅草伝法院に隠居し、上野に行くのに便利な新門を造り、辰五郎がそ
の門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれました。辰五郎は火消十番組頭としても多彩
な活躍をしました。被官稲荷社には多数のお狐さまが奉納されています。
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