湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 寮の消防訓練で思い出した「大洋デパート火災」のこと

2015年04月24日 09時47分31秒 | ちょっとした出来事?
私が舎監(寮の管理人)として勤めている某職業訓練校で
寮の消防訓練が昨日ありました。

  厨房から出火した(*)との想定で通報訓練・避難訓練を行い、
  寮生全員が避難場所に集まったあと、消火器操作訓練がありました。

     * : 日頃から火の扱いに注意を払われている賄いのおば様は
        この想定出火場所に異議があったかもしれません。 

寮生Aによる消火器操作

     ※炎も上がっていませんので、
       なんだか水遊びでもしているような、やや緊迫感に欠ける後姿です。

  棟が別になった厨房を除き、寮内では火気器具の使用と喫煙が禁止されていますので、
  ルールが守られていることを前提にすれば、
  火元になる可能性があるのは
  電気製品と電気配線、それにペットボトル(太陽光収斂による発火)などになります。


消火器操作訓練の中で指導者の方が言われました。

 『現在の消火器は使い方が全て同じです』
 『ピンを抜いて、ホースを火元に向け、レバーを握る。これだけ』
 『大洋デパート火災の教訓から、仕様が統一されました』


103名が亡くなられた、百貨店火災(**)としては史上最悪の「大洋デパート火災」

     ** : これより多い死者118名の「千日デパート火災」は
        複合施設であったため百貨店火災に分類されていません。

「大洋デパート火災」は1973年11月29日の昼過ぎに発生しました。

各階の窓から吹き出る煙、屋上に逃げて助けを求める人々、懸命の消化・救助活動など
生々しい実況映像が職場にあるTV数台(***)に映っていました。

    *** : 佐賀市内にある職場に勤務していました。
        テレビジョン信号を中継する設備を運用保守するのが私の業務の一つでした。
        ですから職場に複数台設置されているTV受像機で
        東京のキー局が放映する全番組を見ることが出来ました。
        (その当時、佐賀県には民放局が一つしかありませんでしたが)

 私の親兄弟は熊本市内に住んでいました。
 母がよく大洋デパートへ買い物に行ってたので
 もしやと心配になり実家へ電話をかけました。

  全国から安否確認の電話が殺到していたのでしょう
  回線が混雑していて全く繋がりませんでした。

    家族の声を聞くまで仕事が手につかず
    立ったまま職場のTVを見ながら祈る気持ちで消化・救助活動を
    見守っていたという記憶があります。


「大洋デパート火災」を教訓として
「建築基準法」、「消防法」の大幅な改正がなされたそうです。
消火器の操作方法もこの関連で統一化されたのでしょう。

私は火事に遭った経験がありませんので、
その場に遭遇したときどのような心理状態になるのか見当つきませんが、
「大洋デパート火災と避難行動調査」という文書がありましたので
ご参考になればと、その中の一部を引用紹介させていただきます。

  「関西学院大学 研究紀要 第5号 2013.6.30」に掲載された
  「室益輝」さんの調査レポート(?)です。
   
       ※室さんは火災直後で遺体も残っている酸鼻を極める現場に立ち入って
        調査され、多くの罹災者にも直接聞き取りをされたとのことです。  

   ・在館者属性の違いと避難行動

     大洋デパート火災の避難行動では、在館者では来客と従業員の違い、
     従業員では正規とパートの違いが、極めて鮮明になっている。
     来客と従業員の違いでは、覚知直後の行動で、客の多くが直ちに
     避難行動を開始するのに対して、従業員は人に知らせる、燃えて
     いる場所を確かめに行く、荷物を取りに行くといった行動を優先
     している。
     最初に逃げる方向については、客はもと来た方向に戻ろうとするのに、
     従業員は日常時に使用している階段へ向かおうとする傾向がある。
     正規とパートの違いでは、避難経路の選択に関して、正規は別館
     への渡り廊下など安全性の高い経路を選択しているが、パートは
     煙に汚染された階段など危険性の高い階段を選択する傾向がみら
     れた。
     空間を熟知した従業員とそうでないパートとの「安全格差」が示
     されたと、見ることができる。
     避難途中の心理状態についても述べておこう。
     ほとんどの人が逃げている途中で頭に血がのぼる思いがし、
     何がなんだか分からなくなる状態を経験している。この状態の契機
     となるのが、息苦しくなるといった生理的圧迫と、何処に逃げてよい
     かわからなくなるという心理的圧迫である。従業員には前者が、
     客には後者が多いことが分かった。

