浄土宗寺院の東海院霊厳寺は寛永元年(1624)、霊厳雄誉上人が隅田川河口を埋め立て
て霊厳島を築いた時の草創です。明暦の大火(1657)後に現在の茅場町近くから移転。陸
奥国白河藩主松平定信の墓所があり、白河の地名が名付けられました。
松平定信の墓
松平定信は八代将軍徳川吉宗の孫、父は田安宗武、陸奥白河藩主となり白河楽翁を号してい
ました。天明7年(1787)6月に老中になって寛政の改革を断行、寛政5年(1793)
老中を辞しています。朱子学者でもあり、「花月草紙」「宇下の人言」「修身錄」などの著書
が知られています。