TVおじさん

世相の鏡であるテレビから学び、時として批判も。メディア表現にも触れる。まだ元気、散策の想い出も綴りたい。

長岡京 早良親王の怨念??

2011-09-24 | 散策

 悲劇の皇太子・早良親王の謎に触れるため、きょう長岡京跡を巡った。

長岡京について少し説明しよう。長岡京は、桓武天皇が延暦3年(784年)に奈良・平城京から都を移した所、平安遷都までの10年間、この地に都が置かれた。ところが、都の造営を巡って事件が起きた。工事の責任者である藤原種継が暗殺され、桓武天皇の同母弟・早良親王が関与したというのだ。弁明も出来なかった親王は、桓武によって幽閉された乙訓寺で一切の食べ物を拒み、淡路に流される途中に餓死したという。

 

阪急電鉄の西向日駅をスタートし、朝堂院跡と大極殿跡に足を運んだ。発掘作業は昭和30年ころから、時期がかなり遅かったせいだろう、長岡京跡は住宅で埋め尽くされていた。今も「大極殿」という地名が残っており、天皇気分でここに暮らしている人も多いようだ。奈良時代の古社・向日神社や角宮神社などにも立ち寄り、乙訓寺に足を運んだ。ここには早良親王の供養塔があったが・・・。

 

早良親王の壮絶な最期、桓武の近親者が次々と命を落とす。さらに畿内で疫病がはやり、多くの人が亡くなったという。“祟り”か“怨霊”か、桓武天皇は早良親王に天皇の尊号を贈り、災いを鎮めようとしたようだ。

 

謎解きとまではいかないが、謎を知るだけで楽しい旅が出来る。お薦め・京都異界巡り。

 



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