湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

♡ 野の花 +

2015年04月30日 23時12分39秒 | ちょっとした出来事?
野の花です。

   ※宿明け勤務の今朝、
    勤務先の某職業訓練校のグラウンド脇などに咲いていたものを撮りました。
    のんびり朝の散歩ではなく、裏門の解錠と表門の開扉に行く道すがらの撮影です。

名前も知らない花です。

  調べる気はあまり起きません。

これらの花に興味がないということではありません。

ちやほやされないところが好きだからです。
     ですから、私もちやほやしたくないのです


    ※黄色い花が沢山咲いていますが、小さいので見つけにくいかもしれません

  
    ※ピンボケしています。

薄単色系の花に、楚々とした風情を感じます。






    ※明け方まで雨が降っていたので、水滴がついています。


以下は、ウチの家庭菜園の周りにあったものです。
野の花ではないものも混じっています。

赤いのはヘビ苺(だとおもいます)

    ※画像右下のドクダミの葉の上に飛蝗がジットしています。



春菊の花

      ※食用(鍋の材料など)にされたあと、この一株だけが残されていました。
        高く背が伸びて、文字どおり花を咲かせることができました。
        小さい虫が寄って来ています。
         子供ができればいいですが


    ※素朴な花の中に亜熱帯原色系の花があると際立ちます。
      こういう花ばかりだと食傷しますが、全くないと潤いに欠けます。
      そして、こういう花があるから清楚な花の美しさに気付かされます。(男の身勝手(?))

カタバミ(だとおもいます)



    

花ではありません、ガーデンレタスミックス(商品名)です。
綺麗な葉が茂っていたので撮りました。

◇ 3男を迎えに「阿蘇くまもと熊本空港」へ

2015年04月29日 14時06分58秒 | ちょっとした出来事?
今日、就職活動のために東京・横浜方面へ行っていた3男が帰ってくるので
空港まで迎えに行きました。
先月は合同説明会へ行ったようなのですが、今回は3社の個別説明会などに参加してきたようです。

先月空港へ迎えに行ったときは、1階ロビーにトラクターが展示してあったのですが、
今回は耕運機が3台展示して有りました。


      ※これも「井関農機株式会社」さんの製品でした。
      
  やはり熊本は農業県ですね。
  一番小さいものを欲しくなりましたが、いい値段です。
  これを買ってしまったら本格的に野菜作りに取り組まなければならなくなります。
  それに、ウチの狭い家庭菜園には勿体なさすぎます。


到着予定10分前に空港に着いたのですが
飛行機の到着予定が”定刻”と表示されていたので屋上の展望所へ行きました。

JAL625便が降下してきて着地しました。

     ※雲仙普賢岳は有明海を挟んで向こう岸側にあるのですが、近くに見えます。


後ろを見ると、阿蘇中岳火口から噴煙が上がっていました。

    ※阿蘇中岳警戒情報によると今日09:45の噴煙の高さは火口上1,000mとなっています。

    ※阿蘇山は現在「火口周辺警報(噴火警戒レベル2)」発令中のため
     火口から半径約1km以内への立ち入りは禁止となっています。


ちなみに、火山の最大噴火規模で比較したとき
阿蘇山は富士山の600倍!といわれています。

「富士は日本一の山」といわれますが
こと「火山の最大噴火規模」で比較したら次のようになるそうです。

富士山=1としたとき

 ・阿蘇山=600
 ・姶良カルデラ(桜島の本体)=450
 ・洞爺湖(有珠山の本体)=170
 ・霧島山=100
 ・箱根山=14
 ・浅間山=4

阿蘇山は世界の中でも5指に入るといわれています。
日本一の富士山は残念ながら(幸いにも)ヒヨッ子以下です。

上には上があり、
現在その活発な活動が注目されているイエローストーンは
最大噴火規模比較では何と富士山の2,500倍!とのことです。

  イエローストーンでは噴火の前兆とも考えられる群発地震や動物の
  異常行動が起こっているという報道があります。
  もしイエローストーンが大噴火した場合、その被害は地球規模にも
  及び人類滅亡の危機にもなりかねないと言われています。

    お願いですから
      皆さん、あと1万年ぐらいはおとなしくしていてください。
      (ほんの少しのストレス発散は時々やっても構いません)

◇ 墓石屋さんへの相談

2015年04月28日 17時34分34秒 | ちょっとした出来事?
こちらのほうからお願いした訳でなく
墓石屋さんのほうから電話がかかってきて、墓の建てなおしを勧められました。

