湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

♥ 熊本地震_6 (プラザ図書館と北岡自然公園)

2016年05月31日 23時47分41秒 | 紫苑色の重い思い[慷慨憂愁]
弁償する本「キリング・フロアー(上・下)」(*)を
「プラザ図書館」へ持っていきました。

   * : なぜ弁償するのかについては
      昨日の拙ブログ記事をご覧ください。

  「プラザ図書館」は新しいビルですが
  熊本地震により大きなダメージを受けました。
  揺れが直接作用したことでの被害ではなく、
  水漏れによる蔵書等の損傷です。

  ビルの3階と4階が図書館のフロアーになっていますが、
  5階のスプリンクラー設備が地震により誤動作(?)し、
  大量の水が噴出したそうです。
  そしてその水が下の4階へ漏れて、本を濡らしたとのことです。
  3階までにも流れてきて
  天井やフロアカーペットに染みを作っていました。

  今日もまだ3階の1部と4階は立ち入り禁止となっていました。
  修復できない蔵書も多いと思われ、
  以前の図書館の姿に戻るのは
  いつの事になるかわかりません。

   私がこれまで借りていた本の殆どは4階の書架にあったものです。
   「プラザ図書館」には頻繁に通っていましたが、
   当分の間は家から遠い本館を利用することになりそうです。

  「プラザ図書館」が入っている「くまもと森都心プラザ」は
  熊本駅前の新たな賑わいと活力を創造するための「情報交流拠点」
  という役割りを持っています。
  図書館の下の2階には観光客を迎える「観光郷土情報センター」が
  ありますが、現在は避難所として使われており、
  避難者のための布団が敷かれています。
  もちろん、来訪される観光客の姿はありません。


「プラザ図書館」からの自転車での帰り途に
痛ましい姿に変わってしまった「北岡自然公園」を撮りました。

    肥後藩主細川家の菩提寺「妙解寺」があったところで、
    現在はここは国指定史跡になっています。
    肥後細川藩初代藩主「細川忠利夫妻」をはじめ
    肥後歴代藩主、子女の廟があり、
    また、「細川忠利」の殉死者の墓や
    「阿部一族」(森鴎外)の主人公「阿部弥一右衛門」の墓もあります。
    JR熊本駅から数百メートルのところにありますが、
    自然形の木々に囲まれてひっそりと佇んでいます。

  公園の入り口です。
  (バラバラになった石橋の欄干)


   同じ場所ですが、昨年暮れに撮ったものです。
   

  長い土塀の屋根瓦が崩れ落ちています。


  倒れてしまった殉死者(?)の墓標



 熊本地震の回数(震度1以上)が1ヵ月半で1600回を越えたそうです。
 平均的な人が一生のうちに経験するであろう数の何倍になるのでしょうか?

◇ 読んだことがある文庫本を3冊買いました

2016年05月30日 12時22分10秒 | 日常・その他
今、手垢がついてない真新しい文庫本が手元に3冊あります。

 amazon さんへ発注して、
 一昨日(28日)最寄のローソンさんで受け取ったものです。

  ・キリング・フロアー(上)
  ・キリング・フロアー(下)
  ・北壁の死闘

どんなジャンルの小説なのかは
次の画像(カバーと奥付など)でご想像下さい。

  どちらも「日本冒険小説協会大賞(海外部門)」を
  受賞しているので、読まれた方も多いかと ・・・

キリング・フロアー




北壁の死闘






   ここで本題とは全く関係ないクイズを一つ

    上の画像の中で、
    「北壁の死闘」の本の下敷きになって隠れている女性は
    誰でしょう?
     (ノベルティで貰ったこのアクリルホルダーを気に入ってます)

                 答えは末尾に


今回買った本は、3冊とも既に読んだことがある小説です。

  「キリング・フロアー」のほうは
  今月、熊本市立図書館(*)から借りて読み終えたばかりです。

   * : 行きつけの「プラザ図書館」が熊本地震により
      大きな被害を受けましたので、「本館」のほうで借りました。

  「北壁の死闘」は遥か昔に文庫本を買って読みました。
  何度か読み返しました。


既に読んだことがある小説を、何故また購入したのか ・・・


◆「キリング・フロアー」については
 次の画像の中に答があります。
  

 書類のタイトルが
 「資料紛失・破損等(被害)資料の弁償について」となっています。
 図書館へ弁償するために買ったものです。

  *** この書類を受け取るに至るまでの経緯 ***

   自転車でころんだ日、治療のために外科クリニックに寄りました。
   (拙ブログ記事「自転車でころんだ日の跡の ささくれ」をご参照)
   焦っていた私は自転車の前カゴに
   布バッグを剥きだしで入れたままして治療を受けました。
   自転車は屋根のないところで長い時間雨に打たれました。
   家に帰ってバッグを開けると、
   ジットリ濡れた文庫本が2冊でてきました。
     それが借りていた「キリング・フロアー」です。

