マチンガのノート

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肉中の哲学:ジョージ・レイコフ、マーク・ジョンソン 計見一雄訳

2018-10-06 22:08:03 | 日記
身体の周りにあるものは、明確にではなくても認識されていて、
それらを見る、近付く、掴むなどで自身との関係が出来てくる。
それらの身体的あり方が、それに関する言語と認識や把握の仕方に
反映されているとのこと。
言語に対しては動きや位置関係が比喩を通じて取り込まれていて、それにより様々な物事を
認識、把握し、理解していっていると本書は言う。
共通の言語本能や、高いところから与えられた理性ではなく、
あくまでも身体運動から言語は成り立って行くのではないかとのこと。

そのような事柄は、臨床心理関係者の言う、
「山中康裕氏の治療は動的で、織田尚生氏の治療は静的」
とのことや、中井久夫氏が山中康裕氏と自閉症児がプレイルームに入ったのを
見ていて、自閉症児の顔から普通の顔に近くなり、あれこれやり取りをしていたが、
セッションが終わって外に出るとまたもとの顔に戻っていったとのこと
(山中康裕教授退官記念論文集・「山中先生の超能力」)や、さらに、
中井久夫氏が山中康裕氏とスイスに旅行した際、山の中でマイナーな方言を話す老人と、
多言語に詳しい中井久夫氏が会話しようとしても通じなかったが、
山中康裕氏が身振り手振りと片言であれこれやり取りをして、
お互いに肩を叩いて笑い合っていたなどの事と共通のところがあるのだろう。

京大臨床心理の本などでは、発達障害者の事を、「境界のない世界に住む人」等
書いていたりするが、そもそもその人にとっての境界は日常生活の中で
身に着けていくものだろう。
小さければ小さいほど、身体運動に深く関連しているのだろう。

また、小脳は運動を調整している部分とされていたが、最近では、
言語にも関与していることが解明されてきている。
「小脳に学習で獲得される内部モデル」川人光男