湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ スーパーカブでトコトコと ・・・ (別府行_2)

2016年11月30日 14時04分24秒 | ちょっとした出来事?
*** 昨日の記事のつづき ***

別府の街に着いたのは18時を過ぎていました。
繁華街で夕食を食べてから宿へ行くことにし、
駐輪場を探しにJR別府駅前へ向かいました。

  ※別府行きを思い立ったのが当日朝で、
    Webで探した宿へ電話しましたが、
    『今日の夕食は作れない』とのことでした。
    宿の近くには飲食店が少ないとの話だったので、
    早目に宿に着いて、
    バスで繁華街へ出かけるつもりでした。
    それなのに、到着が遅れてしまったので
    このよう成り行きになったのです。

駅前交番でおしえてもらった駐輪場に
スーパーカブを置き、店を探しました。
これといった店がなく
ブラブラと探し歩いているうち、
晩酌せずに食べるのが物足りなく思えてきました。

結局、駐輪場へ引き返し
途中のスーパーで食べ物と酒を買い込んで、
宿へ向かいました。

  宿は鉄輪温泉(*)にあります。
  3年間別府に住んでいたので
  鉄輪温泉はよく知っていますが
  泊まるのは初めてでした。
  
  Webで調べたとき
  「安くて家庭的 ・・・ 」という口コミが
  載っていた宿です。

  * : 鉄輪温泉は「男はつらいよ」第30作の
     ロケがあったところです。
     山田洋次監督は
     残したい全国の街並み三選の一つに
     「別府鉄輪の温泉街」を選んでいます。
     鉄輪温泉の詳しいことは↓
     「鉄輪旅館組合公式サイト

宿の外観


幅1m未満の狭い階段を上がって
突き当りの202号室が案内された部屋です。


いっきに寅さんムードになってきました。

部屋の中


つけてあったテレビから
美川憲一さんの歌が流れていました。
(益々寅さんムードが高まります)

  当然のこと部屋に風呂はありませんが
  トイレはついていました。
  (この部屋が最上級だったのかもしれません)
  長逗留の方のためなのか、
  電気コンロと流しがありました。

「お着き菓子」

  ※温泉に入る前に
    この菓子を食べながら一服するのが流儀です。

せっかく用意されていた「お着き菓子」ですが、
寅さんの宿には無かったはずだと思ったら、
手を付けられませんでした。


風呂に入ってから部屋に戻ると
フカフカではない重い綿布団が敷いてありました。


 こうでないといけません。
 寅さんに羽毛布団は似合いません。

買い込んでいたパックと酒を出しました。

美味しそうな特選ニギリが
半額で売ってありましたが、
旅先で生ものを食べて腹を壊しては大変なので
このようなものにしました。

 寅さんもこちらのほうが似合いそうです。

この2パックと
ビール1缶+ワンカップでは物足りず、
店でもないものかと外へ出かけました。
 
 ※寅さんと違って気の弱い私は
   初めての宿ということもあり
   『オバチャン 酒』
   と言い付けることはできませんでした。


道の中央の排水路から湯気が立ち昇っています。
いい雰囲気です。


 鉄輪温泉も配湯管が張り巡らされており、
 いたるところから湯気が出ています。

鉄輪温泉街の中央を貫く坂道に
「ヤングセンター」という "娯楽の殿堂" があります。
"ヤング" とありますが、
中高年(どちらかといえば高齢者)向けと思われます。

  ※ヤンクセンター公式HP

一遍上人の像


その説明文(クリックすると拡大)


坂の下のほうにあった
共同浴場(外湯)の一つ「地獄原温泉」

  ※100円を入れる箱(賽銭箱)が置いてあります。
    賽銭どろぼう防止と無銭入湯抑止のために(?)
    防犯カメラが設置してあります。

鉄輪温泉街にも共同浴場(外湯)が何ヵ所かあります。

坂を更に上っていくと「足蒸し」がありました。
(ここは無料です)


