como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

尚五郎クラブ 第9回

2008-11-07 23:17:18 | Cafe de 大河
今回は、ちょっと息抜きをしたくて、久しぶりの尚五郎クラブです。
幕末も大詰めの慶応3年、ホントは息抜きどころじゃないんですが…ちょと煮詰まってしまったので。ここらで小ネタ。おつきあいください。

「わたしとも同い年ではないか…!」そう…あの人もこの人も同い年!スペシャル
幕末人物の年齢大年表! (保存版 笑)

ということで、今回は、一度はやってみたかった、おもだった幕末有名人の生まれ年と干支をしらべてみました。

1823(文政6 癸未) 勝海舟(幕臣)

1824(文政7 甲申) 大村益次郎(長州藩士・医師・学者) 朝彦親王(公卿)

1825(文政8 乙酉) 岩倉具視(公卿) 有馬新七(薩摩藩士)

1826(文政9 丙戌) この年は特におりません

1827(文政10 丁亥)  河井継之助(長岡藩家老) 小栗忠順(幕臣) 山内容堂(土佐藩主) ジョン万次郎(平民→幕臣) 西郷隆盛(薩摩藩士) シーボルト楠本いね(医師)

1828(文政11 戊子) 松平春嶽(福井藩主) 平野国臣(筑前 志士) 伊地知正治(薩摩藩士) ハリー・パークス(イギリス公使) 

1829(文政12 己丑 ) 武市瑞山(土佐藩士) 寺田屋お登勢(旅館のおかみ)

1830(天保元 庚寅) 西郷頼母(会津藩家老) 清川八郎(浪人志士) 吉田松陰(長州藩士・学者) 大久保利通(薩摩藩士) 芹沢鴨(新選組)

1831(天保2 辛卯) 孝明天皇 佐川官兵衛(会津藩士) 

1832(天保3 壬辰)松本良順(幕府医師) ヘンリー・ヒュースケン(アメリカ公使通訳)

1833(天保4 癸巳 ) 大鳥圭介(幕臣) 佐々木只三郎(幕臣・見廻組) 木戸孝允(長州藩士)

1834(天保5 甲午) 橋本左内(福井藩士) 近藤勇(新選組) 岩崎弥太郎(土佐・庶民) 江藤新平(佐賀藩士) 川上彦斉(肥後・浪士) 前原一誠(長州藩士)

1835(天保6 乙未) 松平容保(会津藩主) 有栖川宮熾仁(公卿) 土方歳三(新選組) 井上馨(長州藩士) 坂本龍馬(土佐脱藩・海援隊) 小松帯刀(薩摩藩家老) 篤姫・天璋院(13代将軍正室) 福沢諭吉(中津藩士・学者)

1836(天保7 丙申) 山岡鉄舟(幕臣) 榎本武揚(幕臣)

1837(天保8 丁酉 ) 徳川慶喜(15代将軍) 三条実美(公卿) 板垣退助(土佐藩士) 吉村虎太郎(土佐・天誅組)

1838(天保9 戊戌) 後藤象二郎(土佐藩士) 岡田以蔵(土佐脱藩) 桐野利秋(薩摩藩士) トーマス・グラバー(イギリス人商人) ジュール・ブリュネ(フランス軍人)

1839(天保10 己亥) 中岡慎太郎(土佐郷士 陸援隊) 高杉晋作(長州藩士) 山県有朋(長州藩士)

1840(天保11 庚子) 久坂玄瑞(長州藩士) 黒田清隆(薩摩藩士) 相楽総三(草莽の志士)

1841(天保12 辛丑) 伊藤博文(長州藩士) 楢崎りょう(龍馬の妻)

1842(天保13 壬寅) 藤田小四郎(水戸藩士・志士) 大山巌(薩摩藩士)

1843(天保14 癸卯) 伊庭八郎(幕臣) 西郷従道(薩摩藩士) 木戸松子(芸者・木戸孝允の妻) アーネスト・サトウ(イギリス公使通訳) 品川弥次郎(長州藩士)