   ・不適応行動の発生と逃げ遅れ

     千日デパート火災ではコンクリートの壁を壊そうとして叩くといった
     不適応行動がみられたが、大洋デパート火災でも不適応行動が少なからず
     発生している。
     その一つは、逃げようとせずレジの現金の帳尻をあわし、それを袋に
     つめるという行動をしている従業員がいる。職務に忠実なあまり、
     みずからの避難を遅らせ、命取りになりかねないような行動が行われ
     ている。
     他の一つは、階段がなく避難の可能性がない窓際に、多数の人が殺到
     して死亡していたところがある。そこでは、窓から光が差し込んでおり、
     その光の漏れが外部に避難できるという錯覚を生んだもの、と考えられる。
     その他にも、フロアーを当てもなく走り回って体力を消耗する、
     エレベータが危険であるにもかかわらず殺到する、燃えてもいないのに
     煙に向かって消火器を向ける、といった不適切な行動が少なからずみられた。
     これらの不適応行動を確認するにつけ、避難における行動心理学的アプローチ
     の必要性を痛感した次第である。

                   -以上が調査レポート引用部分-

寮の消防訓練は年1回実施されます。
昨日の訓練は慌ただしく始まり、慌ただしく過ぎて終わりました。

訓練手順に沿って実施されたので、問題となるような行動はありませんでした。
しかし、実際の火事では予定時刻に予定場所から出火してくれるということはありません。

   状況に応じた臨機応変で迅速・適切な行動(対応)がとれるよう、
   日頃から色んなケースを想定した頭中演習をしておく必要があると思いました。

◇ 「印象派のふるさと」を見てきました

2015年04月23日 23時49分47秒 | ちょっとした出来事?
昨日、私が加入している公民館描画サークルの先生が開催された
【傘寿記念 福田眞展】へ行きましたが

ついでに(といっては巨匠の皆さんに失礼ですが)
熊本県立美術館本館で開催されている
【印象派のふるさと ノルマンディー展】にも行ってきました。

      ※つまり、印象派のふるさとを”絵画を通して”見てきたという訳です。 

  同展には「コロー」、「クールベ」、「ブーダン」、「モネ」、「デュフィ」さんらの作品
  100点近く(写真を除いて)が展示されていました。
  熊本でこのような規模の西洋絵画展は滅多にないものと思います。

    福田先生の個展が開催されている分館から本館までは800mほどです。
    分館で1,000円の前売り券(当日券1,300円)を買ってから4名で行きました。
    普通は歩いて10分余りのところですが、20分以上掛かったかもしれません。
         ※私を除く3名は、平均年齢80代の穏やかな方ばかりですから。


熊本県立美術館本館は広々した熊本城二の丸広場の外れの
木立の中にあります。

二の丸公園に入って本館へと続く道

    ※この木立の下を手をつないで歩き、美術館の絵をみてから喫茶し、
      二の丸公園の芝の上で膝枕するのは
       少し気取り過ぎの、羨ましがられるデートになると思います。


二の丸公園

    ※画面に写っていない左側の端に美術館本館があります。
     画面に写ってない右側方向に熊本城天守閣などがあります。

  熊本県立美術館は木々の緑に囲まれてひっそりと佇んでいます。
  喫茶室のテラスにいると、二の丸公園で遊ぶ子供たちの声が、
  心地よい喧騒として遠くから時々聞こえてきます。  


ノルマンディ展に掛かっていたモネさんの絵です。

    ・タイトル:トゥルーヴィルの海岸にて
    ・画家:クロード・モネ
    ・制作年:1870年
    ・収蔵:マルモッタン=モネ美術館
         ※この絵の左の人物は愛妻(*)カミーユさんと云われています。
         ※この画像はウェブサイトにあったものです

           * : 制作年と同じ1870年にカミーユさんと正式に結婚されていますので、
              この絵を描かれたのは結婚前かもしれませんが、既に子供もいらしたので
              実質的には愛妻と呼んでいいでしょう。 

この絵以外のブーダンさんの絵が何点か掛かっていました。

    ・タイトル:浜辺の風景
    ・画家:ウジェーヌ・ブーダン
    ・製作年:1862年
    ・収蔵:ワシントン・ナショナル・ギャラリー
         ※外光派のブーダンさんはモネさんに屋外で描くことを勧められたそうです。
         ※この画像はウェブサイトにあったものです