うちの墓がある墓地の専属のようになっている(*)墓石屋です。

     * : 正式な契約に基づくようなものではなく、
        その墓地にある墓の造作を多く扱ったことがある墓石屋さん、という意味です。

   うちの墓は、こじんまりとした墓地(といっても100基以上あるかも)の中央付近にあります。
   数10年前には、離れたところから見てもスックと立派に聳えていたのですが、
   周りの墓がどんどん建て替えられてきて、
   今では墓地の景観(?)を少し損なうまでになっています。

   周りにある光沢を帯びた新しい墓に比べ年代を帯びた古色蒼然としたウチの墓を、
   それはそれで私は気に入っているのですが。


熱心な営業の電話が何度かあり、
『展示処分品の中にサイズがピッタリのものがありますので是非見に来てください』とのことだったので
スーパーカブに乗ってノコノコ出かけました。

   事前にウチの墓を現地調査(採寸なども)して有りました。
   そして、いかにも汚らしく古そうに見えるように色調整された(?)ウチの墓の写真も用意してありました。
   (小さい店ですが営業努力をされています)


墓石屋さんの事務所では1時間以上も話し込みました。
(渋々来店したものと思っていた(?)店の方は、饒舌な私に意表を突かれたかもしれません)

  私の方は、展示品にはあまり興味がなかったので
  『墓を建て替えるなら、プロの助言を受けながら、私がデザインしたものにしたいのですが ・・・』
  と話を切り出し、墓の造作のことなどについて色々と尋ねました。

  店の方は
  『お客様のご希望に適った墓を造るのが、私どもの一番の遣り甲斐です』と言われ
  私の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれました。
  (お客を捉まえたと思われたのでしょうか)

墓の構造等について、わからなかったところも聞けたので
『こんな墓は造れませんかと、自分で描いたものを持ってきますので、また相談にのってください』
と言って、その日は切上げることにしました。

店の方は私と一緒に外に出ながら 
『お話を伺い凡そのご希望がわかりましたので、こちらでもデザイン画を描いてみます』
と言って、タオルを2本差し出されました。

  墓石屋さんの会社名が印刷されたそのタオルは
  紅白の水引と「ありがとうございます」という文字が印刷されたビニール袋に入っていました。

私は『まだお願いすると決めたわけではないので』と断りを言いながらも、
遠慮なくいただいて帰りました。

  特に期限は決まっていませんが、また宿題ができました。
  墓のデザイン画(のようなもの)ができたら、ご意見を募らせていただくかもしれません。


・・・・・・・・・・・ ギャラリー 014 (カスパル・ダーヴィト・フリードリヒさんの絵) ・・・・・・・・・・・

 ・画家:カスパル・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich)

     ※以下の6枚の絵は
       生まれて、死んで、どこかの世界へ行って、
        そして再生するまでのイメージで並べたつもりです。
         (フリードリヒさんの絵なので明るい感じのものはありませんが)

タイトル:朝(The Times of Day:The Morning)

 ・製作年:1821年-1822年
 ・収蔵:ニーダーザクセン州立博物館<ドイツ>


タイトル:午後(The Times of Day:The Afternoon)

 ・制作年:1821年-1822年
 ・収蔵:ニーダーザクセン州立博物館<ドイツ>


タイトル:夕方(The Times of Day:The Evening)

 ・製作年:1821年-1822年
 ・収蔵:ニーダーザクセン州立博物館<ドイツ>


タイトル:海の上の月の出(Moonrise over the Sea)

 :製作年:1822年
 :収蔵:旧国立美術館<ドイツ>


タイトル:人生の諸段階(The Life Stages)

 ・製作年:1835年
 ・収蔵:ライプツィヒ造形美術館<ドイツ>

    ※この絵については色んな解釈がされているようです。
     描かれている5人の人物が「少年期」、「成熟期」、「老年期」の諸段階を表すとした解釈や、
     中央に描かれたスウェーデン国旗に着目して政治的意味をもつという解釈などがあるようです。
     この絵に関する資料や記録が残っていないので、
     はっきりしたことは本人(既に亡くなられていますが)にお聞きするしかないようです。


タイトル:日の出に立つ女性(Woman before the Rising Sun (Woman before the Setting Sun))

 ・製作年:1818年
 ・収蔵:フォルクヴァンク美術館<ドイツ>

    ※19歳年下のカロリーネさんと結婚された年に描かれています。
     愛する新婚の妻がモデルのようです。


      ※フリードリヒさんの絵は、静寂な自然の中に神の存在と精神の宿りを表現したような作品が
        多いようですが、
        幼いころの不幸な事故が影響しているのでは、と云われています。

