como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「太平記」を見る。その22

2012-10-07 21:43:45 | 往年の名作を見る夕べ
第43話「足利家の内紛」

 さて、兄弟仲良く…と言い残して清子さんがなくなってから5年…て、早っ!!5年の間に尊氏(真田広之)は、鬢に霜を置く老けづくりになっておりますが、今ごろ第二子ができてたりなんかして。光王、のちの足利基氏です(5歳にしちゃ育ちすぎな感じですが)。
 ですがこの5年の間に、南北両朝をめぐる戦乱は激化して、また戦の絶えない戦乱の世に。足利勢からは、高師直(柄本明)・師泰(塩見三省)が抜群の働きを見せているのですが、それを見て、なんとか初陣を飾って足利嫡流の存在感を見せたい、と逸ったのが直冬(筒井道隆)。戦に出してくれ、「将軍を真の父とする者」の真価を見せたい、と、尊氏に直訴に及ぶのですが、尊氏は「それはならぬ」と。「戦になどいかなくてもよい」とまで言います。

 いっぽう、師直は、前回、尊氏にぼこぼこに打擲されたのにぜんぜん懲りてません。出陣の前夜だというのに、佐々木道誉(陣内孝則)の屋敷に入り浸り。闘茶っていうの?いまの茶道でいう茶かぶきのようなことをやって遊んでるんだけど、そのお茶の席も、後世のわび茶とちがってド派手で、闘茶の景品もお金かかっててバブリーです。
 で、師直がおぼれているのが、数回前に、京都から拉致してきてモノにした公家の令嬢・二条の君(森口瑤子)です。この女はけっこうしたたかな女なんだけど、師直はぞっこんで、出陣の前夜だってのに、しかも同じ夜に夜道で刺客に襲われたりした(この刺客の正体はこの回時点では謎)のに、ぜんぜん応えず二条の君の体に溺れています。まあ、女好きというのがこの人のネックだったわけですね。

 吉野の朝廷では、北朝の後村上天皇の餞を受けて、出陣する若武者がひとり。楠木正成の遺児、楠木正行(中村繁之)です。(なつかしいなあ、このころ何回か大河でみた顔だ。今どうしてるんだろう)。
父は、大人になればおのれの命はいかよう使うてもよいともうしました。されば今、亡き父と同じく、吉野の帝に忠義を尽くさんものと思い定め、かく戦いおる次第にございまする
 と、この言葉は阿野廉子(藤真利子)を感動させ、「みなそなたに望みをかけておりまする。どうぞ命を愛しんでたもれ…」と愛情たっぷりのことばをかけられ、帝からは御酒を賜ります。
 これを、ものすごいイヤーーな顔で見ているのが、北畠親房(近藤正臣)です。これがホントに悪相なんですよ。老人班とか、目の下のクマとか。顕家が死んで、なんかが壊れちゃったんだね。
 親房は、出陣する正行に、顕家がどんなに凄い武将だったか、神の子のようだったか、誇張も混ぜてコテコテに吹き込み、単純で純情な正行を酔わせます。なんか、武将たるもの顕家のように(それに父親のように)壮絶に命を捨てなきゃならない!みたいに思いこんだ正行は、そのテンションのまま戦場へ。その正行を見送る親房の顏が、なんともいえない寂莫と空虚さをたたえていて、いいんだ~これが~~。

 中村繁之さんもこの場面限りのご出演、正行は実にあっけなく、河内・四条畷の戦いで討ち死にします。
 勢いづいた師直は、そのまま吉野の御所に突撃し、行宮に火をかけます。吉野朝廷の人びとは、天皇を守って、わずかの人員で、吉野より山奥の賀名生に落ちていきました。燃え落ちる行宮をバックに、うわーーーはははは、うわーはははは、と高笑いする師直が怖すぎます(でも、なんかこのドラマの建物炎上シーンて、全部おなじものの使いまわしのような気が…)。
 勝ち戦に酔った師直は、一族郎党を挙げて無礼講。祝勝会のビールかけみたいな異様なハイテンションの宴会で、「道で拾った」(つまり拉致してきた)身分卑しからぬ美女を、ケダモノのような男連中でよってたかって(以下の具体的な描写はありませんが)、みたいな、けしからんことになっております。

