今井町の案内によると、この今西家は
「今井町の西側にあり、惣年寄の筆頭を務めていた家です。
城郭のような構造で、別名・八棟造りと呼ばれている
豪壮な建物です」と説明されている。
事前の予約で、この邸を訪ねた。
見るからに堅固な構えで、西面からみると窓ひとつない。
表通りの道幅は狭いが、間口はご覧のように広い。
それに格子がやたら太い。万一の際の防備も万全だということらしい。
ここは自治都市、邸の当主には多大な権限が与えられていた。
土間に面して桟敷がしつらえられている。これは裁きの場であったという。
軽微な犯罪については、ここで審判がなされ刑が言い渡されたそうだ。
目を上に転じると、そこには牢屋が生々しい姿で残っていた。
当時の姿が、私の眼前に現出した。
どんな裁きが行われたのか、きっと記録も残っているだろうが、
私は、とが人に対する“諭し”の場であったのではないかと思いたい。。