いつもという訳ではありませんが、
必ず充電器もしくはスペアの電池を持ち歩いています。
私が自動車電話を利用し始めたのは、昭和57年。
当時事件現場に走るのが仕事だったので、
いつ何時連絡が必要になるか分かりません。
あのグリコ・森永事件、昭和59年3月18日の発生ですが、
私はこの新兵器をいつも使っていました。
極めて長時間の連絡が必要になり、
さらに記事を書いて送るとなると
今のようにメールもないので、通話は果てしなく続きます。
そんな時に電池がなくなりました、
なんて恥ずかしくて言えません。
必ず予備の電池を持っていたし、車に戻って充電しました。
しかし、他社が使っているのは、私は見かけませんでいた。
当時は無線が主流で、
移動可能な自動車電話には目が向いていなかったようです。
でもこの事件を機に、ほとんどの社が
自動車電話に関心を示し、導入を図りました。
NTTもずいぶん力を入れ、売り込みに懸命でした。
私の記憶では、
この3年後に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件では、
この新兵器を持っていない社はなかったように思います。
当時は通話料も高く、
個人で所有するというのは無理でしたが、
今や誰もが持っている必需品です。
20数年、長いと言えば長いですが、
当時これほど普及するとは、
誰も考えなかったのではないでしょうか。