湯原修一の歓喜悦慶と聊かの慷慨憂愁, etc.

いつとはなしに眠りにおち微風を禿頭に感じて目が覚める。
このような生活に変わったらブログが更新されないかもしれません。

◇ 長く待つのが苦手な私

2016年01月31日 23時23分13秒 | ちょっとした出来事?
急遽思い立って、昼過ぎに携帯電話ショップへ出かけました。
 ガラパゴス携帯からスマートフォンに替えようと ・・・

永年利用者への特典(実質機器代0円)と
クーポン券が付いていたDMが届いていたのを思いだしたからです。

 特典は1月31日が期限になっていました。
  たぶん総務省さんのご意向を踏まえてのことなのでしょう。
  

  先月の拙ブログ記事
  (まだまだお世話になるつもりの古い携帯電話_2015.12.5)では
  今のところスマートフォンなどに替える予定はなく、
  その理由として次のように書いていました。

   最大の理由 ・・・ 端末及び使用料が高い
   建て前の理由 ・・・ 端末を持つとドップリそれに浸りそうで
            他のことをしなくなる恐れがある。
            (意志薄弱なので現実逃避に使うことになる)

この日の私のこの行動は、
「建て前は経済的事情により簡単に崩れることもある」ということを表しています。 

最終日なのでさぞかし混んでいるのではと思いながら店に入りました。
「現在180分待ち」と書いたものが貼ってありました。

行列に並んでまでは食べなくてよいという性格の私は、
店員さんと二言三言交わして、店を後にしました。

系列の別のショップへ向かいましたが、
途中に美術館分館があるので寄っていくことにしました。

滅多に通らない道ですが、近道になるので
自転車を押して急坂を登りました。

  ※西方寺坂(サイホウジザカ)と名付けられています。
    石標に刻まれた文章
     西方寺坂はもともと竹やぶに覆われた狭い急坂。
     鉄砲組衆が守りを固めた。また、西方寺は、
     清正公(*)の誓願寺である。
     坂の下方の左に射馬があった。
     
      * : 加藤清正さんのことです。

熊本城は
かつては茶臼山(チャウスヤマ)と呼ばれた丘陵地に築かれており、
周囲には多くの坂道・階段があります。

これもその一つの「錦坂(ニシキザカ)」

  ※明治の頃、この下を坪井川が流れており 
    坪井川の舟客が錦山の神社に登るために造られた坂なので
    「錦坂」の名付けられたそうです。
    近くにあった遊郭の客も利用していたそうで ・・・

二つの坂はこの辺りになります。

  ※「西方寺坂」は、地図上方にある「西方寺」の直ぐ下から左へ続く道です。
  ※「錦坂」は、地図の中心点マーカのところです。


県立美術館別館では
熊本県立大津高等学校美術コースの卒業展が開催されていました。

卒業生の作品が展示された部屋では
先生と生徒による発表会(?)があっていました。
次の作品は別の部屋で展示されていた
主に1年生、2年生の方々のものです。

  ※主催者さんの許可を得て作品の一部を掲載しています。
   主催者さんのご意向により作者名を割愛しています。
  ※1万円デジカメで撮っていますので、
   色が実物どおりではありません。

■タイトル:異物

  ※第40回熊本県高等学校美術展 優秀賞

■タイトル:おはよう、春。


■タイトル:藍色の夢


■タイトル:静物


■タイトル:朱に交われば赤くなる

  ※第40回熊本県高等学校美術展 優秀賞

■タイトル:サミシイウサギ

  ※パネルで反射した物が映り込んでいます。(スミマセン)
  ※『 I live on my parent's pensions
         私は親の年金で暮らしています』と
    いじらしい文字(?)が描かれています。


美術館を出てから
サンロード新市街にあるショップへ行きました。
最初の店と同じ文句「現在180分待ち」が掲げてありました。

  もしかしたら、この携帯電話会社のショップでは
  1月下旬に集中混雑することを見越し、
  常套句を印刷したものを各店舗へ配っていたのでしょうか?