   試しにアイロンをかけてみました。
   修復できそうになかったので自然乾燥させました。

   ゴワゴワになった本をページを引き剥がしながら読了して、
   図書館へ返しに行きました。

    私『雨に濡らして汚損させてしまいましたので償います』
    図書館担当者『もう古くなっていた本ですし、気にされなくていいですよ』
    私『でも、こんなになってしまった本を借りたいと思う人はいないはずですが』

    図書館担当者『しばらくお待ちください。責任者に確認してきます』

           - 約5分経過してから -
    図書館担当者『申し訳ありません。弁償していただくことになりました』

   そして、上の書類を受け取りました。

    図書館担当者『大変お待たせして申し訳ありませんでした』
          『この本(汚損した本)は持ち帰られますか?』
    私『結構です。お手数を掛けますが処分していただけませんか』

                                 ・・・・・・

      ※図書を汚損した上にお手間を取らせてしまった私のほうが
        謝らなければならないのに、
        図書館の方は終始恐縮された様子でした。


◆「北壁の死闘」については、
 久しぶりに読みたくなったからです。

 熊本地震で、
 激烈な自然の破壊力と
 か弱い人間の優しさを目の当たりにしたからかもしれません。

  ※この本が好きなことは
   以前拙ブログに書いたことがあります。
   お墓に入られる前に「北壁の死闘」をお読みください <2015.2.10>0 
     貸したこの本が戻ってくることを "期待したくない" ので
     新たに購入しました。

 私は「文学」についての教養はありません。
 一読者として感動できれば、それでいいのです。

   「北壁の死闘」は多くの人にとっては
   「スリリングな冒険小説の一つ」に過ぎないかもしれません。
     しかし私は何故か、
     この小説を読むと
     明日からの日々が文字どおり "今日よりも明るい日" になっていく、
     そんな気がしてくるのです。
      

--------------
クイズの答え:相武紗季さん

◇ 熊本地震_5 (送らなかった差し入れ品)

2016年05月29日 23時09分27秒 | 日常・その他
私の子の一人は某組織(*)の一員として
熊本から1000km以上離れたところに住んでいますが、
今回の熊本地震災害救援活動のために熊本にやってきました。
  
    * : "某" といってもいかがわしい団体ではなく、
       もちろん非合法組織でもありません。

熊本には来ましたが、
私達と一度も顔を合わせることがありませんでした。
救援活動の対象地域が私達家族の住むまちではなく、
より悲惨な状況になっているところだったからです。


このダンボール箱は
救援活動に励む子(と仲間)へ差し入れをしようと思って(**)
荷造りしていたものです。

  ※ダンボールの中には
    チョコレート,ボンタン飴,兵六餅,キャラメル,
    缶詰類(豚の角煮、やきとり、さば味噌煮),
    野菜ジュース,クッキー,
    ローヤルゼリー(これを買うには諭吉さんが必要でした),
    そして息子への手紙 ,etc.

   ** :「被災地域での飲食については
       避難された方々が最優先になるので
       救援者側は満足な食事を摂ることができない」
       という噂話をどこかで聞いたことがあります。
       心配性の親心からでたことです。
       近くのスーパーに品物が揃い始めた頃準備しました。


宅配業者さんへ集荷依頼の電話をしたあと、
ふと考えました。
程度の差はありますが一応私達家族も熊本地震の被災者になります。
「被災者から救援者へ差し入れ品を送る」というのも変な行為です。

思い直して再び宅配業者さんへ電話をしました。
『集荷依頼をキャンセルします』


 ということで、
 せっかく荷造りした差し入れ品と手紙でしたが、
 ウチに残ることになったという次第です。

   息子も私たち家族のことが気懸かりだったことでしょうが、
   会わないまま1000km以上の道を戻っていきました。

     先日この箱から「やきとり」の缶を一つ出して、
     第3のビールを一人で飲みながら摘みました。


------ 家庭菜園の花 ------


  ※5月2日に撮ったものです。
    この頃はまだ、
    兄の家(家庭菜園の近く)で避難者生活をしていました。

芍薬(シャクヤク)


菖蒲(アヤメ)

  ※菖蒲(ショウブ)や杜若(カキツバタ)
    との違いをご存知ですか?

