como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「太平記」を見る。その17

2012-09-13 22:28:09 | 往年の名作を見る夕べ
第33話「千寿王と不知哉丸」

 関東では、戦の混乱に乗じ、新田義貞(根津甚八)の軍勢が、信濃に侵攻。鎌倉の足利本陣では、この対応が問題になっています。
 これを奇貨として新田勢を討ち、北関東まで掌握して支配下におくべき、という強硬論が大半なのですが、尊氏(真田広之)は、「ともに鎌倉を討つために戦った新田殿を敵にしたくない」、どこまで義貞の意志による侵攻なのか、確かめてから…となんだか優柔不断。でも、そんな悠長なことを言ってる場合じゃなく、いまの勢いにのって関東の土地を取れるだけ獲らないと、戦の恩賞をどうするんだ、と、けっこう現実的な問題が横たわっているのですね。そう、この前後醍醐帝(片岡孝夫)が、鎌倉奪還の恩賞を凍結するといったツケです。
「新田殿が我らに何をしてくれました。援軍の一兵も寄越さず。上野の領地など取り上げわが身内に恩賞として与えるべきじゃと思うておりまする」と、強硬姿勢の直義(高嶋政伸)は、「それでまことに武家をまとめていけるとお思いか」と、尊氏の弱気をなじります。
 これにはさすがに師直(柄本明)がブチ切れ、「そもかような仕儀となったのは、ご舎弟殿が鎌倉を逃げ出したからではございませんか」口を慎みなされ!と厳しく叱責。直義はさすがに言い返せませんが、こういうふうに、その後の深刻な確執へつながる地雷を地道に埋設しておくのも、大河ドラマならではの見ごたえですよね(こういうのは近年の大河には是非とも見習ってほしかった)。
 軍議のあと、どっぷり落ち込んでる尊氏のところに右馬介(大地康雄)が戻ってきて、母親をうしなった不知哉丸が、石(柳葉敏郎)に連れられて花夜叉(樋口可南子)の一座に身を寄せたことを告げます。尊氏はすごく滅入っていて、「みなわしの蒔いた種じゃ…」と(うん、不知哉丸はたしかに蒔いたタネだ 笑)。わしがわずかばかりの夢を見たばかりに…と、そもそも北条を討ったことからこの混乱がはじまって、大塔宮が死んだり、それに鎌倉奪還になんか出てこなければ藤夜叉が公家の家人に斬られることもなかった…と、そこまで自分を責めなくても、ってくらい自虐的になってしまうのでした。

 兄弟で揉めてるのは都の新田兄弟も同じで、信濃侵攻は弟の脇屋義助(石原良純)の独断だったのですね。これを義貞は厳しくなじり、「わしは、帝の命で足利殿と戦うことになっても、正々堂々と戦う。正面からじゃ。信濃あたりに忍び込み、盗人まがいに国を奪うようなことはせん!」と(この義貞の美意識も、あとあとへの地雷埋設だよね)
 もともと小物の義助は、もうぎゃんぎゃん吠えます。去年自分が足利に越前守護の位を奪われた恨みはわすれない。弓や刀で自己主張するのは古い、武士もそれなりに政局やらなくては。そんなんだから足利の風下に立つんだ……とか言ったところで、足利の風下、という言い方にピリッと反応した義貞に、さらに、「都の衆がどういっているかご存知か。新田は帝が足利を牽制するために呼んだ、猿回しのサルにすぎぬと」と、おもいっきり地雷踏むことを言ってしまいます。