ノルマンディーの海岸はパリから気軽に行ける避暑地・保養地・別荘地として、
19世紀になってから開発されたそうです。
当時パリから”気軽に”避暑に行けたのは上流階級の人達でしょうから、
上の2枚に描かれている女性はレディということになります。

  ブーダンさんの絵にある白い四角い物は可搬型更衣室のようです。

印象派の画家さんたちもモデルとなるブルジョアのレディを求めて
リゾートになったノルマンディーへ行かれたようです。

  パリとノルマンディー海岸の関係は
   日本で言えば、東京と湘南海岸のようなものでしょうか。
   (こちらのほうが、距離は近いですが)

    私が2年前まで住んでいた海岸沿いの藤沢市辻堂地区も
    明治の頃に別荘地として開発されたそうです。

    今はサーファーのメッカのようになった辻堂海岸の砂浜にも
    昔はあのような可搬型更衣室が出没していたのでしょうか。
        
     パジャマのような水着を着た淑女が水遊びをする
     今と比べればのどかで、当時としては華やいだ海水浴風景を想像します。


【印象派のふるさと ノルマンディー展】は6月21日(日)までです。

♡ 福田先生 傘寿記念の個展開催おめでとうございます

2015年04月22日 23時38分31秒 | 瓶覗色の思い[歓喜悦慶]
今日(4月22日)は公民館絵画サークルの例会でした。

  前回(今年度1回目)は仕事の都合で参加していません。

いつもであれば公民館の会議室であるのですが
今日は熊本県立美術館分館(**)へ出かけました。


『福田眞先生 傘寿記念の個展開催おめでとうございます』

講師の福田先生が同美術館で
個展【傘寿記念 福田眞展】を開かれているので、その鑑賞です。


展示されていた中の3点です。

   ※福田先生のお許しを得て
    会場のものを私のスナップ写真用デジカメで撮って掲載しています。
    色彩が実物のとおりでありませんし歪みもあります。

◇タイトル:作品'09  

            ・画家:福田 眞
            ・制作年:2009年
               ※著作権・所有権は福田眞さんにあります。


◇タイトル:作品B

            ・画家:福田 眞
            ・制作年:2005年
               ※著作権・所有権は福田眞さんにあります。


◇タイトル:作品A  

            ・画家:福田 眞
            ・制作年:1974年
               ※著作権・所有権は福田眞さんにあります。


福田眞先生は「新象作家協会」の会員です。


     新象作家協会のWebサイトに
     新象展のスローガン(↓)が載せてありました。
  
      新象展は、新しい自由な芸術活動を理想とし、最も大胆な実験・研究の成果を
      発表する場として公募展です。
      マンネリ化を排し、既成概念や自己規制にとらわれる事なく、柔軟性のある探究心
      によって、この実現へ緊張を持ち続けたいと願っています。
                                        ※原文のまま


【傘寿記念 福田眞展】は
4月26日まで熊本県立美術館分館4階で開催されています。

  F100号などの大作も多く展示されています。
  このような作品を抽象絵画というのだと思いますが(新象絵画というべき(?))
  馴染みの薄い方も是非ご覧になってください。
             (入場無料です)

♥ 008 4月21日は「民放の日」

2015年04月21日 14時09分18秒 | 紫苑色の重い思い[慷慨憂愁]
今日(4月21日)は「民放の日」となっています。

◆「一般社団法人日本民間放送連盟」さんのWebサイトには
  「民放の日」について次のような説明文が掲載されています。

       「民放の日」は、ラジオ16社に民放初の予備免許が与えられた1951年4月21日を記念したものです。
       (中略)
       第2次世界大戦後、電波の民間開放が進められ、1950年に電波法、放送法、電波監理委員会設置法の
       いわゆる電波三法が施行されました。
       同年、NHKは国の出資を受けず受信料制度によって放送を行う特殊法人として新発足しました。
       51年の民放開局以降、全国に向け公共放送を行う日本放送協会(NHK)と、
       広告活動などの営利活動によって事業を図る民間放送の併存体制がスタートしました。

       1951年、日本初の予備免許を受けたラジオ16社が集まり、
       日本民間放送連盟(民放連)を創立しました。
       (中略)
       全国206社の会員が一丸となって、よりよい放送をめざして活動しています。


◆”よりよい放送”を目指されている「日本民間放送連盟」さんの同サイトには

   独自に作られた「緊急事態における放送に関する指針」が掲載され、
   民間放送各社が「武力攻撃事態法(*)」の中でいう指定公共機関にならないよう
   政府に出された要望書も掲載されています。

