湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 「蕎麦の日」と「餃子の日」に蕎麦と餃子を食べる

2015年06月30日 22時32分15秒 | 日常・その他
今日6月30日は「蕎麦の日」(*)となっています。
「餃子の日」(**)にもなっています。


    * : 「一般社団法人 日本麺業団体連合会」さんが制定されたものです。
       6月30日だけに限らず、毎月月末が「蕎麦の日」となっています。
       江戸の商人が毎月月末に縁起物としてそばを食べていたことに
       由来しているそうです。

   ** : 「浜松餃子学会」さんが制定された非公認の記念日だそうです。
        6月30日だけに限りません。
        餃子はよく「耳の形」に似ていると言われ、耳と言えば「33」ということで
        毎月3の付く日(3日、13日、23日、30日)を「餃子の日」にしたそうです。
          ※少し無理があるような気がしないでもありません。


記念日だからという訳ではなかったのですが、
今日は偶々「蕎麦」と「餃子」を食べました。

昼に「もり蕎麦」(***)を食べました。

 麺は地元のスーパーに普通に売ってある乾麺です。
 1878年(明治11年)創業の地元「五木食品株式会社」さんの「田舎そば」という製品です。

   *** : 「もり蕎麦」と「ざる蕎麦」に違いをご存知でしょうか?
        海苔がのっているほうが「ざる蕎麦」、と勘違いされている方が多いと思います。
        今ではそのように区別するのが慣習のようになっていますが、正しくは ・・・ です。
       

  私は麺類は硬めのほうが好きです。
  袋に「5~6分間茹でてください」と書いてあったので約4分間茹でました。

  薬味は玉葱スライス(必須)と細ネギと海苔とワサビ、
  ツユは市販の2製品をブレンドしました。

  和風麺の好みでは「うどん党」と「そば党」に大別されますが、
  若い頃の私は断然「そば」でした。
  今では白物(うどん, etc.)のほうを食べることが多くなったかもしれません。

    2014年のデータですが、
    全国のそば屋店舗数は24,924軒で、一方のうどん屋店舗数の24,030軒と拮抗しています。
    人口10万人当たりのそば屋店舗数では、長野県が日本一(約52軒)となっており、
    郷土熊本県は下のほうの33位で約13軒です。
    人口10万人当たりのうどん屋店舗数では、やはり讃岐うどんで有名な香川県が日本一で
    約64軒となっています。
    郷土の熊本県はズット下の38位で約13軒(そば屋と同じ)で、香川県の約5分の一です。

      熊本県人は、「そば」と「うどん」をどちらも分け隔てなく、
      ほどほどに食べているということになります。

    ついでに、ラーメンについて、
    我が「熊本とんこつラーメン」が日本一美味いと思っていますが、
    人口10万人当たりの店舗数でいえば1位から10位までが次の順番となっており、
    九州ではなく北のほうが圧倒しているという意外な結果でした。  ※2013年のデータ

     日本一:山形県(約71軒)、
      2位以下は
       栃木県→新潟県→秋田県→鹿児島県→青森県→富山県→北海道→福島県→長野県
                               

夕食には「焼き餃子」を作りました。

 月に1回も作ることはないのですが、
 ウチの餃子は、具から作って自分たちで包みます。
 市販の皮だけではなく、私が作った皮も使います。
 家で作った皮の方が断然美味しく感じるのです。

 今日の生地は、「薄力小麦粉」と「もち米粉」を半々混ぜて作りました。
   具の中身は
     キャベツ、ニラ、タマネギ、ひき肉(牛豚合挽)、
       塩コショウ、醤油、ニンニク、生姜、ごま油です。

焼く前のもの

    ※手前に生地伸ばし棒が写っています。
    ※奥のほうが手作り皮のものです。

焼き上がったもの




 就活で東京へ行っている3男が留守で、今夜は母を含めて4名なので
 手作り皮のもの15個、市販皮のもの60個、計75個包みました。

  食べ盛りの小さい子供が4人いるときは
  子供達にも餃子包みを手伝ってもらい100個以上作っていました。

   何年か後には、家で包むということもしなくなるかもしれません。

    いつもの様に、
    酢をドバドバ、
    摩り下ろしたニンニクをたっぷり入れたタレでいただきました。

    しっかり歯を磨いてから寝ることにします。

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 6月は
  初めて記事を毎日更新することができました。ヽ(=´▽`=)ノ

