湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ ずっと昔に作ったハロウィーン用(?)の被り物

2017年11月02日 11時12分29秒 | 昔々の思い出
ハロウィーン用に作ったものか、今となっては記憶が朧ですが、私の子たちが小学生の頃に(約20年前)私が作ったものです。



空家の中を片付けているときに家人が見つけました。
ハロウィーンの日に出てきたのが不思議な偶然に思えました。

大人の頭でもスッポリ入るくらいの大きさです。
小顔がもてはやされる時代になりましたが、親の私に似て、子たちも頭が大きかったのです。

新聞紙を糊で重ね貼りして形作っています。
表面には白い紙を貼って、色付けしています。

耳が極端に大きくなっていますが、血管が青く透けているところなど、リアルにできたと当時は自慢したはずです。


なぜ今までとってあったのかわかりません。
捨ててしまうのも忍びないので、保管スペースに余裕があれば、残しておくつもりです。

◇ セピア色に変わりつつある卒業写真

2017年10月29日 22時40分47秒 | 昔々の思い出
先日(10/26)の拙ブログ記事で、来月早々に古い空家の解体工事が始まるので、そこに置いている死蔵品等の整理・処分をしなければならないと書いていました。


昨日、長年の埃を被ったダンボールの一つを開いたら、中に古い写真アルバムが1冊入っていました。
そのアルバムは台紙に糊が塗ってあって、写真をのせて上からセロファンでカバーするタイプのものです。置かれていた環境が悪かったからなのか、経年劣化により台紙にカビのようなシミが広がっていました。写真を剥がそうとしてもなかなか台紙から離れません。無理にはがそうとすると写真が破れそうになります。


丁寧にはがした1枚がこの写真です。
「昭和42年度 西山中学校卒業記念」

※この画像はGIMPでフィルター加工しています。
※2本の矢印の延長線の交点に私がいます。

中学卒業の記念として3年生全員と教職員全員で校庭で写ったものと思われます。(撮影時期不詳)よく憶えていませんが、生徒が400名以上はいるようなので、8~9クラスほどあったのでしょうか。

私が持っている中学卒業記念の写真はこの1枚だけです。
製本された卒業アルバムを見た記憶がないので、恐らく制作されなかったのだと思います。
(当時の公立中学では作らないのが一般的だった?)


ところで、明日10月30日は「初恋の日」(*)だそうです。

*:島崎藤村さんが「文学界」46号に初恋の詩を発表した日(明治29年10月30日)からきているそうです。


上写真の中央下のほうに、私にとってのまだあげ初めし前髪の人が写っています

当時の私は "島崎" という地名の処に住んではいましたが(何の足しにもなりませんが ・・・ )島崎藤村さんとは違い

やさしく白き その手から林檎を貰うことはできませんでしたし、ましてや我が心なきためいきがその髪の毛にかかるようなことは、終ぞ ありませんでした

◇ 尾岱沼で見た異形(イギョウ)の人(?)

2017年02月12日 13時37分42秒 | 昔々の思い出
「網走監獄」という菓子を見て()、今から約40年も昔になる北海道旅行したときに遭遇した不思議な出来事を思い出しました。

*:昨日の拙ブログ記事ご参照

私は当時社会人でしたが、東京にあった企業内養成機関(訓練機関)で、全寮制の訓練生としての生活を送っていました。

1年目の6月下旬頃だったと思います。
繊細(?)な私の心に負った深手(**)を癒すために、どこか遠い知らないとろころを独りで訪ね回りながら気分転換したいと思い立ちました。
自分の車で北海道へ旅行しました。

**:大切に大切に想っているものを失うことを感受したくないまま年月が過ぎ、ようやくそれを思い知ったところでした。
(早い話が「長年の片想いの失恋」)┏(ー_ー|||)┓


本州を陸路(車)で北上し、最北端の大間からフェリーで函館へ渡り、→洞爺湖→札幌→旭川→北見→網走→阿寒湖→摩周湖→尾岱沼→厚岸→釧路→糠平湖などを回って、苫小牧からフェリーで大洗(?)へ ・・・

一応有給休暇願を出していたので無断欠勤扱いにはなりませんでしたが、一週間以上(?)も講義をサボることになりました。
そんな宜しくないことをした者はその訓練機関の長い歴史の中でも私ぐらいだったかもしれません。
旅から帰ったあと教務責任者の部屋に呼ばれました。
『自分を見つめ直すために旅に出ました』とでもいった気障な言い訳をしましたが、責任者からは、私の身の振り方にまで及んでまでの説教を滾々タラタラとされました。


前置きが長くなりました。

不思議なことに遭ったのは北海道の東端にある尾岱沼(オダイトウ)へ行ったときのことです。

有名なトドワラを見るために、野付半島に伸びる一本道を車で進みました。
車道が終わったところに車を置き、歩いて先に進んでいきました。

一本道では1台の車にも出遭いませんでした。
駐車している車もありませんでした。
寂寞とした風景の中に私ひとりだけなのかと、心寂しい気持ちになりながら海の上を延びた木道を歩き続けました。

