como siempre 遊人庵的日常

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龍馬伝 感想再録 第44話

2010-12-29 22:35:19 | 過去作倉庫07~10
 今週は、幸いテンション下がるってことはなかったんですけど、かなーりツッコミどころ満載のお話でした。
 そこがまた、けっこう真顔でツッコみたい点だったりするもんで、ドラマ見てからシコシコと、手持ちの本で裏づけとったりなんかして、なかなか感想書きはじめられない。
 んでも今週は、まあ、感想書くほどの話でもない…って言ったら失礼かな、なんか真面目につき合ったら脱力必至の展開だったりするので、あえて今週は話の再現レビューはやめといて、折角検証したので突合せでもやってみっか、と思います。
 ごめんなさいね~、ブログ止めて、こっちに学習会引っ越したりしないわ、とかいっときながら。ま、興味のある方は(っていないよね…)よかったらお付き合いくださいね。

 第44話「雨の逃亡者」 
 
 今週のニューカマー、アーネスト・サトウはパックンが演じるのですが、これが本人写真によく似ててウケてしまった。元祖日本オタクの人らしく、言葉なんかも武家言葉っぽいのがそれらしいし、よかよか。
…なんですが、今週一番のツッコミどころといえば、
 サトウと龍馬は会ったことなかったはず……。
…ですよ。たしか。
 いや、これわたしも確信がなくって、一生懸命「一外交官の見た明治維新」(サトウ著)を読み返してみたんですが、やっぱり、ふたりが逢ったという記述は見つからない(いや、どっにかあったような気もちょっとするんだけど…)。ただし会ってもフシギはないニアミスはあったし、一度は、明らかに同じ船に同乗しているんですが、あの記録魔のサトウが何もそのことを書き残していない、ということは、相手が坂本龍馬という人物であるということを、その時点で認識してなかったとか。あるいは逢ったんだけど忘れてしまう程度に、彼にとって坂本龍馬というのは重要な名前でもなんでもなかった、ってことが考えられますね。
 そんなサトウと龍馬の接点が生まれるのが、イカルス号事件といわれる事件です。長崎の花町で、酔っ払ったイギリスの水兵が、日本人の侍に切り殺されたという殺人事件ですね。
 このとき、下手人が白い着物を着ていたという目撃証言から、白袴をユニフォームにしている海援隊に嫌疑がかけられるんです。イギリスでは公使のハリー・パークスが激怒して、犯人を引き渡さなければ土佐に武力行使も辞さないと脅しをかけてくるのですが、これを宣告しに海援隊事務所にやってくるのが、アーネスト・サトウ@パックンなんですね。
 で、サトウと龍馬が会った会わない、という以前の問題として、
 サトウはこの時点で長崎には居ません(爆)。
 このとき、ハリー・パークスは、サトウを帯同し、開港候補地の新潟を視察にいった足で、加賀で接待をうけ、陸路大坂に向かうという、諸国漫遊の旅をしておりました。で、長崎のイカルス号事件の一報を、サトウは、将軍謁見のために入った大坂で受けてます。

「きわめて当然のことだが、ハリー卿はこの事件で非常に激昂し、大君の主席閣老で、好人物ではあるが決して弱気を見せない板倉伊賀守なる老紳士に大して、大いに強硬な申し入れをしたのである。(中略)長崎での評判は、加害者は土佐の者だということだった」
「われわれの見るところでは、大君の政府もやはり土佐に嫌疑をかけているらしかった。(中略)政府は、これに類する事件の再発を防ぐために長崎の奉行二名を解職し、江戸から五百名の部隊を派遣して、同地の外国人居留地の巡邏にあたらせることを約束した。そこでハリー卿もようやく納得して、大君謁見のための招待に応じることを承諾したのである」
(「一外交官の見た明治維新」以下同) 

 んで、このときパークスとサトウは、将軍慶喜に謁見したあとに西郷吉之助に大坂で会って、幕府がフランスからの借款で軍備強化するなら、その牽制のため、反幕勢力の薩摩のバックにイギリスがついていると公表してかまわない、いずれ幕府を倒して天皇の名のもとに政治改革(=大政奉還)のために、イギリスは協力いたしますよと、まあざっくりこんなことを話し合ってるわけです。すごい二枚舌ですね