これも石畳の坂道沿いにある共同浴場「上人湯」

  ※ここの場合は
    近くの店で「入浴札」を買ってから入る
    システムですから、賽銭どろぼう防止のための
    防犯カメラがありません。


 オフシーズン(?)の平日だからなのか
 出歩いている宿泊客の姿は殆どありませんでした。
 居酒屋が2軒開いていましたが
 1軒は客が入ってなく、
 もう一軒は地元の方のたまり場のようでした。
 しかたなく少し足を延ばして、
 スーパーでビールと惣菜を買って帰りました。


翌朝8時に朝食を食べに1階の部屋へ行きました。
私の膳の他に、食べ終わっていた膳が2脚ありました。
その2名は出張者だったようです。




  九州ふっこう割大分宿泊券(5,000円)1枚と
  現金1,150円(入湯税を含む)で
  支払いを済ませました。

   寅さんの定宿よりハイクラスでした。


*** つづきは、明日 ***

◇ スーパーカブでトコトコと ・・・ (別府行_1)

2016年11月29日 20時24分36秒 | ちょっとした出来事?
昨日(28日)の昼前に出発して、
今日の夕方に帰ってきました。

出発前に泥縄で、スーパーカブの
メンテナンスをしてもらいました。

荷物を手に持って
ウチから歩いてバイク屋さんまで行き、
整備が完了したカブにまたがり、
いざ出発。



  ※バイク屋さんから100mほど走ったところで
    撮ったものです。


目的地は泉都「別府」です。

  前にも少し触れたことがありますが、
  別府は私が25歳から28歳にかけての
  独身時代3年間を過ごした町です。
   死ぬ前にもう一度
   懐かしいところ見ておきたかったのです。
   (大げさな表現です)

行きは「やまなみハイウェイ」(日本百名道の一つ)を
通って行くつもりでした。

熊本市中心部から旧国道57号線(現県道337号線)を
東へ進んでいくと、道路とJR豊肥本線の両側に
杉並木が始まりました。

  ※この道は江戸時代に参勤交代で使われた豊後街道です。
   (大津町を通るこのあたりは大津街道とも呼ばれます)
   昔は古色蒼然とした大木が
    もっと密に並んでいたとおもいますが、
    今は歯抜けになっており、
    後から植えられた若い木も交じっています。


  大津町から阿蘇方面へ行く国道57号線は
  熊本地震による大規模土砂崩れなどで
  立野地区あたりで消滅しているので、
  迂回することになります。

大津町を過ぎるところで迂回ルートへ左折しました。
(迂回路は「ミルクロード」という優しい名前です)


 ミルクロードは初めて通る道でしたが、
 原付バイクには危険な道でした。
 片側1車線の狭い道で、
 阿蘇外輪山の上に出るまで上り坂が続きすが、
 喘ぎながら低速で登るスーパーカブの直ぐ横を、
 大型トラックが何台も追い抜いて行きました。

無事に外輪山の上(草原)に出ましたが、
あまりの寒さに震えました。

 快晴になると見越していたのに
 いつの間にか空一面に広がった雲が
 太陽光を遮っています。

九重連山近くの1300mの峠を越えていく
「やまなみハイウェイ」を止めて、
竹田市経由(国道57号線利用)で行くルートに
変更しました。

外輪山を阿蘇谷(阿蘇市)のほうへ下って
国道57号線へ向かいました

経路の直ぐ近くに「阿蘇神社」が
あるので、参拝に寄りました。

阿蘇神社は熊本地震により
重要文化財に指定されている楼門などが崩壊しています。





  防寒用の上下衣を持参していたので着込みましたが、
  手袋は薄手のものだったので手が悴みます。
  阿蘇神社近くにあった「マツモトキヨシ」で
  防寒用を買って2重にはめました。

阿蘇谷を過ぎ、再び外輪山(滝室坂)を登って
57号線を東へひた走りました。


昼食をとるのを忘れていました。
トイレタイムで寄った道の駅に
"ここにしかない" と強調してある
「とうきびもち」というのが売ってありました。
買おうかどうか迷っているとき、
店の人が赤マジックで "¥47" に書きかえたので、
迷いを捨てて1個買って食べました。

  ※添加物無し
    (原材料:もち米、とうきび、小豆、砂糖、塩)