      * : 「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」
                              [2003年6月13日 法律第79号]    
         「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」
                              [2004年6月18日 法律第112号]

    「日本民間放送連盟」さんが2003年11月21日に政府に提出された要望文書の内容

      政府は、武力攻撃事態法による指定公共機関に民間放送を指定する方針を示しておりますが、
      当連盟では再三表明しているとおり、民間放送が指定公共機関となることについて、報道の自由を
      確保する観点から大きな懸念をいだいております。
      当連盟に加盟の全ての民間放送は指定公共機関に指定されなくても、別紙の自律的な指針に則り、
      緊急事態において被害の発生と拡大の防止に資する放送をすることは当然と認識しております。
      したがって、国民保護法制の中で民間放送が指定公共機関とならないような制度設計を行っていた
      だきますよう、強く要望いたします。

       要望書の中で言われている自律的指針(緊急事態における放送に関する指針)

        民間放送は、「日本民間放送連盟 放送基準」および「日本民間放送連盟 報道指針」の
        精神に則り、外部からの武力攻撃により市民の平穏な生活が脅かされる緊急事態においては、
        以下の指針にもとづき取材・報道を行う。

       1.市民の生命・財産にかかわる緊急情報は、正確かつ迅速に報道する。
           その目的とするものは、被害の発生と拡大の防止にある。
       2.緊急事態にあっては政府に対し最大限の情報開示を求めるとともに、
           多角的かつ客観的な取材・報道に最善の努力を傾ける。
       3.報道機関として、いかなる緊急事態にあっても市民の基本的人権および
           知る権利を守り、自由で自律的な取材・報道活動を貫く。

 民放連からの強い要望(?)にも関わらず政令で定められた指定公共機関の中に主な民間放送各社が入っています。
 意見要望を提出されたことについてはWebサイトに載せてありますが、
 意見要望が叶わなかったその後の民放連の対応については何も載っていないようです。

   『私たちは言論の自由のために抵抗したんですよ』というアリバイ作りのための
    アドバルーンだったと見られても仕方がないのかもしれません。

◆同サイトには「青少年に見てもらいたい番組一覧」も掲載されていました。

   同サイトにある説明によると
   「青少年に見てもらいたい番組」とは、『青少年向けの放送番組の充実』として掲げた
   「青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組を各放送事業者は少なくとも
   週3時間放送する」との申し合わせに基づき、1999年10月改編時から各社が
   独自に実施しているものです。
                        とのことです。

   ちなみに「青少年に見てもらいたい番組」(2014年秋)の例を挙げますと

   「フジテレビジョン」さんでは   
      ・VS嵐
      ・もしもツアーズ
      ・ボクらの時代
      ・ワンピース
      ・ちびまる子ちゃん
      ・サザエさん     ※計6番組 約3時間半
     
     これが「(将来の日本を背負っていく)青少年(**)に見てもらいたい」として厳選された
     自慢の番組のようです。

       ** : ”児童”の間違いではなく”青少年”です。
          文部科学省さんでは一般的に”30歳未満まで”の若者を”青少年”とみられているようです。
          つまり、上記6番組は
          「知識や理解力を高め、情操を豊かにするために30歳までの若者に是非見てほしい番組」
          とも解釈できます。 ┐(´~`;)┌ 
               『冗談です』という断り書きは見当たりませんでした。


「政府に睨まれないように報道番組では事前に打合せを行う」や
「政党からの呼び出しにノコノコとでかける」などといった話を聞くと、
発足当時の崇高な理念(看板だけ(?))からかけ離れてしまったように思えるのですが ・・・

今日は民間放送に関わる方々にとってはお目出度い記念日かもしれませんが
記事内容から「紫苑色の重い思い」にジャンル分けするのが適当と判断しました。
悪しからず。

♡ 「牛深ハイヤ祭り」を見に行ってきました(2/2)

2015年04月20日 13時42分33秒 | 瓶覗色の思い[歓喜悦慶]
(前日の記事からの続きです)

ハイヤ総踊りには県内はもとより県外からの参加もあります。

遠く沖縄から参加された「エイサー」のグループです。

       ※昨年の沖縄旅行で初めて直に見た「エイサー」
        「エイサー」はダイナミックでエネルギッシュで、見ているだけで元気が出てきます。

熊本市内から「ひょとこ踊り愛好会」が参加されていました。
皆さん高齢の方のようで、もしかしたら平均年齢80歳を越えていたかもしれません。

    独特の腰つきの踊りで、
    本当によろけているのか踊っているのか判らないところが観衆の笑いを誘っていました。
    (褒め言葉です)