♡ 至高・至上の超絶「ホルモン焼鳥」

2015年06月29日 22時02分34秒 | 瓶覗色の思い[歓喜悦慶]
家から歩いて約10分(ジョギングシミュレーターで測れば819m)のところに
「味○食堂」という大衆食堂があります。

  繁華街から離れたところにあり、
  店名に"食堂"という字が入っていることから想像できるように、
  近所の住民や仕事帰りの勤労者など、常連の方が利用されている店です。
  出前注文も多いようで、
  店の前にスーパーカブ(荷台にマルシン出前機(?)が取付)がとまっています。

私は常連というほどではないのですが、時々一人で酒を飲みに行きます。
数名しか座れないカウンターで静かに飲みます。
注文の品はほぼ次で決まっています。

  ・瓶ビール(アサヒドライ or サッポロ黒)500ml 1本
  ・焼酎の水割り/お湯割り  1~2杯
  ・冷奴
  ・焼鳥 3~4本

芋焼酎をボトルキープしていますので、
ビールが空くと、
棚に並んでいる自分のボトルを自分でとりにいき、
自分で勝手に選んだグラスに自分で適当に割っていただきます。
大衆食堂らしいセルフサービスです。


久しぶりに店に顔を出して、ビールと冷奴を頼んだあと、
今日の焼鳥は何があるのかと、黒板を見上げました。

  「味○食堂」には煮魚・焼魚や鳥唐揚げ、カツ丼、野菜炒め、チャンポン
   などの他にも色んな定食類があり、更には刺身類もありますが、
   焼鳥まであります。
   焼鳥は日によって品揃えが変わるので、
   その日あるものが黒板にチョークで書き出されています。
       ネタがないときは何も書かれていません。

「今日は "アレ" は無いのか」と少し落胆し、
豚バラと鳥皮と鳥モモを1本づつでも頼もうかとしたとき、
店主が『2本とっとったんですけどね』と私に声をかけました。

その "2本" が何なのか、言われなくても "アレ" のことだと直ぐわかりましたが、
"けどね" が過去進行形を意味しているのか現在進行形なのか解かりかねました。

すかさず期待を込めて『今日あるという事ですか?』と聞き返しました。

『とっておきましたよ』という返事でした。

ありがたいことに
アレ(ホルモン)を2本とっておいてくれたということでした。

  私は食通でも食道楽でもありません。
  高級な焼鳥店(そんなものがあるのか知りませんが)へ行ったこともありません。 

  ですから、大層な表現をしてはいけないのかもしれませんが、
  この店のホルモンの焼鳥は、まぎれもなく私が今まで食べた中で最高の "絶品" です。

このホルモンを初めて口にしたとき
『こんなに美味しいホルモンは食べたことがない』と店主に感想を述べたことがあるのです。

口数の少ない私が言った褒め言葉を店の主人が憶えていてくれたのだと思います。

他の客にまわらないよう黒板には書かず、
いつ来るかわからない私のために2本とっておいてくれたのです。

  感謝感激感涙です。
    (涙は出ませんでしたが)

とってあった貴重な2本を頼んで、じっくりと味わいました。
変わらぬ美味しさでした。

  ホルモンのことばかり褒めましたが
  この店の焼鳥は「豚バラ」も「鳥皮」も「鳥モモ」も他のものも
  全てよく出来ていると思います。
  全種類とも塩味です。タレは用意されていません。
  これは「素材の味を大切にしたいから」という主人のこだわりだそうです。
  「肥後モッコス」ともとられかねない一徹さ、
             この主人にしてこの焼鳥、納得です。

  焦げ目がついたホルモンの1本をじっと見て、右手の親指と人差し指で串を摘み
  上下の側切歯と犬歯で肉をはさみ(そのとき香しい匂いが嗅覚をくすぐる)、
  抜き取ったら、舌で転がし味わいながら長い時間をかけて臼歯で咀嚼し、
  舌の付け根でほんの微かな苦味を感じたように錯覚し、名残を惜しみながら嚥下する。

    たかが焼鳥1本で大げさなと思われるかもしれませんが、
    申し分ない焼き具合と塩味、弾力ある程よい厚みの脂がのった塊、
    嫌な臭みのないホルモンの香り ・・・
    すべてに店の主人の丁寧で丹精な仕事が表れているように思います。


私が『この店の焼鳥だったら、繁華街に店を出せば大繁盛するのでは?』と言っても
『イヤイヤ』と謙遜されるだけです。

この店の焼鳥の値段は1本 xxx 円です。
(スーパーの外などに売りに来ている軽ワゴン車移動販売の焼鳥と同じくらいの値段です)
ですから、このような丁寧な拘りの仕事をされていれば儲けはないと思います。