   ちゃんと印鑑も持参していましたが、
   長い時間待つのが苦手な私は、なにもしないで帰りました。  

♥ 遠い昔の1月30日に眠らされた方々

2016年01月30日 13時59分31秒 | 紫苑色の重い思い[慷慨憂愁]
●今から367年前の1649年1月30日
  イングランド、スコットランド、アイルランドの王であった
  「チャールズ1世」さんが内乱(ピューリタン革命)に敗れて
  断頭台の露と消えています。

●それから12年後、王政復古なったあとの1661年1月30日
  ピューリタン革命を主導し(?)「チャールズ1世」を処刑した
  「オリバー・クロムウェル」さんが処刑されています(*)。

  * : このときクロムウェルさんは既に亡くなられており
     土の中でしたので、その墓が暴かれ、
     "遺体" が絞首刑にされ、そのあと斬首されたそうです。
     そして、その首は4半世紀の間、屋根の上に晒されたそうです。
     (アナオソロシヤ。日本人の感覚では理解し難い意趣返しです)
     ちなみに、当時の死刑の方法としては、
     平民は「絞首刑」、貴族は「斬首」が一般的であったそうです。

  ※クロムウェルさんの場合は、正しくは "眠らされた" ではなく
    "眠っていたところを起こされた" ということになるかもしれません。



●明治が始まる1年前の1867年1月30日
 日本で最も高貴な方が暗殺(毒殺)されています(注)。
 「孝○天○」です。

 (注) ここでは "暗殺(毒殺)されています" と書きましたが、
     これはあくまで死亡原因としてある諸説の中の一つです。
     一説では、攘夷主義者であった「孝○○皇」が邪魔なので、
     "奸計王" とも呼ばれた(?)「岩倉○視」さんらの謀略に
     よって毒殺されたと云われています。
     現在の通説では「原口清」さんの論文にある「紫斑性痘瘡」が
     死因となっているようですが ・・・

  ※「そんなイイカゲンな話しは初めて聞いた」という方の中で
    少ーし興味をもたれた方は "孝○天○暗殺" や "明○○皇すり替え"
    でWeb検索してみてください。
    様々な陰謀論(一般には、そう呼ばれている)がでてくると思います。


      ※ "○" の部分は正しい字に置き換えてください。

◇ 離糖(甘いものを控える)の開始時期の延期について

2016年01月29日 21時38分36秒 | 日常・その他
私は先日の拙ブログで次のように書いていました。

2016年01月25日の記事の中で

  12月17日より始めた私の離煙(禁煙)はまだ続いています。
  次は離糖(甘いものを控える)を始めてみようかと思っています。

2016年01月27日の記事の中で

  離糖(甘いものを控える)の開始時期は
  早くても2月に入ってからになりそうです。


ところが、これを書いた翌日(1月28日)、
まるで私の目論見(甘いものを控える)を見透かしていたかのような
メルマガ(注)が届きました。


書きだしは
『○○さんは、甘いものが好きですか?』となっていました。

   ※"○○" 部分は私のバンドルネーム

そして次のようなことが書いてありました(一部を引用)。

  ・・・
  「ストレス食いをする」、「だらだら寝る」、「やる気が出ない」、
  「体調が悪く感じる」ということが一つでもあったら
  糖質を取りすぎていないか、気をつけてみてください。

  とはいえ
  私は基本的には、"スイーツ禁止" などをするのは、反対です。
  せっかくの楽しみですから、ストレス解消になりますから。

  「頑張ったご褒美に好きなだけ食べる。普段は少しだけ」
  という程度が、いいと思います。

  糖質も減らすのに慣れると気分爽快で気持ちが軽くなってきますよ。
  ・・・


人の助言を素直に聞くタイプ(?)の私です(流されやすい性格ともいえます)。
今なお離煙(禁煙)のストレスを感じていることでもあり、
離糖(甘いものを控える)の開始時期を "無期延期" にしようかと思います。
(幼児のように意志薄弱です)