  私好みの
  求肥が入っていない歯応えのある皮と、
  素朴な甘さとホコッとした練り具合の粒餡でした。


昼前に熊本を出発してから約6時間、
大分の市街地を過ぎ、
山の陰ですっかり暗くなった国道10号線
(通称「別大国道」(*))を走りました。

  * : 別府に住んでいたときは
      750ccのバイクで
     海を眺めながら走行車線の中央を
     ユッタリと走りました。
      YAMAHA_XS750_Special<2016.6.25>
      今回は50ccのスーパーカブで
      道の端っこ(車道外側線の内側)を、
      前だけを見ながら必死に走りました。
   

懐かしい別府の灯りが見えてきました。

  ※高崎山を過ぎたあたりの歩道橋の上から


*** つづきは、明日 ***

◇ スーパーカブでトコトコと ・・・

2016年11月28日 10時13分20秒 | ちょっとした出来事?
今から別府方面へ出かけます。
思い立ったのは今朝です。

前々から考えてはいましたが、
日程だけが決まっていなかったのです。
  今日は快晴になるはずです。

思い立ってから
先ほど、近くのバイク屋さんへ
スーパーカブ(*)を持っていきました。

 * : 一昨年の春
    今の仕事(某職業訓練校の寮の管理人)に
    就いたときに、通勤のために購入した
    中古のスーパーカブ50ccです。
    (エンジンがMADE IN JAPANの古いタイプ)

 ・後輪のタイヤ交換
 ・バッテリー交換
 ・オイル交換
 ・前後輪の空気入れ  を頼みました。

まさに泥縄です。

たった今、
『終わりました』との電話がありました。

出発します。

♥ 高齢者の交通事故に関する報道

2016年11月26日 14時03分46秒 | 紫苑色の重い思い[慷慨憂愁]
今朝は「79歳男性運転の車がコンビニに突っ込む」
昨日は「79歳男性運転の軽トラックが高速道路を逆走」

 最近、高齢者運転による自動車事故のニュースが
 毎日のように大きく取り上げられています。

2015年の交通事故に関する数値は
次のようになっています。

 一日平均の交通事故件数 ≒ 1,471件
 一日平均の交通事故死亡者数 ≒ 11人
 一日平均の交通事故重傷者数 ≒ 107人

毎日これだけの数の交通事故が発生している
にもかかわらず
近頃の全国ニュースで取り上げられるのは
高齢者運転による事故が多いようです。
(特化しているようにも感じます)

なぜ高齢者運転の事故が大きく取り上げられるのでしょうか?
「高齢者による交通事故が社会問題化」
「急増している高齢者による事故」などと、
いかにも喫緊の重大課題であるかのように
表現されてるときがあります。

適応判断能力や運動能力の低下など、
確かに高齢者の運転には注意が必要ですが、
メディアが騒いでいるほど
最近悪化してきているのでしょうか?


2004年から2014年までの
年齢層別免許保有者10万人当たり交通事故件数の推移は
次のようになっています。

  ※データ出典元:警察庁交通局
           「平成26年中の交通事故の発生状況」平成27年3月19日


  表


事故件数でみれば、若者のほうが断然多く、
減少率でみても、
  65歳以上は30歳未満よりも大きく(改善されている)、
  75歳以上であっても30歳未満と大差なく、
  もちろん増えてはいません。

「発生件数÷運転時間(または走行距離)」が不明なので、
"運転中における交通事故の起こしやすさ" を比べることは
できませんが、
減少率をみた限りでは、
高齢者は安全運転向上(事故防止)のために
若者以上に頑張っていると言えなくもありません。

  グラフ

  ※高齢者の事故も
    他の世代と同じように順調に(?)減ってきています。
  ※2004年の件数が多い若者のほうが、
    減少率は低くても傾斜が急になっています。

高齢者の交通事故について
メディアが今取り立てて騒がなければならない訳でも
あるのでしょうか?

