シャーンドル・フェレンツィも、「攻撃者との同一化」と言うことを取り上げていますが、
そちらの場合は鏡像段階などをそれなりに経て、ある程度自律性のある人格の基礎の上に、
攻撃者の振る舞いを取り入れているのでしょう。
渡邉琢氏の取り上げた「まっちゃん」やうちの父親などの場合は、そこまで自他が分化しておらず、
自他共に未成立な所に、攻撃的な態度を取られたので、自分の人格とつながらない形で
その攻撃的な態度がずっとあるのでしょう。
リンク 心理オフィスK にも解説が載っています。
攻撃的、暴力的な言動や態度をとるクライアントに接する際には、その相手が鏡像段階などを経ているか
どうかなどを見極めないと、単なる暴力的な人格なのか、表面的に暴力的な
言動や行動があっても、その基礎に自律的な主体のない発達障害を抱えた
重ね着症候群なのかを、見逃すことがありそうです。