発達障害の人をロボットにたとえることについて、
「人権侵害だ」と怒る人もいるが、ある程度の割合の
発達障害の人は、自分で感じてその結果として何かをしたいのでするというのを停めていたり、
何かを感じてその結果としてしたいのと反対のことを反射的にする、
というのが身についてしまっているので、そのように主体をもてず、
自分の欲求や願望すら持てないという酷い状況を
見たくない、または、見た事も考えたことも無いので見えない、
という人が反射的な怒りとして「人権侵害だ」というのではないのだろうか?
自分や周囲が恵まれていて善良で良心的な人ほど、
そのような酷さが認識できないのではないか?
最近は様々な残酷な事が、海外ニュースで取り上げられているが、
そのような事に何か自ら関わったり、国内のそのような事に関わることが、
そのような事を認識する第一歩ではないだろうか?