散歩の時に見つけた!

東京都内を散策しますが、こんな所にこんなものがと再発見します。写真を添えて紹介します。

被官稲荷社・新門辰五郎(浅草2丁目)

2014-01-06 06:47:31 | 日記
    

       

 安政元年(1854)新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、山城国(京都府)の伏見

稲荷社に祈願しました。その効果があってかして病気全快。同二年、お礼の意味を込めて伏見

から祭神を勧請し、稲荷社を創社して被官稲荷社と名付けました。名称の由来は「出世」と解

するということです。  

    

 上野寛永寺舜仁親王が浅草伝法院に隠居し、上野に行くのに便利な新門を造り、辰五郎がそ

の門の番を命じられたので、新門辰五郎と呼ばれました。辰五郎は火消十番組頭としても多彩

な活躍をしました。被官稲荷社には多数のお狐さまが奉納されています。