大衆食堂がメインの今の店の業容でしたら
焼鳥が売れすぎては困られるかもしれませんので(私も困ります)、
この店の名前を出すのは差し控えました。
             判る方には判るはずですが

◇ 共存共栄の花(植物)と虫

2015年06月28日 13時22分35秒 | 庭の草木や生き物たち, etc.
今年も庭の隅に朝顔とゴーヤを植えています。

  朝顔は種を播いて、ゴーヤは苗を植えて。



花が咲くと虫たち(蜂や蝶など)が寄ってきます。

   ※頭を突っ込み過ぎではないでしょうか

 
   ※ゴーヤの花です。

そして実になります。

   ※今年のゴーヤも可愛い大きさです。
     たぶん市販品のような大きさまでは育たないと思います。
     (肥料がたりないのでしょうか)


・・・ ここから下は少し固い話になっていきます ・・・

植物の花は受粉の仕方が4種類あり、
「虫媒花」、「風媒花」、「鳥媒花」、「水媒花」(*)というそうです。

     * : 「水媒花」は
         花粉を水の流れにまかせて受粉させるという、運任せな受粉法です。

朝顔やゴーヤの花が「虫媒花」に該当するのかどうか知りませんが、
少なくとも農作物には「虫媒花」のもの多く、虫たちがいないと満足な収穫が得られないそうです。

ハウス栽培が多い現代では、自然の虫や風を頼れないため、
養蜂家に頼んでミスバチの助けを借りているそうです。

  養蜂家の産出額の95%は花粉交配の仕事によるもので、
  蜂蜜、ローヤルゼリー、プロポリスなど本来の養蜂生産額は5%以下の割合にすぎないそうです。  


ここ数年(?)、世界の彼方此方で「大量の蜜蜂が死んだ/失踪した」
といった話がでることがあります。

その原因はまだはっきりしていないようですが、
推測されている一つの原因として「ネオニコチノイド系農薬」が指摘されています。

EUでは欧州食品安全機関(EFSA)が2013年1月に蜂への影響に関する評価結果を公表し、
農薬メーカーの反対意見を押し切って2013年12月1日より使用制限しています。
規制決断のよりどころとなったのはEUが基本理念とする「予防原則」という考え方だそうです。

  予防原則とは、環境に対して甚大な影響を及ぼすおそれがある場合、
  因果関係が十分証明されない状況でも、予防的な措置を取るというものです。

アメリカでも、米国環境保護庁(EPA)が2015年4月2日に
ネオニコチノイド系農薬4種類の新たな使用方法を承認しないことにしました。

日本の場合は、まだ規制に踏み切っていません。
厚生労働省のWebサイトにある説明では次のようになっています。

  ネオニコチノイド系農薬3種は水稲のカメムシ防除に重要です。
  カメムシ防除の効果、蜜蜂への悪影響の程度、人や水生生物への影響などのバランスを考慮し、
  カメムシ防除に使用する殺虫剤の使用方法の変更が必要か検討します。

お役所言葉でよく使われる "検討します" です。
(検討されていないと疑っている訳ではありません)
予防措置の対応をとるEUなどとの考え方の違いを感じます。

  「疑わしきは、当面の損得を優先する」
   放射性物質に対する規制の考え方も、この倣いのような気がします。 

 ちなみに、日本では「住友化学株式会社」さんがネオニコチノイド系農薬を扱っていますが、
 日本でネオニコチノイド系農薬の規制について真剣に議論されていたであろう頃の
 経団連会長が同社CEOの「米倉○昌」さんであったことを考えると、
 厚生労働省さんの「検討はします(が、当面規制はしません)」という対応(配慮(?))を
 理解できるところです。
                        ※飛躍してスミマセンでした。

◇ 40年近く前に行った「須川高原温泉」

2015年06月27日 22時39分30秒 | 昔々の思い出
永年勤めた会社を定年退職し、
27年ぶりに田舎(熊本市)に戻ってきてから2年余りが過ぎました。
今の生活環境や生活リズムにも慣れてきたところです。

昨春より非常勤職員として寮の管理人を勤めていますので宿直勤務もありますが、
会社員の頃のような「期日までに必ず遣り上げなければならないような宿題」も特にないので、
わりとノンビリした日々を過ごしています。