 で、パークスとサトウは、こんどは蜂須賀候に招かれて阿波徳島にいって、友好親善活動をしたあと、海路で土佐に向かいます。土佐にいって藩主に面談し、イカルス号事件の下手人引渡しを要求するためですね。
 こういうことは、文久の「生麦事件」のときに薩摩に対しても似たような手を使い、薩英戦争に発展したのですけど、英国の常套手段として、敵地に乗り込んでものすごく威圧的に、傲慢な態度で、ガンガン相手を罵倒するわけです。とくにハリー・パークスってひとは、前任地の中国でも、その手の脅迫外交で鳴らした第一人者でした。
 で、このとき談判の窓口になったのが後藤象二郎でしたけど、後藤は、パークスの圧力外交に一歩も屈しなかったんですね。理路整然と事件を精査し、パークスの無礼な態度に堂々とものを申したりしました。パークスは後藤をすごく気に入り、両者の間に信頼が芽生えます。

 後藤とともにパークスとサトウは、山内容堂に謁見します。

「彼(容堂)は大君からの手紙を受け取っていたが、それには、犯人は土佐人だという確かな証拠があると聞くから、犯人を処罰するように勧告するという意味のことが書いてあった。(中略)容堂老人は、実は友人から、イギリス人が同胞の殺害に激昂しているから、この事件については妥協したらよかろうという忠告の手紙が来ているが、自分としてはそんなことはしたくない。(中略)もし藩の者に罪が無いならば、万難を排して無実を申し立てる所存であると言った」

 はい、この「友人からの手紙」というのは、福井の松平春嶽から容堂あての大至急の手紙なんですが、実は、これを、ほかならぬ龍馬が持って土佐に届けているんですね。
 というのは、龍馬はこの時点で脱藩を許されて土佐藩士に復帰してるのですが(いろいろややこしい人ですね…)、このときは、春嶽候から容堂候への急ぎの書状を届けるため、薩摩の船に飛び入りで載せてもらって、非公式に土佐に来てたんです。でも、身分的には脱藩者のまま(このへんがヤヤコシイのですな)なので城下には入れず、須崎で待機してました。
 事件の検証は現地・長崎にうつります。パークスは一足先に横浜に戻り、長崎へはサトウが単身で、土佐の軍艦に載せてもらっていくことになりました。その軍艦・夕顔に、龍馬も乗って長崎に帰ったと、そういうめぐり合わわせで、龍馬とサトウに接点が、もしあったとしたらここです。
 
 んで、まあ、調査の結果、結局犯人は筑前福岡の藩士だということがあとでわかったんですが、これがはっきりしたのはだいぶ後のこと。イカルス号事件はとりあえず迷宮に入り、パークスとサトウにとっては、後藤象二郎や山内容堂と知己を得て、時勢を論じ、土佐が倒幕に意欲的であるという確信を深め、イギリスが日本の内戦に介入するにあたって大いに示唆を得る、という収穫になりました。
 サトウの長崎での調査とかも、記録魔らしく、かなり密に書いてるんですけど、フォローしてたら終わらないですから、すごい適当ですけどこのへんで~。