 こんな師直一党のおごり高ぶりを、もはや我慢ならない直義・直冬親子。庭で親子して弓を引きながら、なんとかして戦に出たい、高師直の武勇をしのぎたいと焦るのですが、尊氏が許しそうにない。そりゃそうだよね。
 そんなふたりに、桃井直常(高橋悦史)が入れ知恵をします。土岐頼遠の一件以来、尊氏に距離を置いている光厳上皇に頼めばいい。吉野討伐を直義に命じる院宣を出してもらえば、尊氏の頭を飛び越えて直冬を戦に出せます。
 直義はこれを実行に移し、上皇から、吉野討伐の院宣が直義に下されます。大将は直冬。これを聞いて尊氏は激怒して、直義に申し開きを迫るのですが、直義はシカトを決め込み、会いに来ません。
「三条殿(直義)が上皇を動かすとまでは読めなかった、われらの負けでございましょう…」とクールに言う師直。ってかこの人も完全に、直義サイドに関しては敵っていう前提でもの言ってる。
 そしたらそこに直冬が出陣のあいさつにやってきて、「将軍!」と、会う許可はとってないので障子越しのシルエットで、こう言うのですね。ほとんどケンカ売るような口調で。
「将軍!この直冬、幼き時より足利の二ツ引両の旗印にあこがれ、二ツ引両をかかげて戦場に赴く日をどれほど思い焦がれていたことか。将軍にはおわかりのはずにございまする。二ツ引両を掲げて吉野方と相見えるは天命と思うて、この直冬、力の限り戦い、必ずやその名を挙げてみせまする。どうか武運長久をお祈りくださいませ!」

 で、直冬は出陣し、最初はけっこうやるんだけど、戦は膠着状態に陥ります。
 尊氏は、この泥沼みたいな状況を打開するべく、一手を討ちます。なんと、天龍寺に北畠親房を呼びだして和議の密会!!
…ですが、親房卿は古狸、主人公の真っすぐな誠意になんか、そー簡単に転がされないんですよ。世間話も、越し方のよもやま話も省略して「和議の条件はなんぞ」と尊氏に本題を迫るのですね。
 尊氏のカードは、「先帝が世を去られてちょうど10年」(そんなに!!)を潮に、吉野の帝に都をお返しする。ただし、幕府を認めるというのが条件!というもの。
 自分がかついだ南朝の帝を排してでも、還御をカードに幕府存続を認めさせるってかなりすごい。親房卿もやや動揺して、「ご舎弟は御承知か」と言うのですが、尊氏は「将軍はこの尊氏でござりまする」と。
 当今の帝は大変な苦労をした方なので、一日も早く都に戻してさしあげたい。しかし…と、親房は、首を横に振るのですね。
「われらが幕府を認めることができるなら、かような長いくさ、いたしてはおらぬ…」
 こうして、あくまで公家一統の世を、意地になっても目指す親房と、尊氏の和議は、平行線のまま決裂します。

 尊氏が親房と会って秘密の和議をこころみたことで、直義は大激怒。絶対許さない!!というのですが、まげて許す代わりに「師直を執事から外してもらう」と。
 師直が執事であるかぎり幕府はまとまらない。師直こそ獅子身中の虫、除かねばなりません!と言われた尊氏は、静かに考え、結局、師直を解任することにします。
 当然師直は納得できず、激しく抗議するのですが、尊氏は、「ならば何ゆえ日頃の行いをつつしまぬ。兄弟そろっての傍若無人がどれほど直義を利しておるのかわからんのか!
 と、もう完璧に、直義のことを仮想敵モードですよね。師直には「時期を待つのじゃ」と言い含めるのですが、事態は悪化して、やがて……。