1844(弘化元 甲辰) 沖田総司(新選組) 斉藤一(新選組) 山田顕義(長州藩士)吉田稔麿(長州藩士)

1845(弘化2 乙巳 )中山忠光(公卿)

1846(弘化3 丙午) 徳川家茂(14代将軍) 和宮・静寛院(内親王・14代将軍正室) 


こうしてみると、なんとなく、生まれ年の特徴というものもあるような気がしてきます。特に濃いのは1827(文政10)年の亥年生まれです。なんか、みんな畳の上で死ねなそう。捨て身の生き様を貫いた強烈な顔ぶれですね。
1830(天保元)年の寅年生まれは、カリスマ・リーダーやアジテーターの年回りではないでしょうか。
このなかでもっとも突出している顔ぶれは、なんといっても1835(天保6)年・未年生まれ。それぞれにオリジナリティや才能や、わが道を行く意志力を兼ね備え、全体に異彩を放つ年回りです。
1838(天保9)年・戌年と、1844(弘化元)年・辰年には、ちょっと危険な顔ぶれが揃いました。一歩間違えば犯罪者を量産しそうな、ヤバイ気配の年回りです。

わたしは、自分が突出した干支(丙午)のうまれのせいか、歴史人物の干支的性格というのはちょっと気になるのです。
こうしてみると、十二支の動物と性格の関係はあまりないような気もしますが、それでも、
1834(天保5)年・午年や、1839(天保10)年・亥年などには、無関係ではないように思えますね。


こんなわけで、あの人とこの人がおどろきの同い年だった!という、小ネタ劇場でした。


14 コメント

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花の天保六年組 (SFurrow@丑年)
2008-11-08 00:32:20
文政十年組も濃いですよね。ジョン万次郎は大往生したんじゃなかった?(お墓まいりしてきましたよ~雑司ヶ谷霊園。鬼子母神のついでに。)土佐の殿様はアル中死?
松平春嶽さんは西郷さんより年下だったんですね。
リスト作成お疲れ様です~~こういう表って見飽きないんですよね。
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まったくです (吉子)
2008-11-08 07:32:48
ほんとこういう表って見飽きませんね。庵主様、お疲れさまでした。
しかし、改めて見てみると、「意外な」人が「意外な」人より年長だったり若かったり、タメだったり、
自分の中に勝手なイメージが出来上がってたりするんだなぁと再認識します。
それって、やはりドラマの役者さんの与えるイメージが大きいですよね。
特に大河は大物を出そうとしているせいか、実際よりだいぶお年寄りなドラマになりがちな気がします。
今回の大河で私が一番年齢的に重たいなぁと感じたのはホワイト勝様でしたが…初お目見えは確か齢36…いくら何でもね(^^;
そういや他局で「子連れ狼」やってらした時も、ホワイト拝一刀は、大阪の高槻にお嬢さんが住んでらして、
太秦でロケがある時はよくお孫さんを連れて来られたとかで、「孫連れ狼」と呼ばれていたという話を聞いたことがあります。
考えてみればあのお年で3歳の息子がいる一刀役というのも、なかなかに厳しいものがあるのでは…
時代劇のゴールデンタイム放送が少なくなり、時代劇のできる若い役者さんがいなくなってきているのでしょうか。もしそうなら寂しい限りです。

私自身、子どもの頃に柔らかい脳ミソにインプットされたイメージで、源頼朝は石坂浩二さんのまんまですし、村田蔵六は梅之助さんですし。
そうすると、今、大河を見てる子はずっと「小松帯刀ってあの変な髪型の、ラストフレンズのおにいちゃん」っていうイメージで育つんじゃ…?最近はタラちゃんにもなってますよね。
そして再来年の龍馬は福山さんだとか!
私の中では龍馬って、もっと小汚い、臭そうな人なんですけどねー。きっとものすごい美化され龍馬になるんだろうな…。

庵主様、また“私の中の鉄板役者お披露目大会”やって下さいね♪
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年回り。 (庵主)
2008-11-08 21:42:08
SFurrowさん

>土佐の殿様はアル中死?

