como siempre 遊人庵的日常

見たもの聞いたもの、日常の道楽などなどについて、思いつくままつらつら書いていくblogです。

「太平記」を見る。その18

2012-09-23 00:20:33 | 往年の名作を見る夕べ
第35話「大逆転」

 さてこの回は大変なんですよ。よく45分にまとめたなってくらい内容ぎっちり。2回くらいに分けたほうがよかったと思うし、ざっくり話が進んでしまうのもったいないし、レビューするのもたいへん(笑)。それにサブタイは「逆転・逆転・またた逆転」でいいんじゃないかってくらい、1話内ハットトリック状態で情勢がころころ変わるし。
 というわけで、通常のように話を拾っていくと長くなりすぎるので、ちょっと巻いていきたいと思います。

逆転1 尊氏(真田広之)は鎌倉を出立し、一色右馬介(大地康雄)と一緒に駿河竹之下の脇屋義助(石原良純)の軍を奇襲。あっというまに蹴散らして敗走させます。
「冷えるのう…。右馬介、めしは食うたか。つぎの飯は昼ごろかのう。それまでしばしの戦じゃ」
 義助の軍が敗走したニュースは新田義貞(根津甚八)を驚愕させます。「(総大将は)あ、足利尊氏にございます…!!」というニュースを持ってきた名もなき伝令が、ありゃ、なにげに大杉漣さんだ。人に歴史ありだなあ。

逆転2 尊氏参陣のニュースを、新田軍の陣で聞いた佐々木道誉(陣内孝則)。聴いた瞬間、
「佐々木判官、思うところあり寝返り御免!!」
 と見得を切るや抜刀し、周りにいる新田軍の武将たちをバッタバッタ斬りまくります。パニクる新田軍をそのまま後にし、道誉は足利軍に帰陣するんですが、この間1分ほど。いや笑っちゃうくらい鮮やかですね。
 そして、新田軍を敗走させた足利軍の打ち上げに、ちゃっかり参加している道誉。師直(柄本明)に、新田軍に寝返ったときは八つ裂きにしてやろうかと思ったが、また帰ってくるとは大した軍略、と言われて、
「軍略というほどのことではござらぬ、節操がないだけじゃ」「(尊氏)そうじゃ、戦に節操は禁物じゃ」「さよう、さようなのでござる!!」と呵呵大笑。

 都に迫ろうと陣を進める尊氏は、楠木正成(武田鉄矢)に、花夜叉(樋口可南子)を通して接触を図ります。そして、ともに鎧を脱いで陣を抜け出したふたりが、しばし会って語らう時を持ちます。
 とにかく私利私欲で権力を握りたいんじゃないのだ、武家は武家が仕切る政治をやらないと、いつまでも乱が終わらない。あたらしい幕府は、あまねく諸国の武将の協力を仰ぎ、民の声を聞くものにしたい。それには楠木殿にも加わってもらいたい…と、マニフェストを語る尊氏に、正成は、
「わしは、足利殿が好きじゃのう…」
 だから尊氏の理想はわかるんだけど、朝敵である以上、同心はできない。なぜなら、河内の土豪の自分を河内守に引き上げてくれた帝に大恩があるからだ…と正成はいうんですけど、このあたりは難しいとこですよね。この武田鉄矢の正成が、そんなに尊王一途だってとこに、すこし違和感があるし。正成の本音を説明しきれない気もしますが。まあ、あえていうなら、男が一度主と仰いだ人に対する、節義みたいなもんでしょうか。
 正成は、尊氏に、戦わないために、ぜひこのまま鎌倉に引き返してほしいといい、尊氏はそれをのむことはできず、両者ものわかれにおわります。