第44話 「下剋上」

 さあいよいよクライマックスへ向けて、ノンストップ動乱!息をもつかせぬ怒涛のシリーズだよ。まずは天下を揺るがす「観応の擾乱」のはじまりです。
 直義一派と師直一派の仁義なき抗争は激化し、ついに直義は、師直さえ排除すれば…と、手っ取り早く暗殺という手段に出ます。三条坊門の自邸に師直を呼んで、毒殺してしまおうという計画でしたが、一味の中から密告者が出、師直は脱兎のように直義邸から逃亡。怒り狂ったテンションのまま、今度こそ許さん、ぶっ殺す!と決意するところから、天下の大乱が始まります。
 その一方で、鎌倉の御曹司の見守りを特命された右馬介(大地康雄)から尊氏のもとに定時報告が。もと千寿王こと足利義詮は、この回から片岡孝太郎さんが演じます。そう、退場した後醍醐帝、孝夫(現・仁左衛門)さんのご子息。
 この義詮は、後継ぎの期待を寄せられているにも関わらず、どうにもオツムがよろしくなくて、目の前の関八州の行政など興味がなく、ただただ都へ帰りたい、足利家嫡男にふさわしくチヤホヤされたいと、そればっかり。しかも闘鶏狂い。おバカの上にギャンブル好きって、あの高時を連想させますよね。
 右馬介の定時報告は、闘鶏狂いが心配なほかは、行く末頼もしくご成長されていますとか、あたりさわりないんだけど、尊氏と右馬介の付き合いはとても長いので、これだけで、右馬介が、こりゃダメだわと思ってるのが伝わるわけですね。
 
 ですが、その報告を読むうちにも、尊氏はそれどころではない。のんびり昼酒を飲みながら、田楽舞を楽しんでおりますが、観能の席なのに全部空席で、佐々木道誉と、直義の側近の妙吉って坊主がいるだけ。
 この妙吉が尊氏にへらへらとオベンチャラを使ってるとこに、にわかに空気があわただしくなり、駆け込んできた近習が、「高殿、ご謀叛」を告げます。師直・師泰兄弟が数万の軍勢を集結させたと。
 パニクる妙吉に、尊氏は、これというのもあんたが手引きして師直毒殺を企んだからだ、と裏稼業を暴露。この宴席にも、尊氏がわをスパイするために潜入していたんですね。「三条坊門へ帰るのは危険だぞ、命あってのこの世ぞ、直義にもらった領地だのは諦めて逃げるがよかろう」と脅して、妙吉を追い払った尊氏は、直義に使いを出します。
 まさか御辺が仕組んだのか?と驚く道誉に、尊氏は「直義と話す。こうでもしないとあやつは話にもこない」…って、道誉でなくてもビックリですねこれ。ただ弟とサシで話すために、軍勢数万を擁して腹心にエア反乱を起こさせるとは…。

 高兄弟の軍が五万の大軍なのに対し、直義の手勢は四千くらいで勝負になりません。しかもどんどん師直がわに寝返りが流出して、腹心の桃井直常と、上杉、畠山、細川などコアな側近しか残ってなく、かなり空気が悲観的な直義邸に、尊氏の手紙。
「師直・師泰、身に過ぎたるおごりにふけり、家臣の礼儀を失す。此度の謀叛言語道断なり。この上はいかさま三条殿へ攻め寄せることもあるべし。この上は急ぎわが館に御渡り候らえ。ひとところにて生死を共にせん」
 と、なにやら兄弟で組んで高兄弟を成敗しよう、みたいな内容です。「解せん…」といいながらも、身を守るためには方法がなく、直義は尊氏邸に身をよせます。
 軍勢とともにやってきた直義を、尊氏は「よう来た…待ちかねたぞ」と出迎えます。そして師直は(手はず通り?)将軍の屋敷を包囲し、尊氏はこのエア反乱に「師直に使いを送れ、なにゆえかかる暴挙に及ぶかと!」とか憤ってみせます。
 すると、こういうのが好きでしょうがない(笑)道誉が、「その使い、それがしが」と買って出て、対抗して桃井直常が「それがしも同道」と。なんだか変なコンビで師直に直談判に行くことになるんですね。