まあ、ほとんどそのような。とにかく体ボロボロだったみたいですよ。肝臓と通風と、歯槽膿漏と…。ぶっ壊れるまで飲み続けるのも、文政10年組の濃い生きかたの一例ではないでしょうか(笑)。

天保6年組もそうですが、こうしてみると、こういうスターぞろいの年や、エキセントリックな人の年、小働きする人の年などもあって、たしかに年回りと言うのはあるように思えてきますよね。
武市半平太や、おりょうと同じ干支というのはどんなもんですか?>丑年。(笑)。
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小松帯刀は、当分… (庵主)
2008-11-08 21:49:40
吉子さん

>改めて見てみると、「意外な」人が「意外な」人より年長だったり若かったり、タメだったり、自分の中に勝手なイメージが出来上がってたりするんだなぁと

とくに殿様かんけいは、大人の役者さんが演じることが多いですものね。
今回だって、春嶽候が西郷さんより年下にはとても見えんでしょう(笑)。

思えば、初登場36歳という設定の北大路欣也、てかてかのメイクや張り切った発声などが微妙な感じでしたね。いくら役者は年齢関係ないといっても…(笑)。

>今、大河を見てる子はずっと「小松帯刀ってあの変な髪型の、ラストフレンズのおにいちゃん」っていうイメージで育つんじゃ…

きっとそうでしょう。篤姫がここ当分宮崎あおいちゃんが不動になるように、小松帯刀も…。
というか、この人自体があまりドラマなどで大きくとりあげられたことがないので。あと四半世紀くらいは上書きするチャンスなさそうですね。
小松帯刀にとって、これはいいのか、悪いのか…。

>「わたしの中の鉄板役者」お披露目大会

リクエストありがとうございます。
では、近々、福山竜馬応援として、理想の幕末キャストでも公募してつくってみますか(どこが応援?)。
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あの人とこの人が同い年というのは興味深い所多し (MoTo)
2008-11-09 02:37:45
こういった幕末における有名人の生年を集めた表を見てみるとなかなか興味深いものがありました。
あの人とこの人は実は同い年だった!なんていうのには面白く感じられるものがあります。
1827(文政10)年組で長生き出来た人はジョン万次郎さんとドイツ系の楠本イネさんくらいですかね。

確か清の西太后も篤姫と同じ1835(天保6)年生まれで庵主様がおっしゃられているこの年生まれの人にあるわが道を行く意思力をいい意味でも悪い意味でも行使した人でもありますね。
我が国のみならず海外も含めて同い年の人というのを調べてみるのも面白いと思います。例えばオーストリア皇后のエリザベートが篤姫より2歳年下(1837年生まれ:徳川慶喜と同年生まれ)という事や、篤姫と西太后、エリザベートが同世代である事を知った時は何気に興奮してしまいました(笑)。
中ではこの人はあの人と同じと脳内では思っていたら、実は違っていたなんて事もあってこういった表があると整理するには便利だったりします。

後個人的に気になった所として、表から抜けている人のうち調べてみた所で有名な人は、

1828(文政11)年、副島種臣(佐賀藩士)
1829(文政12)年、西周(津和野藩士、徳川慶喜の政治顧問)
1833(天保4)年、山南敬助(新選組)
1835(天保6)年、五代友厚(薩摩藩士)
1838(天保9)年、大隈重信(佐賀藩士)
1840(天保11)年、渋沢栄一(幕臣)

といった所でしょうか。維新後になってから本領を発揮していく人達がほとんどだったりしますが。
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こんばんはです (ikasama4)
2008-11-09 15:39:58
なかなか楽しい趣向ですね( ̄▽ ̄)