緊張感に乏しい日常の中で、
TVの旅番組や本を読んでいるときなどに、ふと昔のことを懐かしく思い出すことがあります。

昨日は、図書館から借りている「東海林さだお」(*)さんの「偉いぞ!立ち食いそば」を
読んでいるとき、岩手県の山の中にある「須川高原温泉」に行ったときのことを思いだしました。
本の中に東北駅弁旅行の話が出てきたからです。

          * : 家には「東海林さだお」さんの単行本が、
            「丸かじり」シリーズなど数十冊あります。

長い思いで話になります

 「須川高原温泉」は岩手県、宮城県、秋田県にまたがる栗駒山(1,626m)の岩手県側山麓
 にある1軒宿の温泉です。
 そのころ私は20代で、東京で寮生活をしていました。
 独身だった当時は、見知らぬ田舎の温泉へ旅するのが好きでした。
 宿の予約もしないまま出かけることもあったのですが、そのときは電話で予約して行きました。

 「須川高原温泉」へは一関市から定期バスで行きました。
 (一関までは東北本線の電車で行ったはずです)
 さすがにボンネットバスではなかったのですが、結構古いバスで年季が入った運転手さんと
 車掌さんが乗っていました。
 (当時の田舎では、まだ車内で車掌さんがキップを売っているところもありました)
 10月下旬でしたが、栗駒山に近づくころには車窓から人家は見えず、周りの木々の葉や草が
 枯れてしまっており、うら寂しい風景が広がっていました。
 山を上っていくまだまだ先にある一軒宿はどんなところだろうと、
 少し心細くなったという憶えがあります。
   1時間30分ほどバスに揺られて(カーブも多かった)、「須川高原温泉」に着きました。

 高給取りでもなかった私は、安い部屋を頼んでいました。
 部屋は狭く、窓があったかどうか憶えていません。
 食事前に混浴大浴場(**)へ行きました。

       ** : 当時は、田舎の温泉、特に東北は混浴のところが多く、
           その有無が、私の宿選定条件の一つでした。
           女性と一緒にお風呂に入れるかもしれないというのが理由ではなく(?)、
           おおらかな考え方をしている宿の雰囲気を期待してのことです。
             なお、現在は各都道府県の「公共浴場条例」により
             幼児、家族湯を除き原則として混浴禁止となっています。

 大浴場に行くと入口が男女別になっていました。
 "ガイドブックに騙された"とがっかりしながら脱衣して、戸を開けて浴場に入りましたが、
 すぐに"騙されてなかった"ことが判明しました。
 脱衣所は板壁で仕切られていましたが、モウモウとした湯気を立てる広々とした湯船は
 共用(混浴)となっていたのです。
 ただ、湯気を通して目を凝らしても、私の他に誰も見当たりませんでした。
    少し残念ではありましたが、広い湯船で泳ぐことはできました。


 夕食は部屋食ではなく食堂で一緒に食べるようになっていました。
 私の部屋の名札が置いてあるテーブルに座り、前に並んでいる料理と周りのを見比べました。
 違いはなさそうだったので、肩身の狭し思いをしなくて済むとホットしました。

 離れたテーブルに、私を乗せてきたバスの運転手さんと車掌さんの顔が見えました。
 あとで知って驚いたのですが、
 何と私が泊まったその日(10月24日頃)が、その年最後の宿泊営業日だったのです。
 つまり私はその年最後の泊まり客だったのです。
   一関からきた運転手さんと車掌さんはバスとともにそのまま宿に1泊し、
   次の日に復路(その年最後の運行となる)を運転して戻られるとのことでした。
   宿での夕食と宿泊は、お客を運んで来てくれる運転手さんたちへの
   宿からの無償サービスだったのでしょうか。
   (やはり、混浴の宿はおおらかな営みをされています)

 翌日に宿を閉鎖して建物の越冬準備をされるとのことでした。
 (秋から春まで約半年間も休業されるとのこと)
 そう聞いた後では、従業員の方がソワソワ・ウキウキされているようにも見えました。
 節目の日に立ち合うことになった私のほうは、少し感傷的にもなりました。


 食事が終わるころになって隣のテーブルの中年女性(Kさん)から声をかけられました。
 『私の部屋で飲み直しませんか』というお誘いでした。
 その方も当日1泊だけとのことでしたので、私と同じバスに乗って来られたことになります。
 バスの乗客は数名だったはずですが、窓の景色を見ていた私は顔を憶えていませんでした。
 宿泊客も数名でした。グループのような客はいなかったと思います。
   皆さん、何の目的があってシーズンオフの最後の営業日に一人で泊まられていたんでしょう。
   (最後の営業日とは知らなかった私にも言えることですが)
   雪に覆われてしまう前の、寂のある晩秋の情緒に浸りに来られていたんでしょうか。