それより平均年齢が50歳以上(?)若い地元「熊本県立牛深高等学校」の女性陣です。

     ※乙女心なのか、恥じらいを含んだような顔も見られます。

多国籍”群”です。



   踊っている方の笑顔を見ていると
   やはり祭りは参加するほうが楽しいようです。


絶対お土産に買って帰ろうと決めていた「こっぱ餅」(*)を「牛深うみの駅」で買って、
牛深をあとにしました。

       * : 「こっぱ餅は」天草地方の伝統菓子です。
          私が買ったのは製造者が「宝餅本舗」となっていました。
          「こっぱ餅」についての詳しいことは同社webサイトをご覧ください。

せっかく此処まで来たのだからと、ユネスコ世界文化遺産への推薦が決まった「崎津教会(天主堂)」と
「大江教会(天主堂)」に寄って帰ることにしました。

「崎津教会」は羊角湾の入り江にある漁村「崎津集落」の中に建っています。

       ※世界文化遺産への推薦が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連資産」のリストには
        「崎津教会」という建造物ではなく「崎津集落」という地域として入っているそうです。
        なお、「大江教会(天主堂)」は残念ながらリストに含まれていません。

崎津集落を望む

       ※中央左側に「崎津教会」の尖塔が小さく見えています。
       ※私のスナップ用デジカメと技量で撮れるのはこの程度までです。

大聖堂(カテドラル)とは違った可愛らしい「崎津教会」です

       ※ゴシック様式の現在の建物は昭和9年に完成したものです。

由来記です


現在の「崎津教会」を建てられた「ハルブ神父」の碑です


   崎津教会は、一般の人も教会堂の中に入ることができます。
   入口ドア横に献金入れ(観光客等への協力のお願い)がありました。
   私が入れたほんの気持ちだけの100円玉は”チャリーン”と明瞭な音を発しました。

     私達のあとから多くの観光客が入ってきましたが
     静寂の教会の中で”チャリーン”という音は一つも聞こえてきませんでした。

教会堂の中は真新しい畳が敷き詰められていました。

 そういえば、だいぶん前のTVニュースですが
 畳職人さんたちがボランティアで集まって「崎津教会」の畳替えをされている映像を
 見た覚えがあります。

 「寺の畳替えの経験はあるが教会の畳替えは初めて」という方が多かったことでしょう。
 必ずしもキリスト教信者ではなかったと思います。
 その善行を思い出し、一神教でなく八百万の神を信じる日本人の寛仁な一面を垣間見たようで、
 何かホットしたような暖かい気持ちになりました。
   
「崎津教会」をでたあと
集落の狭い路地にある民家の軒下にネコがいました。


ジッとして動かなかったので
『眠っているようだね』
『いや、寝ているフリをしてるんじゃない』などと言いながらカメラを近づけると

『なんか用か?』みたいに、ジロッと睨まれました。


   ネコを飼ったことがなく、特別ネコ好きということでもありませんが
   チョイ悪そうに見えるこのネコは、
   細面のイケメンではないのでしょうか(雌猫かもしれませんが)。


「大江教会」です

      ※ロマネスク様式の教会は、昭和8年に完成したものです。

瓦屋と板塀の家屋が並ぶダークトーンの集落の中にあるゴシック様式の「崎津教会」
緑に囲まれたなだらかな丘の上に建っているロマネスク様式の「大江教会」
どちらも洋風の建物ですが、周囲の景観に溶け込んだ落ち着いた佇まいを見せています。

同じ頃にこの二つの教会の建築を手がけた建築家・棟梁は
長崎県五島列島出身の「鉄川与助(テツカワ ヨスケ)」→Wikipediaという人です。
Wikipediaにこの人について詳しく載っていますが、
ゴシックとロマネスクを使い分ける素晴らしい美的感覚も持っておられたようです。

鉄川さんが建てられた教会のなかには、有形文化財に指定されたものが数多くあります。
80歳のとき(1959年)に、原爆で破壊された「浦上天主堂(ウラカミテンシュドウ)」→Wikipediaを再建され、
97歳で長寿を全うされています。

  外国人神父の教えを受けながら教会建築に多大な貢献をされた方ですが、
  生涯「仏教徒」であったということに、何かしら味わいのある人間ドラマを想像します。