 鎌倉の足利邸では、田楽一座を呼んで宴が開かれています。花夜叉一座ですね。偶然にも(笑)。
 そこに、宿屋で待っていたはずの不知哉丸が忍び込んできて、直義とバッタリ再会してしまいます。驚いた直義は、とりあえず不知哉丸を部屋にあげて、お菓子とかを与えるのですが、そこに清子さん(藤村志保)と尊氏本人、さらには登子(沢口靖子)と千寿王が来てしまったから、さあ大変だ。
 といっても登子は事情をなにも知らないんですけど、千寿王と不知哉丸は、幼い者同士の直感で、ジーっと見つめ合います。そして不知丸が、尊氏に向かって「これ持っておる!」と、あの、清子さんの携帯用仏像を差し出したから、なにも言わなくても事情はバレバレ…。
 直義が不知哉丸を、侍女が千寿王を連れて去ったあと、尊氏は登子と二人きりになって、実は…と事情を打ち明けます。「あのこは、わしの子だ」と。
 まあ、見た瞬間わかったといっても、やっぱり直に聞くとショックですよね。てみじかに、藤夜叉の意志で自分とは無縁の者として育てられたこと、その藤夜叉が死んだ今、手元に引き取りたい、登子さえ許してくれれば…と話すのですが、登子としては、「母上様も、直義殿も御存じだったのですか。知らぬのは登子だけでござりましたのか」と、そっちのほうがショックなようです。
 といっても、新婚当時、乱入した石の口から尊氏の御手付きの話は暴露されてて、そのとき、「昨日の月がどのようであったか存じません、知りたいとも思いません」と賢いことをいって、事情を聴かずにいたのですけどね。そうなんですけど、実際、連れ合いの隠し子とご対面しちゃうとね。いくら賢夫人でもきれいごとはいっていられません。

 さて遠い奥州では、北畠親房(近藤正臣)、顕家(後藤久美子)親子が、関東の動乱が飛び火した地方叛乱に手を焼いております。お公家メイクに大時代な鎧兜を着込んだ親房卿が、「卑しき東夷の矢などこの親房には当たりはせん。汝ら知らずや、我は大納言北畠親房ぞかし!ここに矢を射てみよ!!」なあんて、「父上あぶのうございます」と息子に止められながら大見得切ってって、ポーズしたら砂が目に入って、「ウウッ、奥州の風の荒さよ…」。なんか軽くギャグ入っていませんか、親房様。
 そして奥州にも、関東以北が続々足利尊氏に参陣している、との知らせが入り、これを親房卿は都に書状で知らせます。
 関東の混乱を聞いた内裏では、帝お取り巻きの貴族たちが、足利軍に追討を出せと大騒ぎ。とくに、「尊氏に従うて戦に出た武士たちに恩賞の沙汰が行われている」と、これが問題になっています。
 が、それよりも、「昨日鎌倉より逃げ帰った女性が恐ろしい話を…」、大塔宮護良親王が、足利の手によりあえなき最期を遂げられた。その女性は、宮の首が落ちるところを見たという。と、この話は、坊門清忠(藤木孝)なんか、ああッ…といって吐きそうになって袖で口を押えるほど、一同に衝撃を与えます。
 あな畏れがましや、天をもおそれぬ所業。足利討つべし!と盛り上がり、帝に綸旨が要請されます。親王の死を聞いた帝は、やはり…と深く悲しみ、「この手でとらえ、この手で足利に渡した。あのとき、この手で殺してしもうたのじゃ…」
 いや、われらとてよかれと思うて宮を足利にお運び奉りました(なあんて良く言うよ)、よもや足利がかかる暴挙に及ぼうとは思いも致さず。憎きは足利でございます、なにとぞ足利討伐の詔勅を賜りたく!…と大騒ぎする公家さんたちを、ひとりだけ制止する者がいました。楠木正成(武田鉄矢)です。
「此度のことはまことに足利高氏殿の命によって行われたことなのか…」それがしかとはわからない、という正成は、この諸国の乱れ、民の疲弊のなかで足利と戦になればどうなることか。とりあえず落ち着いて、足利殿にことの真偽を確かめてはどうか、と、冷静な正成の意見に、帝は「げにも」と深く納得し、公家さんたちや名和長年(小松方正)とのは、尊氏便乗討伐の目論見は座礁します。
 こうして、護良親王殺害の真偽を確かめるため、尊氏に使者が差し向けられるのでしたが…。

