マチンガのノート

読書、映画の感想など  

「恐怖の権力―<アブジェクシオン>試論」 ジュリア・クリステヴァ その4

2015-06-04 00:35:42 | 日記
この著作の中には、「母親の肉体」「おぞましい」などの
表現が出てくるが、今で言う「母子カプセル」「共依存」などの
症例から、自他未分化の状態を診ていたのだろう。
そこから、「父親による切断」ではなく、父親に対する愛情から、
父親に象徴される象徴秩序に入っていくところを描写しているのだろう。
それにしても、今から30年も前に、「主体の生成」を描いていたところが
すごいと思う。
最近、発達障害の臨床において、「主体の生成」というものが取り上げられているが、その場合は、象徴秩序に入っていく前に、
養育者から限りなく遠い所から、
「母子未分化」、治療者や養育者との、「融合」「絡み合う」という所に近づくことが、「主体の生成」に必要なのではないだろうか。


「甘えたいのに甘えられない: 母子関係のゆくえ、発達障碍のいま」 小林隆児

2015-06-02 12:30:16 | 日記
哲学者の河本英夫氏は、「自転車に乗れるようになる」などを、
「自ら生成するもの」「オートポエイシス」と書いているが、
対人関係も、そうなのだろう。
乳幼児期にそれがうまく形成されないと、小林隆児氏が書いているような、
甘えられずに拗ねる、あまのじゃく、へそまがり、などの行動につながり、
母子関係、対人関係が形成されず、甘えて安心する、
愛着を持つなどができず、
常に感覚過敏で安心することが出来ない硬直した自閉症、
発達障害の状態に留まるのだろう。
「自転車に乗れるようになる」過程を言語で表現しようとしても
とても困難なことから判るように、乳幼児と母親などの周囲の人間との、
対人関係の発達と成立を、言語で表現することは極度に困難だ。
精神科医の山中康裕氏が教え子などに、自閉症児などとの関わり、
治療について説明しようとしても、教わるほうが判らない、
というような事を、何かで聞いたことがある。
時間と言語について考えている哲学者の方々にも、頑張って貰いたい。