♥ 009 ドイツとフランスの高校生が学ぶ共通歴史教科書

2015年04月27日 11時43分19秒 | 紫苑色の重い思い[慷慨憂愁]
             (長くなりますが、そんなに重たくはない紫苑色の思いです)

お世話になっている「プラザ図書館」へ本を返却しに行きました。
いつもそのまま手ぶらで帰ることはなく、また何冊かを借ります。

今回借りた本の中に次の1冊があります。
(書架に並んだ本の中で少し出っ張っていたので目に止まりました)

  ドイツ・フランス共通歴史教科書【現代史】
             - 1945年以後のヨーロッパと世界 -

        監修 : ペーター・ガイス
             ギョーム・ル・カントレック
        監訳 : 福井憲彦
             近藤孝弘


本のタイトルは聞いたことがありましたが、開いて見たのは初めてです。

     ※この「1945年以後のヨーロッパと世界」は全3巻あるうちの1巻で
       フランスにおいてはリセ最終学年(日本の高校3年に相当(?))
       用の教科書になっています。
 
パラパラと捲って読んでみると何か違います。
大きく違っているようです。一般的な日本の世界史教科書と

  どこが違うのか
  私には解かりやすく説明することができません。 
  
   ♥ 歴史を憶えるために記録が書き写された「日本の歴史教科書」

   ♡ 歴史に学ぶために記述された「ドイツ・フランス共通歴史教科書」

  こんな違いなんでしょうか。


   フランス語版の序文には次のことが書かれています。

    -↓序文の一部(日本語訳されたものを引用) ※青の色付けは私がしたものです
    
     (前略)
     密接なつながりを持つ史実の数々、認識を共有する記憶あるいは反対に議論を
     呼んでいる記憶、一つの現実に対するさまざまな視点からの理解、そして、それ
     ぞれの国の歴史や相互関係から見た両国の歴史はもちろん、ヨーロッパおよび
     全世界から見た両国の歴史にも踏み込んだ授業が行えることを目的とした
     類似点・相違点・相互作用の検証 ・・・ 以上が、本教科書を作成するにあたって
     の主な指針であった。     
     (中略)
     本書は、数多くの国々からなる複雑な世界の中で生きていくことを要求される
     生徒や教師に役立つことを第一義としている。こうした世界を理解するためには
     とりわけ多元的な歴史認識が必要なのである
     (中略)
     本書において生徒に、教師に、そして感心の高い読者に提示されている歴史は、
     さまざまな出来事を、さまざまな見解の一致や不一致を、さまざまな意味とその
     現れを、説明する歴史なのである。それはまた、それらの諸点を解釈しようとする
     歴史であり、それによって、両国民および両国が自らの過去と相手の過去を、
     ときに異なる方法でとらえようとしていることを示す歴史でもある。やがて、複雑で
     多元的なな歴史を共同で執筆するという世界に類例のないこの試みが広がって
     いき、他の国々で、他の文化で、世界中の他の地域で同様の試みがなされること
     になるかもしれない。
     (中略)
     歴史家の仕事の意義とその限界を生徒に伝えることができれば幸いである。
     その仕事とは、過去を振り返ることで現在に光を当て、誠実に未来を見つめること
     である。
     (後略)

    -↑(引用終わり)-


   例えば、本文には次のような記述があります。

    -↓「第10章第3課 21世紀の世界秩序は?」の一部(日本語訳されたものを引用)-     

    一極集中型の世界?

     ソ連陣営の崩壊とともに、1989年から1991年にかけて、冷戦という二極体制が
     崩壊した。1990年、アメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領は「新世界秩序」を
     宣言し、「人々が協力しあう歴史的な局面であり、おこでは法治体制が弱肉強食
     の掟に取って代わる」と述べた。これは、クウェートに侵攻したイラクに対し、国連
     合意の上で多国籍軍を組織し、軍事介入を行ったアメリカを正当化しようとする
     ものであった。
     しかし、このような各国に同意を求めるようなやり方は、あっという間に消えてし
     まった。超大国アメリカに肩を並べられる国家が全くないという一極集中型の
     世界になってしまったようなのである。今や、アメリカ政府は単独で行動できる
     状態にある。国連の同意なしで2003年に開始されたイラク戦争は、一国主義の
     例として、フランスを中心に多くの人々から批判を受けた。彼らは、その他の例も
     上げている。例えば、アメリカは京都議定書を批准しなかった。それを受入れれば、
     自らの経済モデルを見直さざるを得なくなるからである。また、アメリカは国際刑事
     裁判所(ICC)にも参加しなかった。自らの政策を新たな国際刑事法の管理下に
     委ねることになるからである。しかしその一方で、ドイツには、国連がいつも民主
     主義を擁護する手段を常に持っているとは限らない、アメリカが代わりにそれを
     行っているのだと考えている人々も存在する。

