湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

♡ 「牛深ハイヤ祭り」を見に行ってきました(2/2)

2015年04月20日 13時42分33秒 | 瓶覗色の思い[歓喜悦慶]
(前日の記事からの続きです)

ハイヤ総踊りには県内はもとより県外からの参加もあります。

遠く沖縄から参加された「エイサー」のグループです。

       ※昨年の沖縄旅行で初めて直に見た「エイサー」
        「エイサー」はダイナミックでエネルギッシュで、見ているだけで元気が出てきます。

熊本市内から「ひょとこ踊り愛好会」が参加されていました。
皆さん高齢の方のようで、もしかしたら平均年齢80歳を越えていたかもしれません。

    独特の腰つきの踊りで、
    本当によろけているのか踊っているのか判らないところが観衆の笑いを誘っていました。
    (褒め言葉です)

それより平均年齢が50歳以上(?)若い地元「熊本県立牛深高等学校」の女性陣です。

     ※乙女心なのか、恥じらいを含んだような顔も見られます。

多国籍”群”です。



   踊っている方の笑顔を見ていると
   やはり祭りは参加するほうが楽しいようです。


絶対お土産に買って帰ろうと決めていた「こっぱ餅」(*)を「牛深うみの駅」で買って、
牛深をあとにしました。

       * : 「こっぱ餅は」天草地方の伝統菓子です。
          私が買ったのは製造者が「宝餅本舗」となっていました。
          「こっぱ餅」についての詳しいことは同社webサイトをご覧ください。

せっかく此処まで来たのだからと、ユネスコ世界文化遺産への推薦が決まった「崎津教会(天主堂)」と
「大江教会(天主堂)」に寄って帰ることにしました。

「崎津教会」は羊角湾の入り江にある漁村「崎津集落」の中に建っています。

       ※世界文化遺産への推薦が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連資産」のリストには
        「崎津教会」という建造物ではなく「崎津集落」という地域として入っているそうです。
        なお、「大江教会(天主堂)」は残念ながらリストに含まれていません。

崎津集落を望む

       ※中央左側に「崎津教会」の尖塔が小さく見えています。
       ※私のスナップ用デジカメと技量で撮れるのはこの程度までです。

大聖堂(カテドラル)とは違った可愛らしい「崎津教会」です

       ※ゴシック様式の現在の建物は昭和9年に完成したものです。

由来記です


現在の「崎津教会」を建てられた「ハルブ神父」の碑です


   崎津教会は、一般の人も教会堂の中に入ることができます。
   入口ドア横に献金入れ(観光客等への協力のお願い)がありました。
   私が入れたほんの気持ちだけの100円玉は”チャリーン”と明瞭な音を発しました。

     私達のあとから多くの観光客が入ってきましたが
     静寂の教会の中で”チャリーン”という音は一つも聞こえてきませんでした。

教会堂の中は真新しい畳が敷き詰められていました。

 そういえば、だいぶん前のTVニュースですが
 畳職人さんたちがボランティアで集まって「崎津教会」の畳替えをされている映像を
 見た覚えがあります。

 「寺の畳替えの経験はあるが教会の畳替えは初めて」という方が多かったことでしょう。
 必ずしもキリスト教信者ではなかったと思います。
 その善行を思い出し、一神教でなく八百万の神を信じる日本人の寛仁な一面を垣間見たようで、
 何かホットしたような暖かい気持ちになりました。
   
「崎津教会」をでたあと
集落の狭い路地にある民家の軒下にネコがいました。


ジッとして動かなかったので
『眠っているようだね』
『いや、寝ているフリをしてるんじゃない』などと言いながらカメラを近づけると

『なんか用か?』みたいに、ジロッと睨まれました。


   ネコを飼ったことがなく、特別ネコ好きということでもありませんが
   チョイ悪そうに見えるこのネコは、
   細面のイケメンではないのでしょうか(雌猫かもしれませんが)。


「大江教会」です

      ※ロマネスク様式の教会は、昭和8年に完成したものです。

瓦屋と板塀の家屋が並ぶダークトーンの集落の中にあるゴシック様式の「崎津教会」
緑に囲まれたなだらかな丘の上に建っているロマネスク様式の「大江教会」
どちらも洋風の建物ですが、周囲の景観に溶け込んだ落ち着いた佇まいを見せています。

同じ頃にこの二つの教会の建築を手がけた建築家・棟梁は
長崎県五島列島出身の「鉄川与助(テツカワ ヨスケ)」→Wikipediaという人です。
Wikipediaにこの人について詳しく載っていますが、
ゴシックとロマネスクを使い分ける素晴らしい美的感覚も持っておられたようです。

鉄川さんが建てられた教会のなかには、有形文化財に指定されたものが数多くあります。
80歳のとき(1959年)に、原爆で破壊された「浦上天主堂(ウラカミテンシュドウ)」→Wikipediaを再建され、
97歳で長寿を全うされています。

  外国人神父の教えを受けながら教会建築に多大な貢献をされた方ですが、
  生涯「仏教徒」であったということに、何かしら味わいのある人間ドラマを想像します。