Story 真田幸隆の使者として臨戦態勢の海ノ口城に、城主の平賀源心を訪ねた勘助。武田の軍勢を、自軍と親戚の援軍あわせわずか1千の寡兵で迎え撃つ平賀に、勘助は篭城戦の策を献ずる。いよいよ武田軍が攻め寄せると、勘助の奇策が全て的中し、武田軍は大苦戦。海ノ口城は長期にわたって持ちこたえ、雪が降り始めると、武田軍は進退窮まり、ついに撤退を決める。激怒する信虎に殿軍を申し出た晴信は、撤収の途中で進路を変え . . . 本文を読む
Story 相模の北条氏康に仕官を断られた勘助は、行者すがたで関東を放浪し、信濃国にたどり着く。領主の真田幸隆が営む牧では、葛笠村を出奔した平蔵が下働きをしていた。平蔵のつながりで真田幸隆の知遇を得た勘助は、思いがけず温かいもてなしをうけ、身につけた知識を請われ真田に滞在する事になった。一方、甲斐では、冬からの信濃攻めにむけ、晴信に初陣の機会が用意される。これを機に父子関係を修復してはという三条夫 . . . 本文を読む
半分甲州人・半分信州人の庵主です。
ちっちゃい頃、NHKの毎日夕方の番組「人形劇・真田十勇士」が大好きだった私は(って思いっきり年がバレるな…)、信玄公祭りの二十四将騎馬行列に、六文銭の旗の「真田隊」があるのがすごく不思議でした。あれは山梨県の話だったの???と理解不能だった、あのころは大阪夏の陣・冬の陣が武田信玄の時代からは二世代くらい後だということがわかっていなかったのです。
前後の関係 . . . 本文を読む
Story武田の裏切りで福島越前守の叛乱は失敗に終わり、福島は甲斐へ落ちのびる。信虎は残党狩りを家臣に下知し、福島は小山田信有に討ち取られる。家臣の前島昌勝が連座して罪を問われたことで、武田家の家中にも不協和音、信虎と晴信の不和はさらに悪化…。そんなおり、晴信に京から公家の三条家の姫が輿入れし、武田と今川は和議を結んだ。駿河に滞在中の勘助は、今川家への仕官を新当主の義元に懇願するが、勘助の醜貌を嫌 . . . 本文を読む
第5回から。関東の三国が互いに「駿河のタコ」「甲斐のサル」「相模のカメ」と罵り合っていて、でもお互い依存しあっている部分もある…「今川は我らを家来のごとく見下して」とイライラしている北条親子、方や今川の方では「北条など関東管領に押さえられてほにゃららら…」と。錯綜した雰囲気は伝わってくるのだけど、なんか団子になっていて、いまひとつ具体的に状況がわからない。とくに関東管領ってなんだ?
ドラマの今 . . . 本文を読む
Story
駿河に入った勘助は、大叔父の庵原忠胤の引きで亡き当主の母・寿桂尼の知遇を得る。福島越前守がひそかに武田と内通していることを寿桂尼の耳にいれ、内乱に備えて今川家の食客として雇い入れられる。出家している寿桂尼の末子・梅岳承芳と守役の大原崇孚雪斉は、甲斐の郡内領主・小山田信有を仲立ちに武田信虎と密約を交わしていた。それは福島越前守に合力すると見せて裏切り、挙兵した福島を陥れるというものだった . . . 本文を読む
武田氏信仰のもうひとつの総本山・甲州市塩山にあります恵林寺の現状が気になっていたので、行ってきました。
ここは信玄の菩提寺で、寺院の奥深くに信玄公墓所があるのです。
武田神社と違って恵林寺はけっこう遠く、名刹といってよいお寺なので、行くときはそれなりに気合が入るのですが、気合を入れて行ったわりにはしずかでした。観光バスなんか一台もきてなく、お客さんもチラホラ。
春には桜でいっぱいになる . . . 本文を読む