第34話「尊氏追討」

 鎌倉の尊氏のところに、後醍醐帝からの勅使がやってきます。関東の動乱が鎮圧され、恩賞の義は朝廷が速やかに行うであろう、かくなるうえは尊氏は帰京して参内し、帝に事の次第を奏聞するように…と。
 ようは、太っ腹にも見切り出兵のことは許すというのですね。ただその代わり、大塔宮の死について、尊氏の口で説明しなくてはなりません。そんなことをしたら…というわけで、直義なんかは鬼のような形相をして反対します。「都にいけば殺されます!!」と。
 だけど、徹底的に自虐的になっている尊氏は、「都に帰る。帰って、万死に値する罪について自分の口で奏聞申し上げる」と言います。ですがそれを、「絶対に行かせない」と通せんぼして阻止する直義。しかも、「勅使はそれがしの一存で追い返しました」と。
 勝手に退路を断たれたことで、尊氏は逆上し、ついに直義に刀を抜きますが、直義は動じません。そして、師直や、家臣たちが続々と通せんぼをして人間バリケードをつくり、武家の棟梁である尊氏を、絶対京都に行かせない、朝廷には渡さないという意思表示をするのでした。
 
 尊氏が勅使を追い帰し、帰京しない意志を示したことで、後醍醐帝も怒りに震えます。
 というか、帝は尊氏が帰ってきて、大塔宮殺害について告白したら、許す、もう許す気まんまんでいたわけです。でも、それを完全に無視されたことで、思いが踏みにじられたようで、
「朕は…ゆるす。朕はゆるすのじゃ。なぜそれがわからんーーー!!!」
…と激昂し、持っていた扇を叩きつけて粉砕したりして、周りにいる公家さんたちを恐怖におののかせる帝。
「東国西国を問わず、諸国六十六か国、あまねく朕の治めるところ。一国たりとも武家の思うままにはさせん!!」
 …というわけで、新田義貞が招集されます。義貞に命じられたのは、「鎌倉に下り、足利尊氏を討つべし!」

 義貞にとっては、帝の名において尊氏を討つことで、武家の棟梁の座を約束されたわけですよね。たいへんな名誉ですが、それよりも(笑)、義貞には心にひめたことがありました。
 それは、匂当内侍(宮崎萬純)への思い。出陣を控え、内侍を呼び出して二人きりになると、いままでの思いのたけを…って、おいおいおい、本気でコクっているよ、おじさん。ヤス子さんの立場はどうなるんだ。
 いやそれよりも、義貞としては、むくつけき田舎武士の自分が、公家の姫君という霞のような存在にコクっているという英雄行為に、酔ってます。結果はどうでもいいようです。
 義貞の熱い告白を受けた内侍の答えは、「わたくしには、思うおひとがおります」。
 あー…内侍の思うお人って、あれだね、あの人だ。ただ、それって義貞にはわかんない。わかんないから、まあここは玉砕を潔く受け止めて、男らしく、「これで思い残すことなく出陣できます」と、思いを断ち切るしかないのでした。
 いや、これで内侍をモノにしてどうこうとか、ぜんぜん考えてないっぽかったけど。ただ、未練を残して出陣したくなかっただけなんでしょう。この時点ではね。ええ。

 さて、鎌倉では、清子さんが、花夜叉一座をご訪問。いよいよ不知哉丸を引き取りにきたんですね。
 石は逆上します。不知哉丸は足利などには渡さん、不知哉丸を武士になどしない!!だいたいいまごろになって何だ!!と。
清子さんは、仰せの義まことにごもっとも、これまでお育てくだされたそなた様の御心を踏みにじる申しようにございます、このとおりです、と深く深く詫び、不知哉丸どのを武士にするのではない、足利家ゆかりの寺にお引き取りして育てたい、と。「世情乱れたる折節なれば、幼子の身を守ろうと手守りきれぬこともございましょう。仏門にくぐれば、穏やかに母上の菩提を弔うことも、数多の学問を学ぶこともできましょう。十年二十年先を思えば、それが和子のために一番良い道だと…」
 清子さんのいうとおりで、たしかに不知哉丸はいままで戦乱に翻弄されてきたので、「戦乱から切り離された穏やかな人生を」という誘いに、石の心はうごくわけです。
 というわけで、不知哉丸の身の振り方は(いったん)決まり、石の出番もこれで終わりです。いわゆるフェードアウトですな(笑)。この人見てると、大河ドラマにおける架空人物の生かし方のむずかしさが、せつせつと感じられましたけど、でもまあ、下は京都の橋の下から上は天皇まで(!)各陣営をつなぐ、それなりの役割はあった…かな。一応ね。このフェードアウトから、ギバちゃんが次に大河ドラマに登場するのは「北条時宗」の安達泰盛役まで待つことになります。