(注)このメルマガ(無料)はパニック障害のカウンセリングをされている方が
    発行されているもので、月に数回不定期で届きます。
    解りやすい助言が穏やかな話し言葉で書かれています。
    2年半ほど前に読者登録しましたが、拙ブログの次の過去記事を
    読んでいただければ、
    読者になったことをご理解いただけるかもしれません。
 
   ・2年ぶりの歯科治療で 2015年06月11日
   ・今年も弱虫ゆえの失態を演じた健康診断  2015年07月09日
   ・慈愛の看護師さんのおかげで無事に採血が終わる 2015年07月10日

◇ 私が住む町にある「フリカケ」発祥の会社

2016年01月28日 11時52分28秒 | 日常・その他
昨日図書館へ返却した本の中に
「あのメニューが生まれた店」(*)というのがありました。

   * : 著者 菊地武顕
      発行所 株式会社平凡社
      2013年11月13日 初版第1刷発行
       ※週刊文春で連載されていたものが
         1冊の本になったもの。

  この本には、
  現在では良く知られている全国の名物料理やお菓子などについて、
  それを考案した(初めて作って売り出した)店が数十店
  紹介されていました。


◆クリームパン

  「新宿中村屋」さんが発祥で、明治37年(1904年)発売開始。

   ちなみに、日本で三大菓子パンといわれている
   アンパン、ジャムパン、クリームパンのうち
   他の二つについては木村屋さんが発祥とのことです。
     アンパン:明治7年(1874年)発売開始
     ジャムパン:明治33年(1900年)発売開始
   
   クリームパンには切れ目がありグローブのような形をしています。
   この本で知るまでは、あの形はアンパンやジャムパンと区別し易く
   するためだと思っていました。
   説明によると、中に空洞ができないための工夫だそうです。
   何でも、
   空洞があると、食べる人を損した気にさせる恐れがあるとのこと。

    ※私の場合、
      シュークリームの中に大きな空洞があると損した気になります。
      生ビールの泡が25%以上あると損した気になります。(←これは関係ないか)

◆コーヒー牛乳
 
  JR東海道線平塚駅近くにある「守山乳業株式会社」さんが発祥で、
  大正12年(1923年)発売開始。
  始めの頃は「珈琲入守山牛乳」と呼ばれていたそうです。
  コーヒー牛乳が生まれるに至った経緯については同社Webサイトにも詳しく載っています。

    なお、2003年の厚生労働省省令で
    牛乳100%の製品しか "牛乳" という表記を使用できなくなったので、
    現在は 商品名としての "コーヒー牛乳" は存在しないことになります。

◆温泉まんじゅう

  群馬県伊香保温泉(**)にある「勝月堂」さんが発祥で、
  明治43年(1910年)に発売開始。
  同社では「湯乃花まんじゅう」という商品名になっていますが、
  この茶色の饅頭をお手本として、各地で温泉まんじゅうが生まれていったそうです。
  この饅頭が生まれたいきさつとルーツが同社Webサイトにも書かれています。

   ** : 20代の頃の私は温泉巡りが好きでした。
       昔ながらの湯治場の雰囲気を残すところも好きでしたので、
       石段沿いに店が並ぶ風情に憧れて伊香保温泉にも行きました。
       予約せずに行った一人旅の私に観光案内所が充てがったのは
       割りと大きな旅館の窓もない布団部屋(?)でした。
       そのときから、
       伊香保温泉は私の好きな温泉地のリストから外されたままです。
        (水を差してスミマセン)