  高齢者交通事故とは全く関係ありませんが、
  「年金制度改革法案」が衆議院厚生労働委員会で
  強行採決が行われ、可決されました。

   2004年の年金法改正時において
   与党が『100年安心』と胸を張っていた制度です。
   メディアからは咎める声が聞こえてきません。

嫌煙運動に関する報道が多かった頃を思い出しました。
メディアの過熱報道が、喫煙者のことをまるで軽犯罪者でも
あるかのように見る風潮を助長した(?)と思っています。
 その頃は、
 タバコの増税(値上げ)が繰り返されましたが、
 集中砲火を浴びていた喫煙者が反対の声を叫ぶことは
 難しかったことでしょう。

もとより、事故を起こした高齢者を擁護したいのでは
ありませんが、
高齢者の交通事故(負傷者もいないものも含め)ばかり
取り上げられると、
高齢者を厄介者ののように国民に思わせたい、
そして高齢者の発言力を弱めたいという、
印象操作(よく使われる手(?))のような
報道姿勢を感じて、
少し暗い気持ちになってくるのです。

 恐らく、高齢者の負担が多くなる各種施策が
 これから進められていくことでしょう。

 考え過ぎでしょうか?
 私もあと1年あまりで65歳以上に仲間入りします。
  妄想(被害)することが
  多くなってきたのかもしれません ・・・


******


統計をみると、
12月は1年のうちで最も交通事故が多くなる月です。
皆さま安全運転を!

◇ 働きを終えた1本の歯(上顎側切歯)

2016年11月24日 23時29分41秒 | ちょっとした出来事?
一昨日の記事で、
私の歯が1本抜けそうになっていることを
書いていました。

 歯根部の先のほうは
 既に歯槽骨から外れていましたが
 途中の部分が歯肉に少しくっ付いている
 という状態でした。
 痛みを感じずにポロッととれないものかと
 舌先などで動かしたりしましたが、
 無理をすると「アイタタ」となっていました。
 
その歯が、
あっけなく抜けてくれました。

 昨日の宿直勤務で、
 寮の夕食を食べていたときのことです。
 それまでは、その歯に当たらないように
 気を付けて咀嚼していましたが、
 デザート(*)に出ていたカキ(柿)を口に入れたあと、
 不用意にもモロにその歯で噛んでしまったのです。
 "カキッ" ではなく "ガキッ" と鈍い音がしました。
 周りに聞こえる音ではなかったはずですが、
 頭蓋骨内に響き渡るような衝撃を感じました。

 * : 大げさに "デザート" と書ける物でもありません。
    大きくもないプラスチックのおかず皿の隅に
    富有柿(?)の小さい一切れが一個です。


 「やってしまった」と思いました。
 しかし、痛みは一時のことでした。
 恐る恐る舌先で状況を確認しました。
 まだくっついているようでしたが、
 口の中の柿の残骸を舌で整理していたら
 ポロッと外れました。
 慎重に柿と歯を分別して指で取り出しました。

 抜けたあとを舌先で恐々触れてみました。
 血の味はしませんでした。
 少し安心しました。
 抜けた跡を痕を探っていると
 プックリした水疱のようなものに触れました。
 表面は薄い粘膜で中に液体が入っているように
 感じました。
 歯が抜けた後から何かが膨れてきたようです。
 深刻な状況(病気)ではないかと不安になりました。
 指先で確認しても膨れには触れませんでした。
 しかし、舌先でやると確かに存在します。
 何度か繰り返しているうちに判りました。
 残っている歯の間からハミ出る上唇の内側を
 舌で舐めて、水疱と勘違いしていたのです。
 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」でした。
 安心しました。
 (やはり臆病者です)


 抜けた歯は立派(?)な側切歯でした。


【抜けた歯の写真です。拡大(クリック)ご注意】


  ※モノトーンにしています。

  50年以上に亘り
  私のために働いてくれた側切歯です。
  5万回以上の食事と
  2万回以上(?)の間食に携わってくれたはずです。
    平穏の日々だったことと思いますが、
    「切歯扼腕」することなど
      あったのでしょうか ・・・

  お疲れ様でした。

  失われた歯は二度と戻ってきませんが、
  明日からは、遅まきながら
  しっかり歯を磨くようにしたいと思います。