定家蔓(テイカカズラ) ※だと思います。

  ※ジャスミンのような芳香がします。

◇ 熊本地震_4 (壊れた第三世代携帯電話)

2016年05月28日 21時38分44秒 | 日常・その他
平成熊本地震の本震が襲った4月16日、
私が寝ていた布団の近くにあった整理ダンスが
跳ね上がって倒れました。

夜が明けてから判ったことですが、
私の携帯電話「P-04A」がその箪笥の下敷きになっていました。

箪笥を起こして助け出しました。
液晶画面があるほうが少し折れ曲がっていました。
液晶表示部がワンプッシュではスムーズに開かなくなりました。
(人間でいえば打撲と捻挫といったところでしょうか ・・・)



機能的には問題がないようだったので
そのまま使っていましたが、
日に日に液晶が乱れてきました。
 ※上の画像にあるように、
   液晶画面(親指から上の部分)の下半分が
   真っ黒になってしまいました。

発着信通話には特に支障ありませんが、
メールメッセージを読むことや各種設定が困難になったので
機器を交換することにしました。



新たに使うことになったのは新しくない「P900i」です。
(左が「P900i」、右が壊れた「P-04A」)

   ※「P900i」は2004年発売開始の端末です。
     昔の携帯電話はデカイ顔をしています。
     ポケットに入れると、かさ張って存在を主張します。

今回壊れた「P-04A」は3男からのお上がり品でした。
この「P900i」もお古ですが、
兄がごく短期間使っていたのをもらい、
予備機としてとっておいたものなので新品同様です。

 「P900i」はドコモさんの第三世代サービス(FOMA)の
  始めの頃の機種です。
  ちなみに、OSは "ITRON" です。

   4年後の第五世代が始まるころには
   ヴィンテージ端末(?)としての価値が
   でていないものでしょうか?

◇ 自転車でころんだ日の跡の ささくれ

2016年05月27日 13時17分22秒 | ちょっとした出来事?
    【閲覧注意:傷口の写真があります】

10日ほど前のことになります。

宿明け勤務を終えて、
小雨が降る中を自転車に乗って家路を急いでいました。

明治期の古い家屋が多く残っている城下町を通っていました。
  ※熊本地震によって傾いた店舗や寺などが多くあります。
    赤紙(応急危険度判定が「危険」)が貼られています。
   
米屋町から電車通りを横切って魚屋町にさしかかったとき、
俄かに沸き起こった向かい風に
帽子(キャップ)が飛ばされそうになりました。

他に車も走っていなかったの慌てる必要はなかったのですが、
私はあろうことか "両手" をハンドルから放して
頭に持っていったのです。

前カゴに重いバッグを入れていた自転車は
たちまちバランスが崩れて転倒途中の状態に移行しました。

このような状態になったら、もう立て直すことは困難で、
地球との衝突を覚悟しました。
そして、無様な格好を晒すことになりました。
(自転車で転んだのは悪童の頃以来だと思います)

 幸いなことに、
 晒した姿を見ている人はいないようでした。
    帽子は後方に飛ばされて雨に打たれていました。


左手の小指、薬指、中指、手のひら、
そして左ひじを負傷してしまいました。

  雨に濡れたアスファルトが
  私のデリケートな皮膚を削り取ったのです。

小指の第2関節付近の傷が少し深そうで、
出血が止まり難かったので、
臆病な私は近くの外科に寄って治療してもらいました。

  何度か通院したあとに撮った傷口です。(閲覧注意)
  
    ※生々しくならないよう
      モノトーンの粗目に加工しています。


 なぜ生きていくのかを
 考え迷いながら乗っていた訳ではありません。
 
 夢追いかけ走っていてころんだ訳ではありません。

  昼飯には何を食べようかと
  ボンヤリ考えながら自転車に乗っていただけです。

   傷は未だ完治しておらず、ササクレたままです。


    ※「中島みゆき」さんの「糸」を聴きながら書きました。