 
 Kさんの客室は、布団部屋のような私のところと違って踏込もある広い部屋でした。
 仲居さんが酒(ビールと日本酒(?))を持ってこられて飲み始めました。
 純情な私はそれでなくても緊張していたんですが、
 仲居さんが『お布団をもう一つ敷きましょうか?』ときかれた言葉にドギマギしました。
 (仲居さんのこういう気配りにも、おおらかさが感じられました)
 Kさんが『結構です』と返事され、仲居さんが出て行かれました。
 少し "無言の間" があって、また飲み始めました。
 どんなことを話したのか、自分の部屋に戻ったのが何時頃だったのか、
 全く憶えていませんが、
 
   部屋に戻ったあと内風呂(幾つかありました)に入ってから寝ました。

 翌日の帰りのバスではKさんと一緒に、他の数名の乗客とは離れた後方の席に座りました。
 1時間30分の間、肩を寄せ合って話しが弾みました。
 車掌さんが "何か変な事" でもしてるんではないかと怪しんで、
 途中で数回見回りに来られました。
 
     ※ジロジロ見ていかれるわけではありませんが、
       席の横を通るときにチラッと私達を見てから、
       後ろの「行先票」を点検しに行かれていました。
       何回もする必要がないはずのその行動は、
       私たちを"点検"していたとしか思えませんでした。

 終点の一関についてKさんと別れました。 Kさんは気仙沼へ、私は東京へ ・・・
 別れ際にKさんから
 『東京に行くこともあるから、住所と電話番号をおしえてほしい』と訊かれましたが、
 Kさんとの糸が切れてしまうのがわかっていながら、なぜか、知らせませんでした。
   心なしか少し寂しそうに歩いて行くKさんの後姿を見たのが最後です。


 Kさんは気仙沼市内でスナック「○○○」をしていると言われていました。
 おおらかで明るい方でした。
 (表情には出さないものがあったのかもしれませんが)

 それから30数年後の3月11日に東日本大震災が発生しました。
 気仙沼の町のいたる所から炎があがっている映像がありました。
 町全体が炎に包まれているように見えました。

 Kさんは無事だったのでしょうか。
 (地元の方のようだったので恐らく気仙沼に住み続けられたものと思われます)
 私より20歳ほど年上だったと思いますから80歳近くになられていたはずです。

 酒が好きな方だったので、震災前に既に亡くなられていたかもしれません。
 それならそれで、
   住み慣れた町が燃えているところを見ることがなく
     地元の人々の哀しい顔を見ることもなく、良かったのかもしれません ・・・

◇ 十二支のミニ置物

2015年06月26日 21時00分53秒 | 日常・その他
家の玄関の靴箱の上に
十二支を模った小さいマスコットが並んで鎮座しています。

福岡市に住んでいた20年前頃に、長男が神社で買ってきたものです。
当時は両親とは離れて住んでおり親子6人の家族でしたから、
それぞれの干支の分の6種があります。

  買ったときは中にオミクジが入っていたはずですが、
  自分の運勢が何と書いてあったのか覚えていません。



左から
 子(鼠) ・ 丑(牛) ・ 辰(竜) ・ 巳(蛇) ・ 申(猿) ・ 酉(鶏)の順に並んでいます。
  ↑    ↑      ↑    ↑     ↑     ↑
 長女  長男と母(*) 2男   私  カヅちゃん  3男 となります。

    * : 現在は同居している90歳の母は長男と同じ「牛」です。
        既にありましたので追加していません。

  「二つの干支が続いて二つ空く」という繰り返しの規則性になっています。


  私は動物の中で「猿」が好きではありません。
  ゴリラはそうでもありませんがチンパンジーや、特に日本猿は嫌いです。
    人を小馬鹿にしたようなとぼけた顔、ズル賢そうな目、
    歯をむき出してギャーギャー叫ぶ威嚇など ・・・
    そして、額が狭く生え際までビッシリある髪(毛)←私の妬みからくるものです

  ですから猿が出てくるようなTVの動物番組をあまり見ません。

  日本猿などを「エテコウ(猿公)」と蔑称で呼んだりします。
   それを耳にしたときの申年のカヅちゃんは、少しムッとしているようにもみえます。


   「嫌いと思う人は実は似た者同士」といったり、
   「同族嫌悪」という四文字熟語もありますが、
       髪(毛)の部分はもちろんのこと、私はけっして猿に似ていないと思います。