逆転3 新田軍に京都防衛の命令が下り、尊氏は一気に京都を占領しますが、こんどは、奥州から、ものすごい速さで駆け付けてきた北畠顕家(後藤久美子)の軍に挟撃され、一転敗走の身となってしまいます。
 このあたりはもっとじっくり見たいとこなので、もったいないですねえ。後藤久美子ちゃん、頑張ってるけど、武将としての合戦シーンにはやっぱり、どうにもならない無理があるし。
 ここで、敗走した尊氏が、馬と一緒に地面に転がって死んだふりしてて、顕家軍が通り過ぎたあと、やおら寝ている馬に乗ったままスチャッと飛び起きるシーンがあるんだけど、こういう超難度なこと淡々とやるよね。さすがJAC出身(笑)。

逆転4 そして尊氏は、佐々木道誉なんかと一緒に、摂津の赤松円心(渡辺哲)をたよります。ここで円心と道誉から、この敗戦は、賊軍という負い目があるから良くない。後醍醐帝(片岡孝夫)に追われた持明院統の、光厳上皇を担いで立てば、こっちも官軍になるという入れ知恵をされるんですね。
「戦は勝たねばならぬ。勝つためには錦の御旗もあるに越したことはない」
と、お茶漬け食いながら獰猛に笑う尊氏。わずかの間に、クリーンな理想主義者からマキャベリストに変貌した尊氏は、なにか目の色も変わっています。
 ですが、上皇の綸旨はすぐには間に合わず、尊氏はまたまた敗戦して、こんどは再起を期して九州へ落ちていくのでした。

逆転4 そして都では、打倒足利達成の祝勝会。帝をまじえて無礼講です。こういう宴会のつねで、坊門清忠(藤木孝)と、あんたまだいたのか怪僧文観(麿赤児)が、司会者みたいに盛り上げ役をするんてすけど、北畠親房(近藤正臣)が、こいつらにキッツい突っ込みを入れるわけです。
「この親房が東国にある間、帝をお守りいたさねばならぬそこもとたちは何をした。此度の大事を引き起こしたのは坊門、文観、そこもとたちではないか。そう思われませぬか三位の局」
…と、ようは阿野廉子(原田美枝子)一味で政治を私し、大塔宮を殺したことを糾弾されて、座の空気が凍ります。
 それを取り繕うように、いきなり新田義貞がヨイショされまくります。いいように酔っ払わされ、泥酔して家に帰って一眠りしたら、寝室に匂当内侍(宮崎萬純)が居るのですね。びっくりして酔いも吹っ飛ぶ義貞。
 内侍は、このまま帰ってこなくていいと言われた、と。内侍は此度の恩賞でございます、お受け取りくださいませ、と、義貞がのけぞるようなことを言います。
「お、おもとには思う御方があるのでは…」とうろたえる義貞に、内侍は涙をためて、「そのお方に行けと命じられました…」
 10年、お声がかかるのをお待ちして、10年お待ちして、ついにお声が無く、ただ行けと。このような内侍が御嫌でございますか!と、涙を必死でこらえる内侍を、義貞はガバッと抱きしめます。
「いやであろうものか、恋い焦がれたのじゃ。わしは手に入れた。足利にも勝った。なにもかも手に入れた…。恋焦がれたのじゃ…」
 この、恋焦がれたというのが、内侍のことでもあり、尊氏に勝つことでもあり、武家の頂点のことでもあり。義貞の陶酔ぶりが伝わってきますよねえ。でもなにかこう、達成感に酔うと言うより、痛々しさのほうが強くて、なんともはあ。

逆転5 そして、九州で、あんなこと・こんなこと・あったでしょ、ってなことは総集編なみにスルーして、あっというまに尊氏が九州の武家を平げ、綸旨も手にし、小舟に乗って本州へ帰ってくるシーン、で、この回おわり。