 新田義貞が足利追討の綸旨を掲げて都を進発した報せは、尊氏を驚愕させ、深く深く打ちのめします。打ちのめされたあまり、「帝の軍と戦うのはあまりに恐れがましい。よって出家をいたし、お怒りを鎮め奉る所存じゃ」と。ビックリした登子は、佐々木道誉(陣内孝則)を呼ぶのですが、その道誉や、家族や郎党たちも見ている前で、尊氏は、みずから刀をとって、バツッと髻を切り落としてしまうのですね。
「構えて戦はならぬぞ。関東の諸国に伝えよ。足利尊氏は本日より仏門に入ったとな。いずれの武家も弓刀を置き、心静かに朝廷のお怒りが解けるのを待てと」

 尊氏としては、朝敵になって生き延びた家はないので、家族と郎党を守るためにしかたなかった…のですが、関東武士にとっては突然トップが消え失せた、みたいなことで、大混乱です。
 その隙に乗じ、足利軍は三河から遠江、駿河に侵攻。そこを破られたら関東へ進軍を許すことになるので、直義が決死の覚悟で出陣します。
 尊氏は、浄光明寺というお寺に隠遁して、ひたすら反省の姿勢をアピールしてるんですが、そこへ、佐々木道誉が乗り込んできます。道誉は、駿河で入手したという綸旨のコピーを尊氏に見せます。それによると、足利尊氏は死んでも許されない。たとえ出家の身でも許されない。どこまでも罪証をたずね追討せしむるべし、というのですね。
 家族を守るために出家してても無駄だと知った尊氏は、ショックを受けます。道誉はそれに塩をなすりつけるように
「わしは新田に寝返るぞ。生き延びるために寝返るぞ。御辺が戦わぬ限り、わしは新田と手をつなぐ。足利の敵となって生き延びる。そうでもせねばこの世は生きて行けぬわ」
 御辺の気が変わり、戦にお立ちのおりにはご一報賜りたい、いずこにいようと馳せ参じ戻ってまいる、と捨て台詞して道誉は立ち去るのですが……外で、にやりとひと笑いして、綸旨を破り捨てます。「なんちゃって綸旨」だったんかい! (笑)。
 でも、尊氏も、微かに「なんちゃって綸旨」なことが分かったような…。道誉も、尊氏に真意が通じたことがわかったような…このあたり、無言のうちにも微妙な含みのあるふたりの表情が、えもいわれません。うう(笑)。

 さらに、直義の軍が駿河で大敗したニュースが右馬介からもたらされ、尊氏を打ちのめします。道誉も、自分で言った通り新田に寝返ってました。しかし戦下手だな、直義って。この人がもうちょっと戦もできたら、日本の歴史だいぶ変わってたかもわかんないわ
 みんなが箱根で必死の鎌倉防衛をしている、と聞いて尊氏は激しく苦悩します。悩みまくる主人をみつめながら、右馬介は、兄上によしなにお伝えしてくれ、今生のお別れを申し上げます、という直義の痛ましい伝言をつたえます。直義を見殺しにするのか、人としてそれでいいのか、
「…さほどに、帝が大事でございますか」
 この言葉は尊氏を、ほんとにドスッと刺すのですね。刺された尊氏は、覚醒します。
「…鎌倉に、兵はいまどれほどおる」
 さあその言葉を待っていた。ついに、足利尊氏が長い苦悩から目覚めて、逆賊の名に甘んじて立ちます。ウルウル涙で感動をあらわにする右馬介…

そして「南無八幡大菩薩!」のかけ声も勇ましく、尊氏は出陣するのですね。兜はかぶらず、ざんばら髪にヒゲ。あの、日本史教科書で有名な肖像画どおりの姿で。
 大河ドラマの主人公が、有名な肖像画に、命を吹き込んで抜け出してきたようにソックリに見える瞬間、というのはあるものですよね。まさにそれです。なんか、感動的だなあ、いろんな意味で。うん。


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