 ネゴシエーターを買って出た道誉と桃井は、師直と対峙し、その要求を聞くのですが、それは「三条殿は政から手を引いていただく」、「この師直を暗殺せんとした上杉・畠山は許し難し。すみやかに引き渡せ」というもの。聞き届けられぬ時は?と尋ねられた師直は、「是非にも聞き届けていただく!」と声を荒げます。
 結局糸口は見いだせず、尊氏邸には、桃井が一人で帰ってきて、道誉はというと「いつもの寝返り病です。師直殿につくゆえあとはよしなにと言って、向こうに居残りました」と。ほんとおっかしい人だ (笑)。
 側近たちが出て行って、兄弟ふたりきりになったとき、直義は、「兄上。直義を罠におかけになりましたな…」と尊氏に詰め寄ります。さすがにこの辺でエア反乱の事情が呑み込めたんですね。
 尊氏は直義に、冷静に言い聞かせます。そなたは自分の周りを側近で固めすぎた。師直は乱暴者だが、戦場での働きぶりは誰もが認めている。そなたが執事にした上杉重能には実績もなく、公家や寺社を優遇して諸国の武家をないがしろにした。それでは武士はついてこない。武家を束ねられなくては幕府ではない。この乱にあたって、そなたにはろくに手兵がなく、師直があれだけの軍を集めた現実を見ろ。
 もう潮時だ、身を引け。これからは義詮を立て、自分が補佐してじっくりと棟梁として育てる、という尊氏のビジョンに、直義は突然感情的になり、「それならば義詮殿でなく直冬を!」と。
 直冬なら兄上の子であり直義の子でもある。実力もある、という直義に、尊氏は検討の余地なく却下。そりゃそうだ、直冬を立てたら直義が院政を引いてしまいますから。
 「わしを困らせるな、頼む」と子供に言うように言われ、どうにもならないと知った直義は、ついに、「いやじゃ、いやじゃいやじゃいやじゃ…」と、幼児のように泣き始めます。ここはもう、高嶋さんの渾身の見せ場ですよ。
「直義は戦が下手じゃ、兄上にはかなわぬ。それゆえ戦は兄上におまかせいたし、わしは政の道を選んだのじゃ。それをいまになって取り上げると仰せられるのか。幕府はわしが作り上げた。誰がなんといおうと手放さん。わしから政を奪いたくは、わしを殺してから言いなされ!」
…うう、これもかわいそう。鎌倉時代から、血の気は多かったけど戦は下手で、師直に「あんたがしくじったから」とか露骨に言われてたもんね。そのコンプレックスも噴出したような。個人的理由の逆ギレとはいえ真剣な、鬼気迫る形相で、思わず息を止めてしまうようなシーンです。

 師直の家では、兄弟に道誉も混ぜて、酒飲んで歌うたってバカ騒ぎ。ぶっ壊れたテンションでいます。
 直義はこれを機会にぶち殺したい。でも将軍の屋敷にいる以上…というわけです。エア反乱から一歩踏み出すかどうか、判断を迫られている。
 というか、師直が本気で直義を殺す気でいることに、さすがの道誉も引いちゃってるんだけど、兄の師泰が、「いっそ将軍もろとも…」と言い出して、一味のなにかが決壊してしまいます。
 ここまで混乱した以上、もういっそ…それで天下を狙えば……というわけですね。その選択肢のあまりの恐ろしさと、くらくらするような魅力に、バサラ者三人がそろって凍ります。

 直義が師直と対決すべく出陣していったあと、尊氏は、気持ちを静めるように筆を執って仏画を描きます。美しい世をつくりたくて今まで来たのに、どうしてこんなことに…と。
 そんな尊氏の脳裏によみがえる、亡き父・貞氏の顏と、死ぬ間際のその言葉。「うつくしいものでは長崎(円喜)どのは倒せぬ。うつくしいだけでは…」。
 あのお父さんの言葉は呪いだったんでしょうかね。美しいものにこだわりすぎなければ、ここまで泥沼にはまることもなかったような気も…と、見ているこっちも、ついため息。


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