先の方に、一人の人影が目に留まりました。
若い女性のようでした。
上下とも黒っぽい服を着ていました。
予期していなかった突然の出現にビックリしました。

人里離れた誰もいるはずがない場所(例えば樹海の中)に一人でいるとき、一人の人間にバッタリ出くしたとしたら ・・・
それがうら若い女性だったとしても、人心地つくよりも驚き(恐怖心)の方が先に立つと思います。
その女性に出遭ったときの私の心境はそのようなものでした。

冷静な思考ができなかったのでその時は特に疑問は感じませんでした。

近くを通り過ぎる時に一瞬目が合いました。
私とその女性の二人っきりしかいない辺鄙なところで出遭ったのですから、普通でしたら挨拶くらいはするものなのでしょうが、その時の私は直ぐ目をそらし、黙って通り過ぎました。
一瞬のことでしたが、そのクールビューティ(?)な面持が窺えました。

木道の上を歩きながら状況を振り返って考え込みました。
真に不思議な状況に思えてきたのです。

荒涼としたトドワラを見渡して引き返してきたとき
出遭った場所にその女性の姿はありませんでした。
車のところに戻るまで誰も見かけませんでしたし、私の車以外の乗り物もありませんでした。

色々と疑念が湧いてきました。
女性は一眼レフカメラを手にしていましたが、荷物らしいものは持っていませんでした。

どうやって野付半島の先端まで来たのだろう?
どうやって町まで帰ったのだろう?

野付半島の道路では行きも帰りも他の車とすれ違った覚えはありませんでした。
その女性が生身の人間だとしたら、私が野付半島に差し掛かったときには
既にその場所(またはその近辺)にいて、私がその場所に戻ってくるまでの少しの間に迎えに来た車(タクシーかなにか)で標津町のほうへ戻って行った、ということになります。

考えにくいシチュエーションでした。
そして出遭ったときの静かな雰囲気を思い起こしました。
なにやら見てはいけないもの、異形の物をみてしまったのではないかという、そんな心騒ぎを覚えました。
早く "人間" がいる町へ行きたいと、車をとばしました。

今でも憶えている、ずっと昔にあった不思議な体験です。

なんのことはない、タクシーの送迎でトドワラを撮りに来ていただけのプロカメラウーマンだったのかもしれませんが ・・・
  C=(´o`*)

私が北海道に行ったのは20代だったそのときの一度きりです。
カヅちゃんは未だ行ったことがないということなので、なるべく早い時期に(できれば今年中にでも)、一緒にアチコチ訪ねてみたいと思っています。

◇ 伝書鳩

2017年01月23日 19時05分04秒 | 昔々の思い出
大陸の高気圧に覆われているのか、朝は冷え込みましたが、青空がひろがりました。

宿明け勤務帰りに寄ったパン屋さんから外に出たら、伝書鳩とみられる鳥が青空をバックに一団となってグルグル回っていました。



50羽はいそうです。



マンションの上を右に回ったり、左に回ったりしていました。

近くに鳩舎があるのでしょうか。


最近ではこのような光景を見ることが少なくなりましたが、私の子供の頃は、伝書鳩を飼っている家が近所にも何軒かありました。
東京オリンピック(1964年)の頃に伝書鳩ブームがあったと思います。

私も一時期飼ったことがあります。

熊本市内に転校して中学2年生になったときですから、今から丁度半世紀前のことになります。
 
確かな記憶ではありませんが、海外テレビドラマで鳩を飼っている少年の感動話があっていたのを見て、自分も育ててみたいと思ったのです。

伝書鳩を飼っていた同級生から2羽(番)を2千円くらいで譲ってもらったはずです。
鳩舎は自分で作りました。
八百屋さんかどこかで貰ったリンゴ木箱を何個か組み合わせて大枠を作り、前面を竹の棒で区切って亀甲金網張りにしました。
トラップ(*)も取り付けました。

*:鳩舎内への入り口に取り付けるもの。
2本になった金属棒がブラブラしており、内側へは動くが外側へは動かないように取り付けます。

 
私が作ったのは "舎" にはほど遠い大きさの "箱" でした。

手探りで始めた飼育にも慣れてきた頃でした。
飛び立っていったきり2羽とも戻ってきませんでした。


****** 少し横道にそれます ******

青空がよく見えていなかった頃に聴いていた、森田童子さん作「伝書鳩」の歌詞

目にしみるぞ
青い空
淋しいぞ
白い雲
ぼくの鳩小屋に
伝書鳩が帰ってこない

もうすぐ ぼくの背中に
羽がはえるぞ

朝の街に
ぼくの白いカイキンシャツが飛ぶ
 
母よぼくの鳩を撃て
母よぼくの鳩を撃て


****** 横道から戻ります ******

帰ってこなかった鳩を熱心には探しませんでした。
糞の掃除が億劫になり、飼育にも飽きがきていたのかもしれません。

ですから私が "伝書" とはいえない鳩を飼っていたのは、ほんの一時期のことです。


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ギャラリー 061
鳩が描かれている絵
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ライセンス(3点とも): (パブリック・ドメイン)