前置きの紹介が長くなりましたが、タイトルの話に移ります。

この本には、
菓子・料理以外の食品についてもコラムで取り上げられていました。
嬉しいことに、私が住む熊本市島崎地区にある会社が載っていました。

元祖フリカケを作られている
株式会社フタバ」さんです。

「御飯の友」という商品名のフリカケを製造・販売されています。
多くの方がスーパーなどで一度は見かけられたことがあるのではないでしょうか?
(子供の頃に食べられたことがあるかも)

  ※「御飯の友」は「全国ふりかけ協会」で
    フリカケの元祖として認定されていますので、
    発祥元としてのお墨付きです。

会社の外観です。


表札


周りはこのような環境です。


 賑やかな商店街を形成しているわけではありませんが
 この辺りの店の多くは「島崎繁栄会」に加盟されています。

 写真の左側に写っているオレンジ色っぽい建物は、
 週に1回は買い物に行く「ロッキー」というスーパーマーケットです。


 食糧事情が良くなかった昔は
 八百屋の目立つところに「御飯の友」が陳列されていたと思いますが、
 大型店舗に変わり商品が氾濫する今は、見つけるのに苦労するかもしれません。
   こんど「ロッキー」に行ったときに探してみます。
   冷たい遇いをされてなければよいのですが ・・・


  - ご参考(日本食糧新聞の情報から) -

    フリカケの市場規模(全国出荷額)

     2005年度  354億円
     2008年度  374億円
     2011年度  385億円
     2014年度  387億円 ← 2005年度に比べて約9%増

       景気低迷の中にあって健闘しているそうです。

◇ 私が作った手羽元の甘酢煮

2016年01月27日 22時57分33秒 | 日常・その他
宿明勤務の帰りにスーパーに寄りました。
「本日のサービス品」と書かれた手羽元があったので
3パック(約2.2kg)買いました。

  手羽元を見た時点で
  私の頭には「甘酢煮」のイメージが浮かんできました。

   手羽元は安価ですが骨が付いているので火が通りにくく、
   箸で食べにくくもありゴミも出るので皆から敬遠されています。
   そういうわけで滅多に家の食卓にのぼることがありません。

我が家における手羽元の地位向上を図るために私が作った
「手羽元の甘酢煮」です。
(フライパンの中で出来上がったところです)


 次のような手順で作りましたが、いつものように我流です。
   作ってみようという方がいらしたら、
   これを参考にせずWebサイト等でレシピを調べてください。
    ("手羽元 甘酢煮" で検索すればヒットするはずです)

   ①手羽元に塩コショウを少し振ったあと
     3時間ほど前に次の調味料に漬け込んでおく
      醤油、砂糖、日本酒、酢 ← 適量 ※水は加えない

   ②フライパンに少し油をひき手羽元を炒める
    (少し焦げ目がつく程度に)

   ③ビショビショ程度の汁で蓋をして煮込んでいく
    (汁の味付けは漬け汁よりも薄目に)※水を少し加えてもよい

   ④煮汁が少なくなってきたらミリンを加え(今日は大さじ1.5杯程度)
     照りが出るまで煮詰めたら出来上がり

作った自分が言うのもなんですが、
自慢してもよいと思われる味でした。
これで、手羽元の株を上げてやることができました。



一昨日(私の誕生日の1月25日)の拙ブログ記事の中で
「次は離糖(甘いものを控える)を始めてみようかと思っています」
なんて書いていましたが、
これが今日のお八つに食べた菓子類です。

正月に帰省した子の土産品である「株式会社ベルン」の「ジョリクール」

もちろん、全部食べたわけではなく
私は「ショコラ」をいただきました。

誕生日に3男からもらっていた「スイス」(*)の「クッキー」

   * : 「有限会社スイス」さんは
      熊本で最初にできた洋菓子屋さんだそうです。
       (同社によれば)
   

手羽元を食べた後に
アイスクリームも食べました。

  という状況なので、
  離糖(甘いものを控える)の開始時期は
  早くても2月に入ってからになりそうです。