    一国主義の拒否

     ジョージ・W・ブッシュ大統領(子)が行っているこのような政策は、アメリカ国内から
     も含め、世界中で批判されている。2003年のイラクに対する軍事介入は、フランス
     やドイツなど多くの国々から非難された。こうした国々は、多国間主義を維持し、
     危機に陥った国連を救いたいと考えている。
     しかし、1990年代末に生まれたオルタナティブ・グローバリズムという考え方が、
     さらに激しい論争を引き起こした。この動きは、欧米の大国が押し付けてきた
     自由主義的なグローバル化を再検討しようというもので、G7(主要国首脳会議)
     や世界貿易機関(WTO)を介した裕福な国による支配体制を非難している。
     オルタナティブ・グローバリズムが特に提案しているのは、資本の移動に対して
     課税し、そこから得られた収入を開発援助に回そうというものである。これは
     先進国で労働組合や農業組織が行っている社会闘争と、発展途上国の要求に
     基づいたもので、WTO閣僚会議が開催された時には、「社会フォーラム」やデモ
     を組織している。

    -↑(引用終わり)-

   この記述は日本と同様G7メンバーでもあるフランスとドイツの”高校生用”の共通歴史
   教科書の中に書いてあるものです。
   
   比較として、日本の”高校生向け”教科書(*)の記述を一部を引用して紹介いたします。

           * :「詳説 世界史B」 山川出版社 2007年3月5日発行

    -↓「アラブ世界の分裂とその影響」の一部(引用)-

     イラクでは、1968年以来、アラブの統一と社会主義をかかげるバース党が権力を
     にぎり、79年、党の実権をえたサダム=フセインが大統領になった。80年、フセ
     インは国境紛争からイランと88年まで続く戦争を起こし(イラン=イラク戦争)、
     90年にはクウェートに侵攻したが、翌91年1月、国際連合の決議によるアメリカ
     軍を中心とした多国籍軍の反撃をうけて撤退した(湾岸戦争)。
     アフガニスタンでは、1996年以来、イスラーム原理主義をとなえるターリバーン
     が権力をにぎっていた。2001年9月11日、4機のアメリカの旅客機が乗っ取られ、
     ニューヨークとワシントンのビルに突入する同時多発テロ事件がおこった。
     民主党のクリントンをついだ共和党のブッシュ大統領は、ターリバーンの保護下
     にあるイスラーム急進派組織アル=カーイダが事件の実行者であるとして、同年
     11月、同盟国の支援のもとにアフガニスタンに対し軍事行動をおこし、ターリバーン
     を追放した。その後、アフガニスタンには国際連合の主導で暫定政権が成立し、
     国内復興につとめている。
     アメリカはさらに2003年3月、イラクのフセイン政権が中東地域の脅威になって
     いるとの理由で、イギリスとともにイラクに武力を発動し、フセイン政権を倒した。
     イラクは米・英軍を中心にした占領統治下におかれ、日本も復興支援のため
     自衛隊を派遣した。2004年6月、暫定政権に主権が委譲されたが、外国軍の
     駐留や暫定政権に対する反対は続いており、正常化への道はなおけわしい。
     有力な産油地帯での紛争の多発は、世界経済にも不安をあたえている。

    -↑(引用終わり)-

  ”詳説”となっているこの日本の高校用教科書は、"いつどこで何が起こったか"の
  表層の事実だけを数多く詰め込んで、憶えて(暗記して)もらえさえすればそれで良し、
  と考えて作られているように思われます。
  『背景や思想、意図などは、あまり深く考えなくてもいいよ』ということでしょうか

 
  先週「バンドン会議60周年記念首脳会議」(**)が行われました。
  欧州による植民地支配の時代に終わりを告げ、第3世界を生み出すことになった
  「バンドン会議」について、参加国でもないドイツ・フランスの共通歴史教科書には
  2ページをさいて記述されていますが、参加国であるアジア日本の前記教科書では3行
  でさらりと書かれています。