 なんだかおもわず、マジメに学習会をやってしまった。すんません場違いで…。
 
 ようは、イカルス号事件は、龍馬さんが啖呵を切ってどうこうなるようなレベルの事件じゃなくて、外交カードに匹敵する影響力があったわけで、ドラマで書いてる話は実際の歴史の動き…というか、いろんな思惑が水面下で錯綜しているの時期にしては、ずいぶんオメデタイというか、呑気だよな~ということなのでした。
 いや、こんなめんどくさい話、いちいちドラマで描かなくてもべつにいいのですがね…。でも、結局史実を適当に、いえ要約するのはいいんですが、まずいのは、なにもかも強引に龍馬さんに都合のいい、手柄話に脚色している、こういうのは、「ぜったいこんなハズはないよな」というニオイがどこからか漂ってくるものです。
 いえね、べつに厳密に史実どおりでなきゃいけない、なんていうつもりはないですし、面白ければもちろんいいんです。面白くないから言ってんですよね。「一外交官の見た明治維新」なんて、幕末史好きなひとなら必ず持ってるような基本中の基本の文献、それも岩波文庫でいつでも買える手軽な本に、バッチリ詳しく描いてある時系列の出来事を、思いっきり書き換えて元が取れるほど面白かったですか、これが?
 なんか、すげーどうでもいい話でしたよ。はっきり言って。今週はまたぞろ、お尋ね者になったお元のことを「お元~お元~」なんてでっかい声で呼ばわって長崎の町を走り回るしさ。あの「以蔵~以蔵~」のころとかわってないしさ。お元が龍馬にしがみついて「皆が笑って暮せる国はどこにあると!」といって号泣してるというのに、「だいじょーぶじゃ、だいじょーぶじゃ」とか言ってるのもなんも根拠ないしさ。
 いや、脚本の出来がダメなときのダメパターンは似たようなもんだってことなんでしょうけど。それにしても、パークスとサトウと会見する場面は、だいたい想像はついたけど、やっぱ脱力もんだったな~。この時点でパークス長崎にいないし、なんて突っ込む以前の話でさ…。「ワシの命はイギリスにやるわけにはいかんがです、わしには日本のためにやることがある!!」とか言っちゃって、それに「この男は使えます」「評判どおりの方のようですね」なーんつってイージーに感心するなよお、ガイジンさんたちよお~。
 なんかこの場面で、二人のガイジンのバックに去年の「天地人」の本多正信・正澄親子の背後霊が見えたよーな、すごい悪寒に襲われました。んで、龍馬の顔がなんか直江…うわわわわ。やめとこ。不吉な想像するもんじゃないわ。
 今週唯一、強烈に良かったのは、雨のなかで「ワシの前から消えろ龍馬!!」と渾身の罵倒をする弥太郎の場面でした。あそこは素晴らしかった。あの、血のにじむような説得力(ってどんな説得力…)のおかげで、今週の龍馬伝の脱力展開もすべて救っておつりが出たと思います。やっぱり香川さんって凄い。

…ってことで、イギリスに渡ったお元が幸せになれるとはとても思えぬのですが、まあとにかく一件落着ってことで。
  来週は、ローマの休日。龍馬とお龍がヴェスパに二人乗りして下関をかっ飛ばすお話です。…えっ違うの?まあ…どーでもいいニオイがかなりするんだけど…はあ…。 .


1 コメント

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サトウと龍馬について (ytjulius)
2011-06-12 04:24:15
始めまして

以前より翔ぶが如くや龍馬伝の感想を楽しみにしていました。今日になって、中断していた感想を再録していたことに気付き、楽しく読まさせていただいています。

ところで、
>サトウと龍馬は会ったことなかったはず
とのことですが、サトウは龍馬と会っています。
『一外交官の見た明治維新』の23章の中で「この私が長崎で知った土佐の才谷梅太郎は、数日前京都の宿で三名の姓氏不詳の徒に暗殺された」
"Saedani Umétarô, a Tosa man whose acquaintance I had made at Nagasaki, had been murdered a few days ago at his lodgings in Kiôto by three men unknown."
とあり、長崎で会ったことが記されています。ただその詳細の方はサトウ自身の日記を読まないと判りません。幸いなことに萩原延壽『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄5』の方にその時の様子が取り上げられています。以下その部分の文章です。

『「九月三十日(陰暦九月三日)午前九時から、長崎丸で連れもどされた佐々木栄と橋本久太夫の訊問が運上所でおこなわれた。横笛(いろは丸のことか)も数日後に長崎にもどるという。横笛は元来大洲藩土玉井某(俊次郎か)が購入したもので、かれは、藩主から藩旗を掲げる許可を得るまでという条件で、同船の使用を才谷に一任し、才谷(坂本龍馬)はこれに部下の隊員と水夫を乗り組ませたのだそうである。」
(中略)
「さらに才谷氏も叱りつけてやった。かれはあきらかにわれわれの言い分を馬鹿にして、われわれの出す質問に声をたてて笑ったからである。しかし、わたしに叱りつけられてから、かれは悪魔のようなおそろしい顔つきをして、黙りこんでしまった。」
 土佐の須崎から長崎まで、サトウと坂本は何度も顔を合わせていたはずだが、サトウの坂本評はこれだけである。
 坂本にしてみれば、いわれのない嫌疑を海援隊にかけられていたのだから、笑いたくもなったであろうし、それに倒幕という大事のさなかにありながら、この無意味な事件のために約一ヶ月も長崎に足留めをくっていたのだから、この野郎という思いが顔から吹き出すこともあったであろう。』
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