中区大手町、元安川沿いに1976年建立された「(広島文理科大・広島高等師範学校)興南寮跡・碑」です。
この地には、かって興南寮があったそうです。
興南寮は、1944年~1945年にかけ、広島大の前身だった広島文理科大や広島高等師範学校に在籍した東南アジアの南方特別留学生が住んでいた宿舎でした。
1945(昭和20)年8月6日、原子爆弾の閃光を浴び焼失しました。
4人の方々が原爆の犠牲になったそうです。
(広島文理大・広島高等師範学校)興南寮跡
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
きょうの頁:旭山神社からみる己斐の街並み
この地には、かって興南寮があったそうです。
興南寮は、1944年~1945年にかけ、広島大の前身だった広島文理科大や広島高等師範学校に在籍した東南アジアの南方特別留学生が住んでいた宿舎でした。
1945(昭和20)年8月6日、原子爆弾の閃光を浴び焼失しました。
4人の方々が原爆の犠牲になったそうです。
(広島文理大・広島高等師範学校)興南寮跡
「原爆関連慰霊碑・平和祈念碑等」編
3月18日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり
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