     ** : 安○首相の演説のとき、始まる直前に○主席が各国首脳がいる中で席を
        立って会場を後にされたとのことですが、
        日本のTV・新聞ではそのことには触れず、5ヵ月ぶりの日中首脳会話の
        ことが大成果ででもあるかのように、好意的に報道されているようです。


   「ドイツ・フランス共通歴史教科書」を監訳された福井憲彦さんの「監訳者あとがき」
   の最後の部分を引用紹介いたします。

    -↓「監訳者あとがき」の最後の部分(引用)-

     日本の中等教育でも主題追及の学習が重視されていることは確かであるが、それが
     どこまで教科書や教育現場で実現されているかは、まったく疑問というよりほかない。
     この共通教科書の場合にも、提示されている資料が適切か、問の設定などの内容が
     これでよいのか、という議論はありうるであろう。また、教育現場においてどのよう
     に活用されていくかは、今後の課題でもあろうし、現場を担う教師の質にかかって
     いることは日本とも同様であろう。しかし生徒たちがみずから読むことのできる
     教科書において、その方向性が明示されるような内容を備えていることは、一つの
     前提として私には重要なことと思われる。
     日本の教育現場で奮闘しておられる教員の方々に、この訳書が参考と刺激になれば
     幸いである。また、次代を担うべき生徒や学生の諸君が、みずからこの共通教科書
     を読んで問いに反応してくれれば、監訳者としてこれにまさる喜びはない。

    -↑(引用終わり)-


若い頃から世界史には大変興味があった私ですが
高校の授業では、教科書を枕代わりに寝ていた時間のほうが長かったように思います。
そのとき使われていた教科書が「ドイツ・フランス共通歴史教科書」のような
面白い内容であったなら、
私は目をパッチリ開けて、先生を困らせる生徒になっていたかもしれません。


 残念なことに「ドイツ・フランス共通歴史教科書」は当初期待されたほどには実用に供されて
 いないようです。
 しかし、作成の目的が共有されただけでも第一歩を踏み出したといえるのではないでしょうか。
  

   今の日本の高校教科書やマスメディア報道に馴らされた蛙が大海に出たとき、
   悠然と泳ぐオニイトマキエイから
     『あなた、素直だけど鈍感なお馬鹿さんね』なんて言われなければよいのですが ・・・

♡ 減煙することにしました

2015年04月25日 13時57分55秒 | 瓶覗色の思い[歓喜悦慶]
これまでにも何度か禁煙したことがあります。

 27歳頃に1年余り
 30代から40代にかけて7年間ほど

  喫煙の意志が強かったので禁煙に失敗しています。


思い立って
明日(4月26日)から減煙することにしました。

私の計画は次のとおりです。

 ・4月26日(日)より減煙を始める。

 ・最初の週の1日あたり喫煙許可本数は10本とする。

 ・1週間経過するごとに翌週の喫煙許可本数(1日あたりの)を減らしていく。
  
   ※翌週(第n+1週)の1日あたりの喫煙許可本数は次式で算定される数とする。
    (ただし、算出値を少数以下で五捨六入(*)したものを許可本数とする)

    第n+1週の喫煙許可本数 = 第n週の喫煙許可本数 -(第n週の喫煙許可本数-1)/第n週の喫煙許可本数


  この式によれば、1日あたりの喫煙許可本数は次のようになります。
  (私の算数に間違いなければ)

                        * : ↓( )内は四捨五入にしたときの値です(最小値が2本) 

    4月26日~5月 2日 → 10本   (10本)
    5月 3日~5月 9日 →  9本   ( 9本) 
    5月10日~5月16日 →  8本    ( 8本)
    5月17日~5月23日 →  7本    ( 7本) 
    5月24日~5月30日 →  6本    ( 6本)
    5月31日~6月 6日 →  5本    ( 5本) 
    6月 7日~6月13日 →  4本    ( 4本) 
    6月14日~6月20日 →  3本    ( 3本) 
    6月21日~6月27日 →  2本    ( 2本)  
    6月28日~7月 4日 →  1本    ( 2本)
    7月 5日~7月11日 →  1本    ( 2本) 


算定結果をご覧になると分かりますが、漸減していき最小値の1本になったあとはそれが続きます。
0本になることはありません。
ですから「禁煙」という言葉は使えませんでした。


 よくいわれますが、煙草を止めることができる人の多くは
 ある日を境にスパッと止めるそうです。(私のようにゴチャゴチャ言わず)

  なお、私の喫煙意志が強いがために今回の減煙に失敗したとしても
  『誰にでも失敗はある。またチャレンジすればよい』と、寛容な心で見守ってください。