第36話「湊川の戦い」

 はい、前回の猛スピードとはうってかわってこの回は、主役・尊氏は脇に回り、もっぱら楠木正成が主役の回です。
 前回のラストで、九州から再起した尊氏は、公家一統政治に不満をもつ西国大名を従え、リベンジの戦にいどみます。尊氏は海路、直義は陸路から京都をめざし、途中、直義が(あの戦ベタが!)、脇屋義助(石原良純)の軍を粉砕。勢いに乗ります。
 新田義貞は、足利討伐の全権を背負って大軍を率いて出陣しますが、白旗城に籠城した赤松円心相手に苦戦し、なんと50日もくぎ付けになってしまいます。その間にも足利が京に迫っていることで、動揺し、イライラする後醍醐帝…。

 いっぽう、すべてのお役を御免となって河内に引っ込み、もとの半農の土豪生活にもどった正成は、ゆったりと大根のタネをまいたりして暮らしています。そのタネも、カラスに食われてしまい、「播くだけ損でございます」という長男の正行(まさつら)に、正成は言います。
「種は播くことじゃ。カラスに食われても十に一つは残るやもしれん。のこったひとつが花を咲かせ、種を作る。種さえあればまた次の年、播くことができる。カラスに食われた種もただ無駄にはならん。カラスの糞にまじってどこぞの山の中に落ち、人知れず大根の花をさかせ、また種を作るやもしれん。それは生きとし生けるものの知恵じゃ。それゆえ、タネは撒かねばならん」
 そんな正成が、妹の卯木=花夜叉の舞を楽しんでいるとき、都から急使がやってきます。新田軍の苦戦のおりから、弟の正季(赤井英和)から、ひっきりなしに援軍の要請がきていて、正成はずっと無視してきたのですけど、これは別。帝からの勅使だったんですね。
 勅命に逆らうことはできない。正成は出陣を決意します。舞を見せてくれた花夜叉に、
「そなたが武士の家を捨てて舞の道に入ったのは、正しかったやもしれん。いまは、そう思う」
そして婚約者の服部元成に、「妹をよろしく頼みます」と頭を下げます。

 そして正成は、13歳の正行をつれて出陣。、戦場に出る前に参内し、帝に拝謁します。
 楠木が出たれば勝利はまちがいなし、とかいって浮かれる帝や公家さんたちに、正成はずばり、「此度のいくさ、わが陣に勝ちめはござりません」
 勝ち目がないとはなんたる弱音、君の御前なるぞ!と気色ばむ坊門清忠(藤木孝)。「君の御前なればこそ、歯に衣着せたそらごとは申し上げられません」と一喝し、以下、堂々と存念を述べます。あの千早城の戦のころは、日本中が北条の悪政に倦み、新たな世を望んでいた。時の味方、人のこころの支えがあったから、あの時は勝てたけれど、今は人心は建武のご親政にのぞみをうしない、みな新しい世を望んで流れている。だから一度は敗れた足利にみんながしたがって、わずか二か月で西国を制圧できた。人の流れはおそろしい。自分の微力ではとてもこの流れには勝てない、と。
 この言葉に、ガーンとショックをうけた帝。「朕の政も、よかれとおもうたことが民の上には悪しき実となったることも数多あるよし、朕の不徳のいたすところじゃ…」と反省しつつも、だからってそれを議論してる場合じゃないので、なんとか流れを転じて足利を討つ策はないのか、それを聞かせよ、と、かなり切実に正成に望みをつないでいるのですね。
 そして正成は進言します。新田義貞にも、自分にも、武力的に足利を防ぐのは無理だ。「勝つには、足利を防ぐのではなく、都に誘い込むことだ」と。
 帝には叡山に御動座いただいて、空にした都に足利を閉じ込め、糧道を絶って兵糧攻めにかける。これが上手くいけば、勝ち目はあるという、正成ならではの大胆な策に、坊門など取巻き連中が「御盾を任ずる皇軍が一戦もまじえず山へ逃げ隠れるとは」と猛反発します。正成は「此度の戦は足利の力を知らねば勝てませぬ!」と公家さんたちを一喝、そして
「叶いますることならば、帝の広き御心にて足利と和睦いたされ、公武あい歩み寄って戦わぬが上策と、正成は思うておりまする」
 これは帝に強烈な衝撃を与えます。ですが坊門は「愚作も愚作じゃ、足利来るの風評に怯え、逃げ隠れたい一心なのじゃ」とかいって正成を嘲笑。「かかる弱気の言を受け入れては士気にかかわる、世の物笑いになる」と。
 帝は、それでも正成の言葉と、必死の思いに、感じるものもないではなかったのでしょうね。長い沈黙のあと、「正成。いまの義、朕は聞かざりしこととするぞ…」と。
 これを聞いて、正成の必死の顏から、表情をのこして感情だけがスーッと死んでいくんですよね。ああ終わった…という感じで、ゆっくり脱力していく風情が、なんとも痛切で、たまらんのです。武田鉄矢さん渾身の名演技と思います。  
 そしてこの瞬間に、正成の戦いも、実質終わったのでした。本番の戦いをのこして。結果がでてしまった。