ちなみに自分の誕生日は天皇陛下と同じです。

後、東條英機さんが処刑されたのもこの日でした(; ̄∀ ̄)ゞ


後、再来年の大河ドラマは

脚本に福田さんが絡んだって事で福山さんが起用されたって事に
なんかミョーな感じがしてはいるのですが

NHKドラマ「ハゲタカ」のスタッフが絡んでいるとこに
個人的には楽しめるとこになりそうな気はしてます。

おそらく見る人は増えるんでしょうね。

半分ミーハーなファンだと思いますが(; ̄∀ ̄)ゞ



それから早速再来年のキャスティング希望ですが(; ̄∀ ̄)ゞ

武市さんは椎名桔平さんか谷原章介さん辺りで

西郷さんは意外に堤真一さんがいいのではと。
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脚が・・・ (SFurrow)
2008-11-10 00:24:07
すいません庵主様のレビューを待たずにフライングですが、彼は脚をどうかしたんですか? 私先週なにか見逃していたのかな~
まさか、竜馬暗殺を聞いて錯乱し、庭石にぶつけて捻挫とかじゃないですよね。
でも、あと数年で彼も帰らぬ人となってしまうので、その布石ってことかな。
最終回では、西郷・大久保(この二人も、すっかりブラックコンビになっちゃって)の最期も描かれるということなので、なお君臨終のシーンは、最終回の前週のラストシーンとか? いやいや、その後、子供をお近さんが引き取ったり等の段取りがあるから、もっと前?
まぁ回想シーンがいやという程出てくるんでしょうがね。
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世界規模で… (庵主)
2008-11-10 21:03:43
>MoToさん

>確か清の西太后も篤姫と同じ1835(天保6)年生まれで

おおっ、それはすごいですね! やはり、なにか破格の星の下にうまれているんでしょうか…1835年生まれ。

天保4年組の山南敬助はうっかりしてました。桂小五郎・佐々木只三郎と同年…。大鳥圭介もそうですが、さらに山南を加えると、この年うまれの人は醒めたスタイリストというかんじがしますね(笑)。

これって、世界規模で調べるとさらに面白いでしょうね。
なんか、クセになりそうです(笑)。
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福山龍馬! (庵主)
2008-11-10 21:13:11
ikasama4さん

じつはわたしの誕生日は、日付で言うと蛤御門の変の日。久坂玄瑞の命日なんです。ちょっとフシギな感じがします(笑)。

>脚本に福田さんが絡んだって事で福山さんが起用されたって事になんかミョーな感じがしてはいるのですが

そう…。いちばん微妙なのは、起用理由が「ネバーエンディングな人・進化し続ける人」ということなんだそうですが、大河ドラマの主演俳優が、役者個人の生きかたやスタイルできまるというのがすごく変な感じで。プロの役者としての技量や存在感というものは、だんだん期待されなくなっていくような…(笑)。

「ハゲタカ」は大好きでした。あのテイストと、妥協の無い完璧さは維持してほしいですね。
大森南朋さんに岩崎弥太郎を演じてほしい。

谷原・武市半平太は大賛成!

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尚さんの死因 (庵主)
2008-11-10 21:18:57
SFurrowさん

>彼は脚をどうかしたんですか? 私先週なにか見逃していたのかな~

いや、なにも見逃してないと思います。しいていえば、龍馬暗殺の方を聞いて庭で奇声をはっしたとき、乱心…もしくはなにかとり憑いた。
あるいは、ホントに庭石につまづいて骨折とかしたのかもしれません、場面外で…(笑)。
いや、それはともかく。尚五郎さんの「足痛」というのは原因不明で、糖尿病性の通風とか、脚気とも言われているらしいです。どちらにしても、それが若死ににつながるわけですよね。
西郷・大久保コンビや天璋院よりもだいぶ若くしてこの世を去ることになるので、最終回ちかくでは、みんなで彼の墓前にあつまるような場面も…あるかなあ?
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