■タイトル:無原罪の御宿り
(The Immaculate Conception)

・画家:ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ
(Giovanni Battista Tiepolo)
・制作年:1767年~1768年
・収蔵:プラド美術館<スペイン>

※キリスト教画の多くに見られる鳩は精霊(三位一体の一つ)を表しているそうです。
※蛇を足で踏みつけているのは「エヴァ(イヴ)の罪」を人間から解き放つためだそうです。

  

■タイトル:聖エウラリア
(Saint Eulalia)

・画家:ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
(John William Waterhouse)
・制作年:1885年
・収蔵:テート・ブリテン<イギリス>

※13の拷問を加えられ13歳で殉教したと云われる少女。(350年に列聖)
※ここに描かれている鳩は殉教時の逸話からきているものと思われます。



■タイトル:江戸名所百人美女 東本願寺

・画家:歌川国貞(三代目豊国)
※景色は歌川国久
・制作年:1857年

※家禽化される前のカワラバト(河原鳩)は千年以上の昔から日本にいたそうです。

◇ 自転車のチューブを利用して作ったヤス(簎)

2016年11月14日 13時24分18秒 | 昔々の思い出
自転車のパンク修理で
古いチューブをハサミで切っていたとき、
ずっと昔のことを思い出しました。

半世紀ほど前の子供の頃のことになりますが、
ヤス(魚を突いて獲るための漁具)を
作ったことがあります。

友達か誰かが持っていたのを見て、
真似て作ったものです。

このような物だったはずです。

  ※自転車のチューブの復元力を
    発射に利用したものです。
  ※竹は近くの竹藪へ「肥後之守」(*)を持って
    取りに行きました。
    それを火で炙り、
    布で擦りながら強靭な棒にしました。
  ※金属製のヤス先だけは
    雑貨屋さん(?)で買いました。
  ※昔のチューブのほうが良く伸びたと思います。
    今回パンクしたチューブは質が悪く、
    弾力がありませんでした。

  * : そのころのガキの必需品でした。
     (鉛筆削りや工作用)
     普通に雑貨屋さんに売ってありました。


ウチの近くには潜れるような清流が
ありませんし、海からも離れています。
このヤスを使ったのは、
これを作ったひと夏だけだったはずです。
それも、オフクロの田舎の実家近くの渓流で、
そして天草での海水浴のときの二度程度だった
と思います。


  獲るのが上手い人は魚の頭部を突きますが、
  私の獲物になる魚は極く小さいので、
  胴体真ん中を狙って突くことになります。
  ヤス先には返しもあるので身が傷つき、
  可哀そうな姿になります。
  釣りよりも罪悪感を覚えました。
  
  凝りやすくて飽きっぽい性格でもあったので
  せっかく作ったヤスも
  夏休みが過ぎたらどこかに放り遣ってしまい、
  再び使うことはなかったはずです。


昔がどうであったのか知りませんが
現在では、
都道府県によってはヤスによる魚の採捕は
禁止されているようです。(**)

 ** : 水産庁のWebサイトに
    遊漁で使用できる漁具・漁法(都道府県別)が
    掲載されていました。
http://www.jfa.maff.go.jp/j/yugyo/y_kisei/kisoku/todo_huken/index.html  
    これによると、私が住む熊本県では
    ゴム付のヤスは禁止されているようです。


昔は、子供が出入りする雑貨屋さんには
小刀、ゴム銃(パチンコのこと)、2B弾などが
文具などと並んで普通に売ってありました。
私もそれらで遊んでいて
指を切ったことがありますし、火傷もしました。
今の子供は、
遊んでいて怪我をすることなどあるのでしょうか?



・・・・・・・・・ ギャラリー 056 (水辺が描かれた絵) ・・・・・・・・・

                  ライセンス(2点とも): (パブリック・ドメイン)


 ■タイトル:海岸で遊ぶ少年たち(Boys Playing on the Shore)

 ・画家:アルバート·エーデルフェルト(Albert Edelfelt)
 ・制作年:1884年
 ・収蔵:アテネウム美術館<フィンランド>


 ■タイトル:バレンシアの若い漁師(Young Fisherman, Valencia)

 ・画家:ホアキン・ソローリャ(Joaquín Sorolla y Bastida)
 ・制作年:1904年
 ・収蔵:(個人蔵)