 そして正成は、すべてを承知で出陣。京都郊外の桜井に陣を進めます。
 正成の軍に集まったのは、たった1200騎くらいしかいません。関西の武士たちが足利に靡いてしまったのです。その不忠に憤る正季に、「もともとこの戦に1200もいらない」と意味深なことをいう正成。
 そして、息子の正行に、陣を去って河内に帰るように、と言うのですね。当然、抵抗する正行。「初陣で死ぬのは誉れ、父上とひとつ陣で死にとうございます」と縋る息子に、に、父正成は、こう言い含めます。
「父とともに死するは無益なことじゃ。父は帝に深い御恩がある。それゆえに戦にいく。さりながら、もそっと力をつくし、戦ではない忠義の道を探すべきであった。それが見つからなんだ。心は砕いたが力がおよばなんだ。それが生涯の不覚じゃ。この戦は、不覚の戦じゃ。不覚の戦にそなたをつれていくことはできん」
「世の中はかわる。それをじっと山のなかからみておれ。おのずと己の生き方が見えてくるはずじゃ。志もでき、分別もつけばりっぱな大人じゃ。大人になれば、そのとき、そなたの命を如何様にも使えばよい。それから先は、そなたの一生じゃ。生きて、早う大人になれ」
「河内へ帰って、山の畑へ行って、カラスを遣ろうてくれ。そなたと二人で播いたタネが、カラスに全部食われぬようにな」

 ここはもう、涙なしでは見られないですね。有名な「桜井の別れ」のシーンなのですが、戦前の愛国美談とか唱歌の内容が、父がわが身に換えて、生きる「時間」を子に遺していくような、みごとな「贈る言葉」(!)に翻訳されていました。前半の、種を播かねばならぬ…の意味も集約していくしね。なんか、ジーンと…。
 そして正行を帰した正成は、「命を惜しむな、名こそ惜しめ。いざ湊川へ!」…と、最後の死地にむかっていきます。

 いっぽう、神戸沖合にきた尊氏軍は、この日のために用意した、光厳上皇の院宣と「錦の御旗」を掲げます。
 和田岬では、新田軍がフル装備の陣を敷き、尊氏上陸を迎え撃たんと待っているのですが、尊氏は、御座船に錦旗を掲げ、それを東へ走らせて新田軍を攪乱。上陸場所を読み間違えたとあせった義貞は、全軍を移動させ、尊氏はおとりの船から乗り移って、やすやすと無人の浜に上陸してしまいます。新田軍の妄動を陣地からみて「愚かな…」と歯噛みする正成。
 この新田軍の迷走で、新田・楠木連合は分断され、新田が退却したので、正成は、寡兵とともに湊川に取り残されることになってしまいます。必死の奮戦も虚しく…というか、最初から死ぬつもりだったんですけどね。とうとう、陣を破られて、斬り込んできた尊氏と対面した正成は、万感をこめて、ふかく一礼するのでした…。


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