como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「篤姫」出直し学習会VOL24

2008-08-30 21:35:14 | Cafe de 大河
公武合体とはなんだ!(2) 島津久光の野望  さて、前回、幕府の威信を取り戻すため、虚虚実実の駆け引きと大量の山吹色、最後は脅迫とウソまでついて、皇女和宮の江戸降嫁を実現した…というところまで見ました。  今回は、ややこしい話をますますややこしくするべく、辺境の薩摩から呼ばれもしねえのにやってくるお方にスポットをあててみていきたいと思います。 島津久光はなにをしていたのか。 井伊直弼が一 . . . 本文を読む

篤姫 第34話「公家と武家」

2008-08-25 22:19:12 | 過去作倉庫07~10
 前回、和宮役の堀北真希ちゃんの眉毛やチークや口紅について、いろいろ突っ込んで悪かった!と、反省しました。彼女はいい! このドラマで他何人かいますが、登場さいしょから「こりゃいい!」と高揚感をもたらすナイスキャストです。お人形のように無言・無表情でセリフなんかもほとんど無いのに、彼女の中に起こっている感情がビビッドに伝わってくる演技力は大したもんだ。  そういうわけで、先週あんなに世間を騒がせた煮 . . . 本文を読む

篤姫 出直し学習会VOL23

2008-08-23 07:55:59 | Cafe de 大河
公武合体とはなんだ!(1)  皇女和宮。16歳のプリンセスの政略結婚は、ドラマチックな幕末劇の中でも最高クラスのドラマですが、この結婚に至るまでの道のりには、もちろん、多くの人たちの金と権力と保身の欲が、ドロドロに詰まっています。  ということで、今回の学習会は、和宮降嫁について見てみます。  プリンセス和宮の出自  和宮は孝明天皇の先代・仁考天皇の第8番目の皇女です。1846(弘化3)年8 . . . 本文を読む

篤姫 第33話「皇女和宮」

2008-08-18 22:23:57 | 過去作倉庫07~10
 歴史上でも大きな節目「桜田門外の変」を、目を見張る出来でクリアし、今週の「篤姫」はちょっとテンション沈静化。いままでと少し空気が違います。そう、待機していたもう一方のヒロイン・和宮が登場ですが、京都御所の面妖な空気、いままでにない感じでいいですね~。わたしはこういう怪しさというか、イロモノ感が好き。  イロモノといえば…。去年の今頃は何をしてたんだろうとアーカイブをひも解いてみましたら、やっぱり . . . 本文を読む

篤姫 第32話「桜田門外の変」

2008-08-11 21:45:30 | 過去作倉庫07~10
桜田門外の変というと幕末史劇のお約束のように登場し、大老の駕籠を浪士たちがわらわらと押しつつみ、外から刀でブスリというのも何度見たかわからないのですが、今回はよかったな~。  いや、暗殺シーンそのものは今までの作法と何も変わらないのですが、そこにいたる井伊大老の見せ場があるので、史上もっとも有名な暗殺のひとつが、ああもオリジナルな感じのものになるとは。ドラマの底力を見た思いです。井伊様も、いまま . . . 本文を読む

「篤姫」出直し学習会VOL22

2008-08-09 22:34:54 | Cafe de 大河
安政の大獄とは何だ(2) 桜田門外の変まで  安政の大獄は、もちろん、同時代の当事者たちのなかで「安政の大獄」と呼ばれたわけではありません。  では、なんと呼んだのかというとこれが「飯泉喜内(いいずみきない)一件」。飯泉喜内という人は京都の三条家の家来で、逮捕されたのが安政5年9月17日。江戸の一橋派同志との連絡役として、江戸に滞在していて逮捕されました。将軍のお膝元での初逮捕だったのですね。 . . . 本文を読む

篤姫 第31話「さらば幾島」

2008-08-04 21:32:47 | 過去作倉庫07~10
 サクサクと月日は過ぎて、今週はもう「安政の大獄」。めちゃめちゃ激動していた安政5年から6年へ移っていきますが、良かったな予習しておいて、と、個人的に安堵するような45分でした。展開、早(笑)。  安政の大獄だけじゃなく、薩摩の代替わりなんかも絡まります。そして、幾島の涙の退職DAY。ますますマダムキラーなリトル上様。まあ、みっちり盛りだくさんなのはいつものことなのですが、ビジュアル的に一番強烈だ . . . 本文を読む

「篤姫」出直し学習会VOL21

2008-08-02 21:55:45 | Cafe de 大河
安政の大獄とは何だ!(1) 前回、安政の大獄の引鉄になった、戊午の密勅関連の動きをみました。 というわけで、今回は安政の大獄です。 「戊午の密勅」降下に絡んだ人々が、京都や江戸で次々に逮捕されたのは安政5年の後半から翌6年にかけてです。  上げられたのは、多くが 高貴な身分の公家や大名、幕府の能吏なども多数含まれていましたから、処分は慎重を期しました。 いわゆる「五手掛かり」、大目付・目付と、 . . . 本文を読む